第六百九十七話 迷子現る
「行かずともよいのか? ベルクヴァイン公爵」
アルバトロ公国。
そこで帝国の方をジッとみつめる現皇帝の弟、ディートヘルム・フォン・ベルクヴァイン公爵に公王、ドナート・ディ・アルバトロは問いかける。
何度目の問いかけかはわからない。
「よいのです、公王陛下」
「だが……」
「公国駐屯部隊をまとめる者は必要ですし、私が動けば両陣営を刺激する。それに南部国境守備軍がすんなり通してくれるとは思えません」
ディートヘルムに任された役割は、主力海軍を派遣した公国の治安維持。
内乱からまだ日が経っていない公国にとって、海軍の派遣は重荷だ。
そのため、帝国から治安維持を目的とする部隊が派遣されていた。それを取りまとめていたのがディートヘルムだった。
公国が再度乱れれば、帝国は南に脅威を抱える。
それを避けるため、この役割には信頼度の高い人物が必要だった。そして、公国と交流があるという点で、ディートヘルムはうってつけだったのだ。
だが。
「とはいえ、いつも帝国のほうを向いている。本心ではすぐにでも向かいたいのでは?」
「……」
公王の言葉にディートヘルムは俯く。
想定外の連続。
そんな中で帝都がヴィルヘルムの手に落ちた。
伝え聞く情報では、ルーペルトが北部、クリスタが南部にて反抗勢力を形成したということ。
幼い甥と姪。
重荷を背負わせるくらいならば、自分が背負ってあげたい。
とはいえ、ディートヘルムの状況はそれほど簡単なものではなかった。
「今の南部国境守備軍はヴィルヘルム陣営です。私の動きを監視しているはず。私が動いたあと、公国に迷惑をかけかねない」
ヴィルヘルムが南部に拠点を置いた頃。
南部国境守備軍を束ねる老将プラネルトから、ディートヘルムに書状が届いた。
南部国境守備軍の多数が、ヴィルヘルムの帰還を歓迎しており、制御が効かなくなっている、というものだった。
そして、いずれ自分は拘束される。頼りにして、南部国境守備軍を突破しないように。
そう書き記されていた。
良識あるプラネルトの指揮下ならば、南部国境守備軍が皇弟であるディートヘルムの帰還を妨げたりはしない。
だが、プラネルトが拘束されて、指揮官が変わったならば何が起きるかわからない。
もちろん、帝国に向かう道はほかにもある。
しかし、それはどれもリスクがある。
あえて、それほどのリスクを取るべきか、どうか。
ディートヘルムは最近、ずっとそのことについて悩んでいた。
そんな中。
「ベルクヴァイン公爵閣下、これをご覧ください」
部下がもってきた紙。
そこに書かれていた内容にディートヘルムは体を震わせた。
「義姉上に加えて……テレーゼが……?」
紙には、後宮が燃え落ち、中にいた皇后とテレーゼが死亡したと書かれていた。
しかも首謀者は宰相。
ありえない。だが、これはまずい。
「兄上を止めなければ……」
「公爵、お望みなら船を用意するが?」
「お願いするやもしれません」
この内容が広められたのは、間違いなく挑発。
そして皇帝ヨハネスはこの挑発に乗ってしまう。
わかっているから、ディートヘルムはどうやって帝国に帰還するか考えていた。
陸路か海路か。
陸路ならば、南部国境守備軍の砦を突破しなければいけない。
海路ならば、帝国海軍の拠点となっているウォルタスの港に向かうことになる。
ただ、どちらにしても戦闘は避けられない。
どうしたものか。
深く考え込むディートヘルムに対して、部下は少し言いづらそうに言葉を発した。
「それと……閣下にお会いしたいというドワーフが来ておりまして……」
「ドワーフ?」
「はい……老人のドワーフで、迷子だから帝国に案内してほしい、と。追い返しますか?」
「どこにいる!?」
自分への客人は必ず知らせるように。
ディートヘルムは常々、そう言っていた。
そのため、とりあえず部下は報告した。
ただ、追い返した方がよさそうな小汚い老ドワーフだった。
言わなければよかったと、後悔していた部下だが、思わぬディートヘルムの反応に目を丸くした。
「し、城の門前におられますが……」
「すぐに行くぞ!」
慌てた様子でディートヘルムは走り出す。
それなりに鍛えていたつもりだが、年を取ったせいか、息が上がるのが早い。
横腹が痛い。
体が悲鳴を上げるが、それらを無視してディートヘルムは走り続けた。
もし考えが当たっていたら、千載一遇の好機だからだ。
そして。
「ふむ……さすがに道案内を頼むのは図々しかったか」
門の前。
老ドワーフが踵を返す。
そんな老ドワーフをディートヘルムは大声で呼び止めた。
「お待ちいただきたい! エゴール翁!」
呼び止められた老ドワーフ、エゴールは振り返る。
そして息を切らして、膝に手をつくディートヘルムを見て笑った。
「久しいな、ディートヘルム皇子」
「今は……ベルクヴァイン公爵です……覚えていていただき、光栄です……」
かつて、一度だけ会ったことがある。
その縁を頼って、自分の下に来てくれた。
その幸運にディートヘルムは深く感謝した。
「帝国に向かっていたつもりなんじゃが、気づいたら公国におってな。道案内が欲しいのじゃが?」
「私がお供します……」
「よいのか?」
「私も帝国に用がありますので……しかし……なぜ……」
「まずは呼吸を整えよ。逃げはせんから」
エゴールに諭され、ディートヘルムは呼吸を整える。
息をするたびに横腹が痛い。
ただ、それでも徐々に痛みはひいてきて、呼吸も整い始める。
そしてディートヘルムは再度、質問をした。
「連合軍とご一緒だったのでは……?」
「悪魔の攻撃でリナレスと共に相当吹き飛ばされてのぉ。通りがかりの竜人族に救われて、儂だけ帝国に向かうことになったのじゃ。リナレスはやることがあってのぉ」
「なるほど……よく私を頼ってくださいました。感謝いたします」
エゴールさえいれば、すべての問題が解決する。
南部国境守備軍といえど、エゴールを止めることはできないからだ。
「手はずはこちらで整えます。ただ、一つお願いが」
「なんじゃ?」
「邪魔が入った場合は、お力添えをお願いしたいのです」
「その程度ならよいじゃろう。儂としてもさっさと帝国に入りたいので、な」
エゴールはそう言うと、静かに帝国側を見つめた。
「何かを感じますか?」
「うむ、感じる。儂の勘が言っている。今、帝国に入っておかねばと、な」
理由はわからない。
ただ、エゴールの勘はよく当たる。
何かが始まろうとしている。だから、帝国に入るべきなのだ。
「それでは急ぎましょう。馬車を用意しろ! 帝国へ向かう!」
「それとディートヘルム皇子、悪いんじゃが……食事も用意してくれんか? 腹が減ってしまってな……」
「お任せください」
食事の手配も道案内も安いものだ。
SS級冒険者〝迷子の剣聖〟が傍にいてくれるならば。




