第六百五十八話 勝利の果てに
「どれだけ抗おうと余の前では無意味! 伏して沈め!!」
こちらの全力攻撃に対して、アスモデウスも溜めに溜めた球を放った。
【――冥獄天】
ゆっくりと巨大な球が降下し始める。
大きさはもう百メートルを超えている。
そして内に秘めた力はその大きさの比ではない。
それに対して、エルナの極光が発した白金の斬撃、レオの皇剣が発した赤みを帯びた黄金の斬撃。
そして俺の白銀色の魔法。
シルヴァリー・グリント・レイ。
螺旋を描く一本の閃光。
それらがアスモデウスの攻撃と衝突した。
その瞬間。
空間に入った小さな裂け目。それがあちこちに走った。
さらに空には巨大な裂け目ができていた。
巨大すぎる力と力のぶつかりあい。それで世界の安定が崩れ始めている。
「これどうなってるのよ!?」
「気にするな! ギリギリどうにかなるはずだ!」
「気になるわよ!!」
まだギリギリ、どうにかなる。
危ういバランスで世界は保っている。
ただ。
「これほどの裂け目があれば、かつてのように魔界との門を繋げるのも可能となろう。感謝するぞ! 勇者たちよ!」
「できるもんなら……!」
「やってみろ!!」
どうにかアスモデウスの球を受け止めている状況から、エルナとレオはさらに聖剣と皇剣を押し込む。
二人が放った斬撃がより威力を増し、アスモデウスの球を押し返す。
まさか止められるどころか、押し返されると思っていなかったんだろう。
アスモデウスが少し驚いたように目を見開く。
「人間風情が……!!」
「その人間にお前は負けるんだ……!! 侮り、蔑み、馬鹿にしながら消え去れ!!」
レオはアスモデウスに叫びながら、さらに皇剣の力を強める。
その斬撃の威力はエルナの極光に勝るとも劣らない。
アードラーの剣。
皇族が出せる最強の技だけはある。
ただ。
「シルバー! 威力を上げなさい!」
「無茶を言う……!」
「そんなもんじゃないでしょ!!??」
エルナは俺に無茶な要求をしてくる。とはいえ、言いたいことはわかる。
現状、グリント・レイは二人の攻撃に及んでいない。
シルヴァリー・グリント・レイは特殊な魔法だ。
全体攻撃主体のシルヴァリー・レイが単体仕様に変わった魔法というわけじゃない。
シルヴァリー・グリント・レイは強制変換型のシルヴァリー・エンド・セイバーだ。
発動までに膨大な魔力を食うだけあって、その能力は破格だ。
周囲の魔力を銀属性に変換して、それを吸収してどんどん威力を上げていく。それがシルヴァリー・グリント・レイだ。
ただ、今はその効果が限定的だ。
左右に巨大すぎる力が存在するから。
より広大な領域から魔力を集めれば、もっと威力を上げられるが。
そんなことをして世界は大丈夫なのか? という疑問が生じる。
今、悪魔の軍団が魔界から来たら間違いなく負ける。
あの裂け目がより広がれば、その可能性は高まるだろう。
こちら側からではなく、魔界側から門を開けるかもしれない。
転移魔法の世界版と考えれば、いくらでも可能性は広がる。
普段は分厚く、特殊な結界に守られているから転移できないだけで、それが薄くなれば転移できる。
そういう門を作れる。
そう考えれば、ここであの裂け目をより大きくするリスクはでかい。
今、エルナとレオの攻撃でアスモデウスの球は押し込めている。
現状さえ維持すれば。
そんな甘い考えが頭によぎる。
それはきっと恐怖ゆえ。
世界を守りたいのに、壊す要因になりたくないという恐怖。
敗北への恐怖。
大事だから。
どうしても失いたくないという執着。
それが安全なほうに思考を誘導する。
視線が少し下がる。
けれど。
『安心なさい。世界には修復力が存在するから』
『皇族の男なら諸々の問題は勝ってから考えろ』
後ろから声が聞こえてきた。
振り返る余裕は俺にはない。
けれど、たしかに後ろにいる。
支えてくれている人たちが。
そして背をそっと押された。
『顔を上げろ、アル。倒すべき敵は下にはいないぞ?』
懐かしい声だ。
かつては当たり前のように聞けていた声。
振り向きたくなる。
それでも振り向かないのは。
いつまでも子ども扱いはされたくはない。
失望はさせたくない。
前を向けと言われて、後ろを振り向く奴がどこにいる?
