第七百話 戦いたくありません
帝国西部国境。
そこにディートヘルムはいた。
もちろん皇帝ヨハネスに会うためだ。
「レオナルト、兄上は!?」
「叔父上!? よく来てくださいました! もうすぐお着きになるそうです!」
「間に合ったか!」
連合軍は部隊を二つに分けていた。
先遣隊であるレオ率いる部隊と、本隊であるアンセム、ウィリアムが率いる部隊。
総大将であるレオが先陣を切るのは、とにかく速度を重視したためだ。
先の決戦で多くの人員を失った連合軍は、兵糧以上に編成を整える必要があった。
多くの指揮官が命を落とし、各部隊はそれぞれ部隊としての機能を失っている。
その編成をアンセムたちは整え、とりあえず精鋭を率いてレオが帝国入りを目指したのだ。
なぜなら、すでに弟妹が対抗勢力として立っていたから。
彼らへの援軍が必要だった。
だが、レオが西部国境に入った時、後方からヨハネス出陣の報が届いた。恐れていた事態だ。
「なんとか父上を食い止めなければいけません」
「もちろんだ。怒り狂われているだろうが、二人で止めるぞ」
そう言ってディートヘルムとレオナルトは皇帝ヨハネスの到着を待ったのだった。
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「指揮権を返せという気はない。ワシはワシで帝都に向かう」
「無茶です! どうか冷静になってください!」
「そうです! 兄上! 重傷を負ったばかりのはず! どうか安静に!」
「体は動く。問題ない」
努めて冷静に。
ヨハネスは説得する二人に告げた。
その様子に二人は嫌な予感を覚えていた。
怒り狂っているなら、いくらでも説得できる。
だが、ヨハネスは表面上、冷静を装っている。
抑えきれない怒りすら抑え、冷静という名の仮面を被って。
そこまでして帝都に向かおうとしているのだ。
その強い意志をどうやって折ればいいのか。
任せてほしいとは言えない。
気持ちはわかるなどとは言えない。
そんな言葉は火に油を注ぐだけだ。
だから。
「では、せめて僕と一緒に向かいましょう」
「……気を遣う必要はない。ワシは別動隊として向かう」
「意地を張るのはよしましょう、兄上。どうしてもその手で討ちたいといわれるなら、レオナルトと共に行かれるのが一番可能性は高い」
止められない。
そう判断したレオは、共に行動することを提案した。
このままヨハネスを好き勝手に行動させたら、どのような障害があろうと帝都に向かうことは確定的だからだ。
妥協の提案。
それを却下するのは簡単だった。
だが、却下するということは自分が感情的だと認めることになる。
これに従わなければ、二人はヨハネスの言葉の矛盾をついて、どうにかこの場に押しとどめようとするだろう。
だから。
「……わかった。従おう」
ヨハネスは静かに頷いた。
そのことに二人はホッと息を吐く。
状況を考えれば、二人のどちらかは後方に待機するべきだ。
けれど、ヨハネスは止まらない。ならば、二人で向かうしかない。
「では、増援が到着次第、帝国へ入りましょう」
レオが率いている先遣隊は精鋭だが、数は一万に及ばない。
レオが単独で動く分には問題ないが、皇帝もいるとなれば心もとない。
連合軍全体の編成はまだ時間がかかるだろう。指揮系統が整っている部隊のほうが少ない。
だが、いくつかの部隊は出来上がっているはず。
その部隊を送ってもらおう。
そんなことをレオが考えていると。
それは突然、やってきた。
「会議中、失礼する」
女の声。
突然、フードを深くかぶった女が部屋の中に転移してきたのだ。
護衛として待機していた近衛騎士たちが反応するが、それを皇帝が制した。
「待て……」
声は震えていた。
転移してきた人物の声に聞き覚えがあったからだ。
聞き間違えるはずがない。
だから、ヨハネスは周りを制した。
けれど。
「皇帝、そなたに皇太子ヴィルヘルムから伝言だ。〝戦いたくはありません。あなたをこんな姿にはしたくない。どうか後方にいてほしい〟と」
そう言って女は持っていた木箱を机の上に置いた。
そのまま女は魔導具を取り出した。
帰る気なのだ。
その瞬間、レオは動いた。
剣を抜き、女に斬りかかる。
その剣は女の剣によって受け流された。
受け止めなかったのは、レオが本気で剣を振っていたから。受け止めた場合、剣ごと斬られる恐れがあった。
それくらい本気の攻撃。
それによってフードが取れた。
現れたのは長い赤髪の女。
帝国第四妃、ゾフィーアがそこにいた。
「そなたと剣を交えるのは初めてか、レオナルト」
「どこまで……!!」
レオは怒りの表情を浮かべながら、第二撃を放つ。
しかし、その時にはゾフィーアは転移でいなくなっていた。
剣が空を斬り、レオは苦々しい表情を浮かべた。
敵は死者を弄んでいる。
しかも、皇帝がより怒るように仕向けながら。
だから、その木箱も皇帝への挑発だと理解できた。
ゆえに。
「見ずに処分しましょう、兄上」
「確認は必要だ……」
ディートヘルムの提案は至極真っ当だった。
わざわざ見る必要はない。
だから、レオは皇帝の傍にいた勇爵に視線を向ける。
心得たとばかりに、勇爵はスッと皇帝の前に置かれた木箱をずらした。
「まずは私が確認いたします。陛下はお下がりを」
せめて皇帝には見せないように。
そんな配慮からだった。
しかし、その木箱の中身に勇爵も多少なりとも衝撃を受けてしまった。
