第六百六十七話 二枚の切り札
皇国が内乱状態に突入。
簒奪者であるグリゴリー皇子が次期後継者に定められていた皇太孫エフィムと対立している。
さらに連合軍の消失までが発表された。
これで、悪魔が消え去ったことが広まった。犠牲は大きかったが、しかし、明確な悪魔という〝脅威〟が形の上では去ったと誰もが知ってしまった。
脅威が去れば、人の緊張は緩む。
詳細な情報を知らない一般人からすれば、もう悪魔はいないものだろう。
「王国は壊滅状態、帝国は君主不在、皇国は内乱と……物騒な世の中になった」
呟きながら、これによって重要な一手を潰されたことにため息を吐く。
皇国の内乱は帝国に大きな影響を与えないように思える。どちらも国内に対抗勢力を抱えているから、互いに手が出せないからだ。
けれど、隣国への備えは必要だ。ましてや隣国が荒れているならば、なおさらだ。
皇国が乱れれば、帝国の東部国境守備軍は動けない。それはすなわち、現存する帝国軍の中で最精鋭といえる軍が動けないということだ。
つまり、リーゼ姉上が動けない。
刻一刻と情勢が変わる以上、国境を部下に任せることはできない。
さらに、皇国の一派がリーゼ姉上を頼ったら?
リーゼ姉上は見捨てないだろう。今後の皇国との付き合いもある。
そうなれば、よりリーゼ姉上は皇国にくぎ付けだ。
すべて狙っているなら大したものだ。
「悪魔を倒したというのに、情勢は悪化しているな」
「人と人との争いのほうが手に負えないものだ。ましてや裏で悪魔が扇動していたら、余計な」
ヘンリックに答えながら、俺はゆっくりと伸びをする。
場所は帝国西部。
王国との国境線を抜け、俺たちは帝国に入っていた。
「なぁ、もしも本当にお前の兄だったらどうするつもりだ? 数年で人は変わる。らしくない行動も成り代わりではなく、変化だとしたら?」
「ヴィルヘルム兄上が本物だったら……」
ジャックの問いかけに、そんなわけないと思う自分がいる。
俺の知るヴィルヘルム兄上とは違う。
だから、本物なわけがないと確信に近いものを感じている。
けれど。
もしも。
ヴィルヘルム兄上が本物で、生きていたとしたら。
「その時は――弟として兄を討つ。やることは変わらない。帝国に混乱をまき散らすなら討つだけだ」
「ヴィルヘルム・レークス・アードラーといえば、俺でも知ってる理想の皇子だ。討てるのか? そんな兄を」
ヴィルヘルム兄上は誰もが憧れる皇太子だ。
実績、実力ともに申し分ない。
彼が皇帝になるとだれもが疑わなかった。
だからこそ、それが失われたときの衝撃も凄まじかった。
今、このタイミングでの帰還は怪しい。けれど、それでも本物かも? と思ってしまうのは輝かしい理想の皇子を知っているから。
だけど。
「俺にとって……今の理想の皇子はレオだ。かつてとは違う。時間は進み、人は今を生きている。過去にどれだけ凄くても……関係ない。今の帝国に必要なのはレオだ」
「それを聞けて安心したぜ。それなら……暗殺でもいいんだな?」
ジャックは大陸最強の弓使い。
長距離からの狙撃なんて朝飯前だ。
面倒な相手がいるなら、ジャックに頼んで狙撃してもらえばいい。
それですべて済む。
普通なら。
「今、ヴィルヘルム兄上が暗殺されたら形成された派閥が宰相の仕業として、帝都になだれ込む。少なくともそうなるように仕向けるだろう。なにより、悪魔なら死にはしない。奇跡の復活をまたやられるだけだし、本物だとしても狙撃されるヘマはしない。一度、流れ矢で不覚を取っているしな」
俺の説明を聞き、ジャックは肩を落とす。
「そう簡単にはいかねぇってことか」
「そこが厄介なところだ。俺は偽物と確信しているが、ほかの者は本物の可能性を捨てきれない。可能性がある以上、暗殺は〝皇族の暗殺〟だ。帝国がこれ以上混乱したら、大陸全土が戦火に包まれかねない」
悪魔の介入が証明されるなら、人類は一致団結できる。
けれど、それが証明されないなら、利が優先されてしまう。
強国の弱体化は弱小国にとっては千載一遇のチャンスだ。
王国、帝国、皇国の大陸三強によって、多くの国は領土拡大を諦めなければいけなかった。
だが、ここにきて三国が乱れ始めた。
このままじゃ戦国時代になりかねない。
それは避けなければいけない。
「安易に暗殺できないとなると、どうする?」
「まずは正体を暴く。それができなきゃ何も始まらない」
ヴィルヘルム・レークス・アードラー。
それが敵の最大の切り札だ。
帝国においてこれほど効果的なカードはない。
だからこそ、その化けの皮を剥がせば帝国は一つになれる。
けれど、それが難しい。
「偽物だというのは簡単だが、今のままじゃ効果は薄い」
「ヴィルヘルム兄上の信者はどこにでもいるからな。彼らに現実を教える必要があるな」
「うん? ちょっと待て」
ヘンリックの言葉にジャックが口を挟む。
そして。
「アルノルト皇子が兄上っての言うはわかるが、お前はなんだ?」
「そういえば紹介していなかったな。俺の弟のヘンリックだ」
「すでに皇族としての名は捨てているがな」
「……アードラーってのは死んだふりが好きなのか? ヘンリック皇子っていえば詳細は知らねぇが、たしか死んだはずだろ?」
「死んだように見せかけて、助けた。今じゃ俺の影武者だ」
「なるほど、理解できんってことは理解できた」
呆れた様子でジャックはため息を吐く。
確かに理解できないだろう。
ジャックからみれば、わざわざ助けた弟に影武者をさせて、その腕を犠牲にして自分は表舞台から退場したように見せているわけだからな。
理解できるわけがない。
だからこそ、アードラーなのだから。
「それで? 死んだふりをした皇子二人と、SS級冒険者。この三人でどうするつもりだ? 一応、帝国までは入れたわけだが……」
「ヴィルヘルム兄上の派閥は日に日に増える一方だ。目的は帝都に入ることだろう。それを阻止する。駄目ならせめて、偽物だと暴く。ただ、誰が敵で、誰が味方なのか。それをはっきりさせる必要がある」
「それなら死んだふりをしたのは失敗だったんじゃないか? 後悔しているか?」
「まさか。相手がヴィルヘルム兄上なら……意表を突く必要がある。〝まさか〟と思わせることが勝利への近道であり、暗躍の基本だ」
俺には二つのカードがある。
自らが生きているというカード。
そして自らがシルバーだというカード。
それをどこで切るかによって、勝負は変わってくるだろう。
切り札は最後まで温存しておくものだが、ここぞという時には切るべきだ。
少なくとも。
俺はヴィルヘルム兄上にそう教わった。