俺は顔を上げる。
『いいぞ。抗え。どれほど敵が巨大でも〝それでも〟と言い続けろ。男が一度立ち向かったなら……恐怖に流されるな』
「好き勝手言ってくれる……」
『弟に好き勝手言うのは兄の特権だ。無茶ばかり言って悪いが――帝国を頼んだぞ? アル』
不思議な気持ちだ。
嬉しいような、悲しいような。
声はそれっきり聞こえない。
ただ、暖かさはある。
見守ってくれている。
それは錯覚なのかもしれない。
それでも大丈夫だと思うには十分だった。
「女勇者! 次期皇帝! その程度か!?」
言いながら、俺はフォースを解除して、込められるだけの魔力をグリント・レイへと込める。
それによってグリント・レイはより広範囲の魔力を銀属性に変換できるようになる。
周囲から銀色の粒子が集まってくる。
どんどんそれはグリント・レイに集っていき、螺旋を描く銀の閃光は一気に勢いを増した。
空の裂け目は広がるばかり。
不安はある。
それでも。
今は目の前の敵を倒すことに集中だ。
終わったあとのことは終わったあとに考えればいい。
たまには後先考えないのも大事だろう。
俺は聞こえてきた懐かしい声を信じよう。
「調子に乗るんじゃ……ないわよ!!」
「その不敬は……高くつくよ? シルバー!!」
二人は再度、剣を振り上げた。
そして。
「押し切るぞ!!」
「言われなくても!!」
「そのつもりよ!!」
俺の言葉を合図として、二人は剣を振り下ろした。
第二波。
第一波を飲み込み、それぞれの斬撃はより巨大になる。
三つの威力は互角。
やがて三つが絡まり合う。
最初は反発し、せめぎ合うが、そのうち溶け合って、一つの奔流へと姿を変える。
すべてを飲み込む白の奔流。
それは巨大なアスモデウスの球を逆に飲み込んで、徐々にアスモデウスへと迫る。
自らの渾身の一撃。
それが完全に飲み込まれるのを見ながら、アスモデウスは――笑った。
「やはり……奴の方が正しかったか……」
自分の消滅を前にしながら、アスモデウスは呟く。
抵抗はない。
アスモデウスとてすべてを出し尽くしていた。
返されれば成す術はないのだ。
「余に勝ったのだ。願わくば……奴にも勝ってほしいものだ」
そう言い残してアスモデウスは白い奔流に飲み込まれていく。
そのまま白い奔流は空高く、星空の世界まで飛んでいく。
空に生まれた大きな裂け目は、ゆっくりと閉じ始めていた。
それを見ながら、俺は静かに呟く。
「勝ったか……」
同時にレオとエルナは猛スピードで降下を始めた。
そんな二人を尻目に、俺は転移門を開く。
皇剣で魔力は補充されているが、心臓が痛む。
許容量を超えた魔力を幾度も使ったせいか、体が限界を迎えている。
それでも、まだやるべきことがある。
転移門を抜けると、俺は地上で救助活動にあたっていた連合軍の陣地に治癒結界を展開する。
外傷ならばこれでどうにかなる。
ただ、それは命が保てている者だけ。
今、死の淵に立たされている者を救えるかどうかは、その者の生命力次第だ。
それでも。
それでも。
今にも倒れそうなほど痛む心臓を抑えながら、俺は治癒結界を張り続けたのだった。
勝つには勝った。
しかし、連合軍はもう壊滅寸前だ。
二十万を超す軍勢がもう数万しか残っていない。
十数万の命が散った。
「酷い勝利だ……」
積み上げられた亡骸を見ながら、俺は呟く。
その頃になって、ようやくエルナとレオが降りてきた。
「父上!」
「お父様!!」
二人は自らの父を探し、駆ける。
生き残った者たちで作った簡易の陣地だ。
あちこちにけが人がいる。
探すのは一苦労だ。
俺も行きたいところだが、もう一歩も動けそうにない。
心臓が痛い。
ただ、そんな俺の耳に声が届いた。
『すまないな、アル――私に気をつけろ』
その言葉の意味を深く考える余裕はない。
その場で崩れ落ち、どうにか心臓の痛みに耐えながら治癒結界を維持する。
そんな俺の耳にアリーダの声が届いた。
「息はあります! しかし……意識は……」
その声に安心して、俺は治癒結界を解く。
そのまま倒れこむ俺を、誰かが受け止めた。
「ご苦労だったな。ここじゃいろいろとまずいだろ」
受け止めたのはジャックだった。
そんなジャックに俺は呟く。
「まだ……終わってない……敵は……まだほかにもいる……」
俺の言葉を聞き、ジャックは驚いたように目を見開き、すぐに頷き、俺を担いでその場を後にしたのだった。