第六百六十三話 茶番開幕
「エリク・レークス・アードラー第二皇子殿下。宰相閣下、皇后陛下の連名にて勅命が下っております。状況が落ち着くまであなた様を帝都にて臨時の皇太子としてお迎えしたいとのことです」
「臨時の皇太子か」
エリクがいたのは東部の都市だった。
いつでも皇国に向かえるように、この都市にて待機していた。
帝国が乱れた場合、動く可能性が高いのは皇国。
そして帝国に対抗できるのも皇国だ。
だから、エリクは備えた。それが自分のできることだから。
けれど。
「至急、帝都までお越しください」
「ありがたい話だが……私はその器ではない」
「何を仰います。今、あなた以外に適任者はおりません」
派遣された伝令は目を丸くする。
現在エリクは皇帝の子供たちの中で最年長であり、帝位争いをリードする存在だ。
レオがいたとしても、帝国を二分する候補なのだ。
エリク以外に適任者はいない。それが満場一致の意見だった。
「安定しているときならまだしも、今の不安定な帝国を率いるには私は力不足だ」
「エリク殿下にしかできぬことです。それに悪魔は連合軍と消え去りました。犠牲が大きかったですが、人類は奇跡的に勝利したといえるかと。これからは安定の時代です」
「いや、私以外にも適任者はいる。その者を呼び出しているが……まだつかないようだな」
エリクは軽く笑みを浮かべながら告げる。
その様子に伝令は首をかしげる。
呼び出すもなにも、現在、帝国にいる皇族はすべて把握している。
呼び出す者など存在しないのだ。
「殿下、話が掴めませんが……」
「すぐにわかる」
エリクがそう言った時。
突然、別の伝令が部屋に入ってきた。
「急報! キールの付近にて津波が発生いたしました!」
「冒険者ギルドは動いているか!?」
「冒険者ギルドも混乱しているようで……津波が起きたのは東部だけですが、ほかの地域でもモンスターの被害が出ているという情報も入っています!」
「手が追い付かないか……」
「エリク殿下! 早く帝都へ! 帝都から指示が飛ばなければ、各地の領主が個別に対応しなければいけなくなります! それでは事態を収拾できません!」
帝都からの伝令の言葉にエリクは首を横に振る。
「帝都へ戻っている間に被害が広がる。今は現場での対応が必要だ」
「しかし……」
「やれることをやるしかない」
そう言ってエリクは歩き出したのだった。
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エリクがキールの街に到着した時、キールの街は防衛態勢に入っていた。
「殿下、わざわざお越しくださりありがとうございます」
「守り切れそうか?」
「報告では前回の津波ほどの規模ではないそうですが……防げるかどうかは」
領主の言葉にエリクは静かに頷くと、護衛を連れて城壁に登る。
「東部国境守備軍に伝令は?」
「すでに出してあります。近隣の領主たちにも。しかし、ほかの領主たちも自らの領地を守る必要があります。ラインフェルト公爵が動くまでは動きはないかと……」
「ラインフェルト公爵領はここから遠い。待っていたら手遅れだ。再度、私の名で伝令を送れ」
「かしこまりました」
「聞け! 騎士たちよ! 必ず助けは来る! 私も共に戦う! 必ず耐えきるぞ!!」
側近から剣を受け取り、エリクはその剣を掲げる。
そのエリクの号令を聞き、城壁に登る騎士たちも剣を掲げて応えたのだった。
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「守れ!!」
城壁の上でエリクは剣を振っていた。
自ら剣を振るわなければ、士気を保てないからだ。
皇子が戦っているため、騎士たちも奮戦している。
しかし、劣勢は覆せない。
次々に現れるモンスターに一人、また一人と騎士たちがやられていく。
「殿下! お逃げ下さい!」
「逃げ場はない! この場で食い止めるぞ!」
「しかし! 今、殿下を失うわけには!」
「守り切れば問題ない! そろそろ援軍が来る頃だ!」
「領主たちは動きません! お退きください!」
皇帝不在であり、帝都も混乱中。
各領主はそれぞれの判断で自ら任された領地を守る必要がある。
自らの領地を留守にして、よその領地を助けに行くのは簡単だ。
しかし、自らの領地が危険にさらされたとき。
民を守る者がいなくなる。
だから領主たちは動けない。
それこそ。
強力なリーダーがいなければ。
「――騎士たちよ!!」
キールから少し離れた場所にある丘。
そこに一人の男が現れた。
金髪碧眼の美男子。
貴公子然としたその男は長剣を掲げると、帝国の紋章が刻まれたマントを翻しながら剣を振り下ろした。
「帝国第一皇子ヴィルヘルム・レークス・アードラーが命じる! キールの街を守る!! 続け!!」
いるはずのない皇子。
その皇子の号令と共に、多くの騎士が丘を下ってモンスターの大群に突撃していく。
その数は五千を超える。
周辺の騎士たちが皆、従ったのだ。
「そんな……馬鹿な……」
「やっと来たか……」
「エリク殿下、どういうことです!? ヴィルヘルム殿下は亡くなったはずでは!?」
「死んだことになっていた……正確には仮死状態だった。それに気づいたのはすでに訃報が発表されたあとだった。だから、ひそかに私が匿っていたのだ。いつか目を覚ます日を信じて」
「そんなことが……」
「目を覚ましたのは最近だ。妻のために用意した薬の一つが、ヴィルヘルムの毒を中和した。動けるようになったばかりだが……」
エリクの言葉に嘘はほとんどない。
妻のために用意した薬の中に、解毒効果のある薬があったのも確かだし、ヴィルヘルムがしっかりと動き出したのも最近だ。
話していないことが多くあるだけだ。
ヴィルヘルムは騎士たちを率いて、瞬く間にモンスターたちを蹴散らしてしまう。
そして、大歓声の中、キールの街へと入ってきた。
「無事か、エリク」
「私は無事だが、キールは大きな損害を受けた」
「遅くなったことは謝ろう。しかし、領主たちが幽霊だと言って信じてくれなくてな」
「騎士たちを率いてきたということは、信じてくれたのか?」
「いや、説得は諦めて魔法で騎士たちに呼びかけた。騎士の心がある者は私に続け、とな」
「あとで領主たちがうるさいぞ?」
「結果が出れば文句は出ないものだ。南部でもモンスターが暴れているらしい。このまま私は騎士たちを率いて南部に向かう」
「帝都に向かうという選択はないのか?」
「戻っていては間に合わん。今、現場で動かねば救えぬ命がある。宰相と母上にはあとで謝ればいい。これまでのことも、な」
そう言ってヴィルヘルムは笑みを浮かべる。
それはかつて見たことがある皇太子の笑みで。
キールの街の人々も、騎士たちも皆が歓喜した。
かつて帝国を照らした皇太子が帰還したからだ。