箱を開けると、そこに入っていたのは人の首だった。
死に化粧を施されたその首は。
「陛下は見ないほうがよろしいかと……」
「その反応でわかる……」
よろよろと歩きながら、ヨハネスは箱の前に立つ。
そして、その木箱に入っていた首をヨハネスは抱きしめた。
「許せ……すまぬ……フランツ……」
木箱に入っていたのは宰相フランツの首だった。
親友の首を抱きしめたあと、ヨハネスはそっと首を木箱に戻した。
そして。
「……なにが……戦いたくはありませんだ」
呟きながらヨハネスは歩き始めていた。
それを制止しようと、ディートヘルムはヨハネスの腕を掴む。
しかし、ヨハネスはその手を振り払った。
「白々しい!! それほどワシを怒らせたいのなら、望むところ!! 帝都に赴いてやろうではないか!!!!」
レオはなんとかヨハネスを止めようとするが、ヨハネスはそんなレオをひと睨みする。
血走った目を見て、レオは動きを止めた。
「ワシは行く。止めるでない、レオナルト」
「父上……」
「もはや……怒りも湧いてこない……ただ、心にあるのは諸悪の根源を討たねばという欲求のみ……ワシは出る!」
そう言ってヨハネスは走り出した。
止めることはできない。
そう判断した勇爵はヨハネスに追従する。
今は深すぎる憤怒によって動いているが、短期間で衝撃的なことが起こりすぎた。
止めてしまえば、気力を失って、衰弱してしまうかもしれない。
それほどヨハネスは危うい状態だった。
ただ、わかっていてもレオやディートヘルムは放っておくわけにはいかなかった。
「くそっ!! 僕らも出る! 全軍に出陣命令を!」
「突出しないように、できる説得はする!」
敵はあちこちにいる。
帝国に入れば、そう簡単には進軍できない。
構わず進軍すれば命に関わる。
それだけはさせられない。
ディートヘルムは急いで、ヨハネスの下へ向かった。
「兄上! せめてレオナルトの出陣をお待ちください!」
「ワシだけで行く! ほかは不要だ!」
「兄上!」
馬に跨るヨハネスに対して、ディートヘルムも同じように馬へ乗る。
そして。
「兄上が行かれるというなら、私も共に参ります! 決して一人にはさせません! 死に場所を求めにいくような真似はよしてください!」
「勝手にせよ」
ヨハネスはそう告げると、馬を走らせた。
皇帝の出陣。
その突然すぎる一報に西部国境は混乱するが、すぐに皇帝を追ってレオナルトも出陣したのだった。
皇帝が先陣を切られた。
そう判断した兵士たちは士気を大いに上げたが、その様子を観察している者もいた。
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「皇帝、レオナルト、ベルクヴァイン公爵。三者が帝国に入ったぞ。さらに北部への援軍として、藩王となったトラウゴットも帝国入りした。東部でもリーゼロッテが軍を率いて、帝都を目指し始めている」
本来なら絶望的な報告。
しかし、それは待ちわびたものだった。
「トラウゴットに続いて、三人が同時に入ってくれるとは好都合」
もう少しかかると思っていた。
そんな風に呟きながら、ヴィルヘルムは〝空天の間〟という儀式場にて、中央にある台座に五つの虹天玉を設置した。
「大結界・天球。帝都を守る防衛魔法。発動できるのは皇族のみ。一度発動すれば外から入ることも、内から出ることもできない。最大発動時においては帝国最硬の結界魔法。なかなかの魔法だが、改良の余地はある」
本来、天球の発動には虹天玉が五つ必要となる。
だが、ヴィルヘルムはそれに加えて天球の術式を〝神玉〟に接続した。
それによって、帝都には六つの光が空に登っていた。
「神結界・天鷲球。帝国全土に結界を張り、外部と隔絶させる。出ることは術式発動者の許可が必要であり、入るにはアードラーの許可が必要となる」
術式における縛り。
それは魔法を安定的に成立させるためには必要だ。
いくらアードラーの血が必要という縛りをつけたとしても、帝国全土の結界は荷が重い。
ゆえに侵入の際には、アードラーの許可が必要という縛りを取り入れた。
この欠点はアードラーならば入れる点にあるが、それらを内に取り込んでしまえば問題ない。
出るにはヴィルヘルムの許可が必要だからだ。
帝国の残存する皇族はすべて把握している。
ゴードンの遺児が連合王国に存在するが、いまだ赤子。許可は出せない。
北部のルーペルト、南部のクリスタ、東部のリーゼロッテ。
西部にいたレオナルト、ヨハネス、ディートヘルム。
さらには藩国のトラウゴット。そしてベッドで寝たきりとなっているカルロス。
もちろん帝都にいるエリクやコンラートも対象だ。
「帝国は結界内の戦力だけで、この帝都を落とす必要が出てきた。そしてそれは無理だ」
改良を加えたとはいえ、帝都を覆う結界も健在。
これがある限り、帝都は落ちない。
頼みの網であるSS級冒険者と今代勇者とは切り離した。
「さて、それではゆっくりと門を開かせてもらうとするか」
そう言ってヴィルヘルムは笑う。
その姿を見て、エリクは目を細めた。
次々に手を打つ理由は、それだけアードラーや人類を警戒しているから。
そして。
次の一手がいくらでも存在するから。
これを破ったところで、また別の手がある。
魔王軍の大参謀と呼ばれただけはある、と感心しつつ、同時にエリクは呟く。
「とはいえ……穴のない策は存在しないのも、また事実」




