第六百七十九話 企み
「抜剣……突撃!!」
帝都の市街で追手に追われていたミツバたちだが、味方の出現で足を止めることができた。
「追い払うだけでいいわ! 脱出が最優先よ!」
そう言って指示を出すのは鎧姿のアンナ・フォン・アムスベルグだった。
「あなたの鎧姿なんて、何年ぶりかしら?」
「もう着ることはないって思っていたわ」
ミツバと軽口をたたきながらアンナは騎士を二人斬り伏せる。
剣爵家の娘として育てられ、勇爵の妻となり、エルナの母となったアンナだ。
その剣の腕前は近衛騎士にも引けを取らない。
そんなアンナが率いていたのは剣爵家からの援軍だった。
勇爵家直属の騎士たちは皆、出払っている。
それでも勇爵家の留守を預かる者として、アンナは出陣した。
今は少しでも人手が必要だと思ったから。
「東門から抜けるわ!」
「ミツバ様! アンナ様! 私は西門へ向かいます!」
追手を退かせた後、アンナはミツバたちを連れて東門へと向かい始めた。
その中で、フィーネがそんなことを告げた。
「フィーネさん……」
「西部ならば私にもできることがあるかと」
「……あなたが決めたことなら止めはしないわ」
「ありがとうございます!」
ミツバの許可を得て、フィーネは勢いよく頭を下げる。
だが。
「構わないけれど、護衛はどうするのかしら?」
「私がついていきましょう」
「言うと思ったけれど、セバスだけで平気?」
アンナの問いにフィーネはニコリと微笑む。
そして。
「大丈夫です。頼れる方々がいます」
その言葉と同時にアンナは周囲の家の屋根に目を向ける。
闇夜の中、屋根を飛び回る者たちがいた。
それを見て、アンナは静かに呟く。
「亜人商会ね……」
気づけば多くの亜人たちが自分たちの周りにいた。
そんな中、一人の女が歩いてきた。
亜人商会の代表をつとめる銀髪の吸血鬼、ユリヤだ。
「フィーネの護衛はこちらで引き受けるわ」
「亜人商会の代表さんがどういう風の吹き回しかしら?」
亜人商会はしっかりとレオ陣営に協力していた。なにをするにも金がいる。その資金を常に提供してきたのだ。
ただ、表立って動くことはなかった。
なぜなら亜人商会は帝都での立場が微妙だったから。
亜人商会は古くから帝都に根付いてきた商会ではない。新参者であり、かつ亜人ばかりの商会。
表面上は受け入れられても、やはり心から受け入れられるまでには至っていない。
だから、派手な動きはできなかった。
「頼まれたから仕方なくよ、勇爵夫人」
「帝都にいられなくなるわよ?」
この状況でフィーネを助けるということは、帝都での商売をすべて諦めるということだ。
わざわざ作った帝都支店とこれまでとこれからの利益をすべて捨てるということだ。
言い訳など通じない。権力者に盾突くとはそういうことだ。
商人として、そこまでの損を受け入れるのは難しいはず。
結局、帝位争いに関わるのは得があるから。
それを捨てるに等しい行動だ。
けれど。
「帝都に未練はないわ。あたしたちが帝都に進出したのは、アードラーが治める帝都ならば亜人への差別が少ないと判断したから。多少の差別はあれど、ひどいことにはならないという信頼があった。けれど、それが消え失せるのなら……ここにこだわる意味はないわ」
ユリヤはそう言うと笑う。
そして。
「帝都支店は今日から移転よ。西部支店ってところかしら」
「ありがとうございます、ユリヤさん」
「いいのよ。これまでは帝都での権益があったからこそ、武力を提供することはできなかったけれど……これからは武力も提供するわよ」
亜人の集まりである亜人商会は、それなりの武力を持ち合わせている。
護衛として申し分ない。
だから、アンナはミツバを見つめて、一つ頷いた。
「……気を付けるのよ、フィーネさん」
「はい、ミツバ様」
「……こっちへ」
ミツバはそっとフィーネを抱き寄せる。
強く抱きしめると、ミツバは静かに耳元で囁いた。
「無茶は駄目よ。あの子にも……そう伝えてちょうだい」
「……はい」
フィーネの返事を聞き、ミツバは笑顔を浮かべる。
フィーネに驚きはない。
ミツバを騙し通せるとは思っていなかったからだ。
