第六百七十二話 兄の秘密
「結界は壊れそう? エルナ」
突如として結界に閉じ込められた連合軍は、そのまま一緒に閉じ込められた王都に駐留していた。
幸いというべきか。
王都は半壊したものの、王都にあった物資は無事だった。
王都自体にすでに民の姿はなく、連合軍を邪魔する者はいなかった。
おそらく民の大半は異変を察知して決戦前に逃げたか、逃げ遅れた者は偽人兵へと変えられてしまったのだろう。
間に合わなかった罪悪感はある。
けれど、そのおかげで人類に必要な物資の多くが残されている。
複雑な気持ちで連合軍は結界内で生活していた。
もちろん、脱出の手段を探しながら。
「無理そうね。聖剣を〝しっかりと〟使わないとたぶん突破は難しいわ」
エルナは声をかけてきたレオに告げる。
その手には聖剣があった。けれど、今はただの剣と変わらない。
決戦後、エルナの手に聖剣が残った。
結界内に閉じ込められてしまったからだろう。
だが、その力は消え去ってしまった。
原因は聖剣というより、エルナ自身にあった。
「あれ以来、上手く聖剣が使えないわ」
「僕も皇剣が使えなくてね。結界に閉じ込められているから、ってのもあるだろうけど」
「四宝聖具を二つも使う無茶をしたからよ。私の場合は……私自身の問題ね」
言いながら、エルナは目を伏せる。
連合軍の被害は甚大だった。
多くの同僚は亡くなり、いまだにエルナの父である勇爵やレオの父である皇帝も意識不明。
外界と隔絶させられ、外がどうなっているかわからない。
元々、折れかけた心を無理やり奮い立たせ、聖剣を最終解放にまで持っていった。
それが長続きすることはない。
心理的な部分で、エルナは気落ちしていた。
ゆえに聖剣の力を使うことができないのだ。聖剣が主と認めていない、というべきかもしれない。
「少し、休みが必要かもね。互いに」
「たぶん、そうよね。けど……外がどうなっているのか心配なの」
ここできっぱりと休むことができれば、どれほど楽か。
リフレッシュして、体を休めるときだと判断できれば、心もいずれ回復する。
けれど、エルナは常に結界を破ろうとしていた。
無駄だと知りつつ、剣を振っていた。
そんな簡単に破れる結界ではない。
しかし、それでも居ても立っても居られないのだ。
焦り、不安。
心が乱れ、落ち着かない。
原因はわかっている。
「兄さんは大丈夫だよ、エルナ」
「けど……私たちを閉じ込めたのは敵対勢力よ? 連合軍の総司令であるアルを……放っておくはずがないわ」
「まだ兄さんの傍には戦力が残っているし、シルバーとジャックは脱出している。僕らは僕らのことに集中すればいいさ」
「……レオは楽観的ね」
「兄さんを信頼してるからね」
「私が信頼してないみたいな言い方ね」
「エルナは過保護すぎるのさ。まぁ、兄さんもエルナに過保護だけど」
「アルが私に過保護ってどういう意味よ?」
「そのままだよ」
レオの言葉に釈然としないという表情を浮かべながら、エルナは結界から離れて王都への帰路へつく。
そんなエルナの後ろについて歩いていたレオは立ち止まり、結界の方を見つめる。
本命はその先。
どこかにいるだろう自分の兄。
「僕から言うのはさすがに違うよね、兄さん」
皇剣は帝国領内の大地から帝剣城に集まった魔力を利用できる。
それらは元々、憧れや興味、あるいは憎しみや怒り。感情と共に動く小さな魔力である。
そこには大地に宿った人の残留思念なども含まれる。
残留思念で構成された情報は膨大であり、一人の人間に処理できるものではない。帝国全土の長い記憶をすべて覗き見るようなものだ。ゆえに多くの情報は使用者を守るために皇剣の中に封印されている。
けれど、深い関係のある者の情報は自然と頭に入ってきてしまう。見知った顔を見つけたら、自然と目が向いてしまうように。
そしてレオに流れてきたのは、帝毒酒によって孤独な最期を迎えたはずの姉の残留思念。
ずっと気になっていた。どんな最期だったのか? 反乱を起こしたとしても、家族だから。
ゆえに情報が入ってきてしまった。
そして見てしまった。
その姉の前で、仮面を取った銀の魔導師の正体を。
断片的な情報だが、レオはある程度のことを理解していた。
驚きはある。けれど、意外ではない。そうかもしれないと思う場面が何度もあった。確信がなかっただけだ。
だから、レオは結界内でも落ち着いていた。
何が起きてもきっと大丈夫。
兄がなんとかするはずだ、と。
■■■
「シルバーとジャックが結界を抜けていたか」
南部に拠点を構えるヴィルヘルムは淡々と呟いた。
焦った様子はない。
そういう場合も想定していたからだ。
「どうする? モンスターへの不安があればこそ、支持が広がっていた側面もある。今の帝国の民にとって、シルバーほど不安を払拭する存在はいない。これ以上の勢力拡大は難しくなったぞ」
「南部を手に入れることができただけ上々と思うべきだろう。ただこれで宰相は強気に来るだろうな」
これまでの支持が取り消されたわけじゃない。
しかし、これから支持が増える可能性は少なくなった。
どんどん支持が膨れ上がることを想定して、宰相はヴィルヘルムを帝都に招いたのだ。
現状のままだったら、それでヴィルヘルムが皇太子に任じられることは既定路線のはずだった。だが、シルバーが現れたことで帝国の混乱は落ち着きはじめた。状況は大きく変わったのだ。
いきなり宰相が対立してくるとは思えないが、それでも帝都にいったらすんなり皇太子というわけにはいかないだろう。
「取るべき選択は二つ。帝都に行くか、行かずにシルバーたちが混乱を収める前にできるだけ支持を取り付けるか、だ」
「正式な使者を無視すれば、帝都に招かれる機会は遠のく。とはいえ、このまま帝都に向かっても望む結果が待っているわけではない。嫌なときに出てくるものだ」
ヴィルヘルムは言いながら、フッと笑う。
余裕そうなヴィルヘルムを見て、エリクは眉をひそめる。
「笑っている場合ではない。お前の権能はそこまで便利なものではない。このままでは時間を浪費することになるぞ?」
「そう怒るな。たしかに私の権能は弱体化している。この体になってマシになったが……私の権能〝精神支配〟はせいぜい、感情を操る程度だ。しかも精神力が強い者には通じない。だから……お前の弟妹たちは母親を通じて暴走させることしかできなかった。野心を駆り立て、嫉妬をむき出しにしてな」
笑うヴィルヘルムに対して、エリクは無表情を貫く。
反応がないのを見て、ヴィルヘルムは目を瞑る。
そして。
「――帝都に向かう」
「……勝算は?」
「皇后を操れれば穏便に、抵抗された場合は……力づくで玉座に座る。帝都は混乱に陥るだろうが、旗下の騎士たちはすでに私を疑うことはない」
「力で奪えば、シルバーたちが出張ってくるぞ?」
「西部に現れたシルバーが使った攻撃魔法は、魔力弾のみ。不自然なほどジャックが積極的に動いているそうだ。おそらく力が戻っていないのだろう。ならば、ここで動くしかあるまい。帝都に入れば、こちらには〝切り札〟があるからな」
 




