第六百八十三話 温もり
「フィーネ嬢の一行を確認しました!」
「接近する! 彼女は騙されているだけだ! 決して傷つけるな!」
騙されているだけ。
上手い言い方だ。
そう言う風にいえば、人気のあるフィーネを悪者にしないで済む。
およそ二百騎の騎士がフィーネたちを追っていた。
帝都からの指令を受けた騎士たちだ。
強行軍でフィーネたちを追ってきたんだろう。
「総員抜剣! 護衛の亜人どもは斬り捨ててかまわん! フィーネ嬢だけを保護するのだ! 彼女は蒼鴎姫! 帝国の宝だ! 宰相派に渡すな!」
悪辣な宰相に騙されたフィーネ。
それを正しい自分たちが取り戻す。
目を覚まさせる。
本気でそう思っているんだろう。
ご苦労なことだが。
「――動くな」
一言、そう言いながら俺はフィーネたちと騎士たちとの間に割って入った。
騎士たちの隊長が俺を見て、目を見開く。
「シルバー!? 一体何の真似だ!? これは帝国の任務だぞ! なぜ冒険者が邪魔をする!?」
SS級冒険者はその力の大きさから、関わる事案については考えるべきだ。
あまりにもバランスブレイカーだから。
とはいえ、それは平時の話。
「知ったことか。そのまま去れ」
短く隊長に告げると、俺は明確に殺気を放った。
それを感じ取った隊長は、少し動揺を見せる。
だが。
「は、ハッタリで退かせるつもりか……シルバー、貴公は帝国の英雄。我らの邪魔を本気でするはずがない。我々はヴィルヘルム殿下の命で動いているのだ! 総員! 突撃態勢!!」
なにを根拠にそんなことを言っているのやら。
騎士の中には何人か、まずいだろ、という表情を浮かべている奴がいる。
しかし、隊長の命令ゆえ、突撃態勢に入った。
俺はそんな騎士たちの前に一本の線を引く。
「そこより先に一歩でも出たら、俺への攻撃とみなす」
「怯むな! 相手は冒険者! 国を敵に回すわけがない!」
「……やれやれ」
呟きながら俺は隊長をジッと見つめる。
そして。
「普段とは違うんだ……俺はすこぶる機嫌が悪い。命を賭ける気がないなら失せろ」
先ほどまでの殺気とは比較にならないレベルの殺気を俺は放った。
隊長はそのまま泡を吹いて倒れる。
自分が殺されるビジョンを見たんだろう。
副隊長と思わしき者が隊をまとめて、撤退の準備にかかる。
俺が本気だとわかったんだろう。
「それと……帝都の主に伝えておけ。いずれ挨拶に伺うと、な」
帝都の主とはいうまでもなくヴィルヘルムだ。
足早に騎士たちは立ち去っていく。
そんな騎士たちを見送り、俺はゆっくりとため息を吐いた。
そして。
「……ご無事なようでなによりだ、フィーネ嬢。さっそくだが、帝都で何が起きたのか知りたい」
シルバーとして俺は、亜人商会に護衛されたフィーネに語り掛けるのだった。
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「後宮が燃えた……?」
近くの街まで移動し、フィーネとセバスに帝都でのことを聞いた俺は茫然としながら、そう呟いた。
再会を喜ぶ暇もない。
浮かない顔のフィーネに理由を訊ねたら、これだ。
「はい……皇后陛下とテレーゼ様は最期まで部屋の中におられたという報告が……」
フィーネは涙をこらえながら告げる。
聞きたくない報告はさらに増えた。
「宰相閣下も姿が見えないとの報告が入っています。状況を考えると……捕えられたか暗殺されたかと」
セバスの報告に俺はゆっくりと背もたれに体重をかけた。
頭が混乱する。
言葉が出てこない。
皇后陛下や宰相、それにテレーゼ義姉上が……死んだ?