「私には東部でやることがあるわ。西部は任せたわよ」
「お任せください」
そう言ってミツバはアンナたちと共に東門に向かった。
ミツバが東部に向かう理由。
それは東部国境守備軍を率いるリーゼの協力を取り付けること。
皇国の情勢、ヴィルヘルムとの関係。リーゼは動くに動けない状況だ。
それでもリーゼの力は必要で、無理を言う必要があった。
そのためにミツバは東部へ向かうのだ。
宰相の最期の指示ゆえに。
■■■
帝剣城。
逃げる者は最重要人物ばかりではない。
後宮が燃える姿を見て、貴族や帝剣城に詰めていた役人たちは身の危険を感じて脱出し始めていた。
彼らを止めようとする騎士は、そのことごとくが無力化されていた。
帝剣城内を縦横無尽に動き回るグスタフの仕業だ。
それによって、ヴィルヘルム旗下の騎士たちはまったく成果をあげられていなかった。
とはいえ、グスタフが一番の原因ではない。
動かせる人材の大部分をヴィルヘルムは、後宮の鎮火に回さなければいけなかったのだ。
「今代皇后の捨て身が若者たちを逃がすか……見事じゃな」
呟きながら、グスタフは杖を突きつつとある部屋へ入る。
グスタフに気づいた護衛の騎士が二名、剣を抜こうとするが、その前にグスタフが腕を振る。
それだけで騎士たちは勢いよく吹き飛ばされて、気絶した。
「……報告を続けろ」
部屋の中には男と女。
椅子に座っている男はエリクであり、女はエリクの配下である暗殺者、シャオメイだった。
シャオメイは武器を構えようとするが、エリクの言葉を受けて報告を続ける。
「は、はっ……各要人の城からの脱出が完了いたしました。帝都からの脱出も間もなくかと思います」
「引き続き、監視を続けろ。下がれ」
「し、しかし……殿下」
「下がれ」
エリクに強くいわれ、シャオメイは仕方なくその場を音もなく去った。
「……生きていたとは驚きました。グスタフ陛下」
「儂のことなどどうでもよい。お主に聞きたいことがあって来た」
「なんでしょうか?」
「……何を目指しておる? 父を裏切り、母を裏切り、国を裏切り、兄弟を追いつめ、その先に何がある?」
グスタフの言葉にエリクは表情を崩さない。
無表情のまま、エリクは淡々と告げた。
「――大陸の安定です」
「悪魔に管理されることが安定というかのぉ?」
「私の言葉をどう受け取ろうと陛下のご勝手です」
グスタフはその言葉を聞いて、ゆっくりと右手を動かす。
ここで始末すればヴィルヘルムが打てる手は制限できる。
今のヴィルヘルム陣営のうち、大部分を占めるのはエリクの陣営だ。
帝位争いで派手に動かず、自分の勢力を保ち続けた。
その陣営のトップを討ち取れば、相手の行動は制限できる。
しかし、エリクは動揺を見せない。
ただ、なにもかもを受け入れているように見える。
「……お主は何を考えている? エリク・レークス・アードラー」
「すでにお伝えしたとおりです」
エリクの言葉を受けて、グスタフは静かに魔力を集め始めた。
だが、そんなグスタフとエリクの間に割って入る者がいた。
「こんなところで古代魔法なんて使われたら困るっすよ」
剣を構え、コンラートがエリクとグスタフの間に割って入ったのだ。
しかし。
「無茶をするな。お主では儂を止められぬ」
「下がれ、コンラート」
「エリク兄上の言葉といえど、聞けないっすね。ここで見捨てたら……レーア義姉上に顔向けできないっす」
レーア。
その名を聞いたとき。
エリクの表情が少し動いた。
その変化を見て、グスタフは戦闘態勢を解いた。
感情を動かさず、ただ悪魔のために動くような男ならばここで討つべきかと思ったが。
「弟を気遣うこともでき、妻の名で動揺することもできるならば……お主はまだ人間じゃな」
「私は……」
「企みがあるなら上々。その策……成功させてみせよ。お主もアードラーならば、な」
グスタフはそう言うとその場を後にした。
エリクがただヴィルヘルムの駒ならばエリクを討って、ヴィルヘルムをも討つ気でいたが、エリクには何かしらの策がある。
ならば、これ以上、場をかき乱すのはよろしくない。
「この残りカスのような命はもう少し先に取っておくとするかのぉ」




