第六百七十三話 ヴィルヘルム凱旋
「ヴィルヘルム殿下万歳!」
「ヴィルヘルム殿下万歳!」
「ヴィルヘルム殿下万歳!」
大観衆の歓声に迎えられて、ヴィルヘルムは二千の騎士と共に帝都へ入った。
帝都の民の大半は、死んだはずのヴィルヘルム皇子の復活には懐疑的だったが、生きて動いている姿を見て、熱狂していた。
冷ややかな視線を向ける者もいたが、大半は熱狂に飲まれ、流され、歓声をあげていた。
かつての皇太子。
帝国の黄金期を予感させた理想の皇子。
その帰還は帝都の民が待ち望んだものだった。
だれもがそうなってくれたらいいと願っていた。
帝位争いもヴィルヘルムの代わりを探していたからにほかならない。
本人が帰還することこそ、誰もが願った結果だった。
上々の反応に、ヴィルヘルムは笑みを浮かべて対応する。
爽やかに、嫌みにならないように。
理想の貴公子を演じる。
「民は受け入れてくれたようだな」
「表面上はな」
ヴィルヘルムの呟きに、隣で馬を進めていたエリクは答える。
言いたいことはヴィルヘルムにもわかっていた。
心の底から熱狂しているわけではない。
それは一部だけだ。
盛り上がっているから、自分も盛り上がっているという者が大半だ。流されやすいから、ヴィルヘルム皇子と叫んでいるだけ。
ゆえにほかの何かが起きたら、そちらに流される。
「ここでシルバーが現れたら厄介だったな」
「現れない。アスモデウスとの決戦は想像以上に激戦だったようだからな」
死力を尽くして戦ったがために、銀滅の魔導師も魔力に限界が来ている。
姿を見せたのは、それが効果的だから。
しかし、万全ではない。
転移すること自体はできるかもしれない。しかし、ここで転移した場合、戦いになるかもしれない。
その危険性は冒せない。
シルバーは民の守護者。
その巨大すぎる力を使って、民を守り、モンスターを討伐してきた。
ゆえに、民がいる場所では余計な魔力を使う。民を守りながらでも戦える余裕があるのだ。
けれど、今はそれがない。だからこそ、現れないとヴィルヘルムは踏んでいた。
民のために。それがシルバーの行動原理であり、それはこれまでの行動が証明している。
「悪魔と直接戦った者だ。悪魔の恐ろしさは十分承知のはず。私を阻止するために、帝都が火の海になることは望まないだろう。まぁ、転移すらできないほど弱体化しているのかもしれないが」
「私は姿を現わさず、弱体化しているシルバーのほうが怖いがな」
「安心しろ。油断はしていない」
「だといいがな」
油断はしていない。
もちろんそうだろうと、エリクは思っていた。
相手を過小評価しているわけがない。
相手はSS級冒険者のシルバーなのだから。ヴィルヘルムも最大限の警戒をしている。
けれど、それはヴィルヘルムの最大限。
それで足りるだろうか?
常にシルバーはいなければいけない場所に姿を現わしてきた。
来るわけがない。来れないはずだ。
そういう想像の外から常に事態へ干渉してきた。
「見えたほうが楽というのも嫌な話だ」
そう言いながらエリクはため息を吐くのだった。
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「お久しぶりでございます。ヴィルヘルム殿下」
「久しぶりだな、宰相」
玉座の間にて、ヴィルヘルムと宰相フランツは対面した。
穏やかに握手から始まったその会談だったが、すぐにフランツは本題を切り出した。
「さっそくですが、ヴィルヘルム殿下の立太子についてですが」
「要件優先なのは変わらないか。懐かしさに浸ることは許されないか?」
「「性分ですので」」
フランツの言葉にヴィルヘルムは言葉を重ねる。
クスリと笑いながら、ヴィルヘルムは告げる。
「相変わらずなようでなによりだ。本題に入ろう」
懐かしい仕草、懐かしい表情。
フランツの五感は間違いなく、目の前の人物はヴィルヘルムだと告げていた。
「宰相の懸念は南部の勢力だろう。すでに私は解散命令を出している。騎士たちは徐々に領主の下に帰っている。ただ、数が多いため時間が欲しい。元々、モンスター討伐のための勢力だからな。SS級冒険者が現れたなら不要だ」
「ご配慮に感謝いたします。ただ、こちらとしても立太子については多くの確認作業が残っております。儀礼用の確認も必要ですし、各貴族からも多くの質問をいただいています。ですので、立太子を前提として、帝都に留まっていただきたいと思っております」
「もちろん問題ない」
ここまでは予定通り。
宰相としても正式に招いておいて、立太子の話をしないというわけにはいかなかった。
現状、帝国は皇帝不在、皇太子不在の状況だ。
こういう場合、臨時でも皇太子を立てるのが基本だ。そうでなければ帝国が崩れてしまう。
そして皇族の中で有力者であるエリクは、ヴィルヘルムに付き従っている。
偽者疑惑がなければ、あっさりと承認されるべきなのがヴィルヘルムの立太子なのだ。
これ以上、話を先延ばしにしてしまえば、ヴィルヘルムを支持する勢力が宰相に反旗を翻しかねない。
彼らからすれば正当な後継者を認めない奸臣にしか見えないからだ。
だが、話を進めてしまえば後戻りはできない。
それでも帝都に招いたのは賭けに出たから。
「では、話はこのへんにいたしましょう。後宮にて皇后陛下がお待ちです。どうかご帰還のご挨拶を」
「感謝する」
頷き、ヴィルヘルムは下がっていく。
その背に一礼しながら、フランツは覚悟を決めた表情を浮かべていた。
すでに皇帝の遺言書は帝都の外に持ち出している。
皇后が取り込まれ、帝都がヴィルヘルムの物になった場合、それが反抗の大義名分となる。
ただ。
「そのような未来が来ないことを願います……皇后陛下」
呟きながらフランツは静かに玉座の方を見る。
皇帝とレオナルトをはじめとした連合軍は、特殊な結界に閉じ込められているという情報はフランツの下に届いていた。
そのうち民にも知れ渡るだろう。
皇帝の無事は嬉しいが、現状を変えるほどのインパクトはない。
とはいえ、帝都にいないことは事実なのだ。だからこそ、名代が必要となる。
皇后の選択次第で帝国の行く末は大きく変わる。
しかし、一つ確かなことは。
「陛下のお帰りを出迎えることはできなさそうですな」
どっちに転ぼうと、帝国宰相などという目の上のたんこぶを残しておくわけがない。
だが、逃げるわけにはいかない。
自分は皇帝により任じられ、皇帝に留守を託された帝国宰相なのだから。