覚悟はしていた。
けれど、それは最悪の場合だ。
敵はヴィルヘルム。
偽物でも演じている以上、実母と妻を殺すなんてことはありえないと思っていた。
だが、それは起きた。
たとえ火を放ったのが皇后だったとしても。
追いつめたのはヴィルヘルムだ。
「母上やクリスタ、ルーペルトは……?」
「クリスタ殿下は南部に、ルーペルト殿下は北部に逃れたという報告が入っております。ミツバ様はリーゼロッテ様の説得のために、東部へ向かわれました」
「さすがは宰相といったところか……レオの人質になりそうな人はしっかりと逃がしたか」
「おそらくですが……宰相閣下はアル様の生存に気づいていたかと思います。お三方を優先して逃がしたのは、アル様のためでもあるかと……」
「……」
子供の頃から宰相は宰相だった。
常に国を背負い、父上の横にいた。
いるのが当たり前で……。
「迷惑ばかりをかけた……帝位争いが終わったら謝ろうと思っていたんだがな」
力なく呟く俺を見て、セバスは音もなく部屋を後にした。
そして椅子に座る俺の横にフィーネが近寄って来た。
そっとフィーネが俺の手を握る。
「……泣かないのは泣けないからですね」
「悲しいんだ……心から。けど……泣いている場合じゃないと思うと……涙が出てこない」
落ち込んでいる暇はない。
最悪な状況なのだ。それにショックを受けている場合じゃない。
なんとか立て直して、次の手を打たないと。
そう思っても。
頭は働かないし、体は動かない。
自分がわからなくなる。
そんな俺の横で、フィーネはそっと涙を流した。
「君も……悲しいよな」
「私は……帝都を脱出するときに泣きました。テレーゼ様とは親しくさせていただきましたし、皇后陛下や宰相閣下も……尊敬している方々でした。ですから、泣きました。だからこれは……泣けないアル様の分です」
静かに涙を流しながら、フィーネは告げる。
それを聞き、俺はフィーネの手を握り返した。
「泣けないなら、泣かなくても大丈夫です。私がその分、泣きましょう。泣けないからといって……亡くなった方への気持ちが薄いというわけじゃありません。アル様が悲しんでいることは……お三方にはきっと伝わっています」
「……どうしてだろう。守ろうとして戦ったのに、守ろうとした何気ない日常が崩れていく……これはいつまで続く……? すべてが終わったあとに……俺の守るべき人たちは残っているのか……?」
身近な人たちが死んでいく。
帝都は占拠され、慣れ親しんだ城は敵の手の中だ。
どうにか勝ったとして。
俺が望む日常の風景がそこにあるのだろうか?
疑問が浮かぶと、それが頭から離れない。
「わかりません……私にはなにも。けれど……一つ確かなことは……私はいます。傍で戦うことはできませんが……あなたの帰りを待っています。すべてが壊れても……私はあなたをお待ちしています」
「……」
感じるのは体温。
生きている人の温度だ。
吹っ切れないし、引きずるだろう。
なぜ帝都に行かなかったのか?
俺は一生、後悔することになるだろう。魔力がなかった。転移できなかった。行くべきではなかった。
すべての判断がどうでもいい。後悔は消えない。
だけど、それでも。
フィーネの体温が前に向かせてくれる。
ここにいると知らせてくれるから。
それを失わないように頑張ろうと思わせてくれる。
失ったものはかえってこない。
だから、失わないように人は努力する。
手からこぼれたものばかりを追えば、手にあるものすら失ってしまう。
「アル様には……レオ様もいます、エルナ様も。ミツバ様やクリスタ殿下、ルーペルト殿下も。皇帝陛下だってきっと生きているでしょう。あなたの家族は……守るべき日常はまだあります。存在するから失うことを人は恐れるのでしょう……けど、守るべき存在が人を強くするのだと私は信じたい……」
フィーネはそう言うと静かに俺を抱きしめた。
まるで赤子をあやすように、俺の頭を撫でる。
「大丈夫です……きっと大丈夫です」
「……ありがとう」
礼を言うと、俺はそっとフィーネの背中に手を回した。
「君が生きていてくれて……よかった」
「私も……アル様がご無事でなによりです」
紅茶を淹れますね、と言ってフィーネを立ち上がろうとするが、俺はそんなフィーネを離さない。
「悪いけど……もう少しこのままでいさせてくれ……今回は堪えたから……」
「……はい」
フィーネはいつも通り。
優しく微笑み、俺の傍にいてくれたのだった。




