第六百二十話 退場の筋書き
無血開城。
これほどぴったりな表現はないだろう。
俺を人質として、ほかの戦線にて王国軍が偽人兵を使用している光景を目の当たりにしたドロルムは、帰還すると即座に自分の見てきたことを都市の人達に説明した。
見てきたのはドロルムだけではなく、都市の有力者も同行していた。
彼らも口をそろえて、帝国軍の言うことは正しいと主張した。
ドロルムはなかなか納得できない人にも丁寧に説明し、説明された都市の人たちも、ドロルムが言うならと納得した。
そしてドロルムの指揮下にある三つの都市は開城した。
この三都市がこちら側になったのは大きい。
ウィリアム軍もアンセム軍もどんどん都市を落としている。
そのうち、王都以外のすべての都市が陥落するだろう。
そうなると、この三都市は中間地点。
兵糧の集積所として機能することになる。
ドロルムによって街道の整備は進んでいるし、なによりしっかりと稼働可能な地下道が存在する。
後方基地としてこれほど優れた場所はない。
その旨をヴィンに告げ、すべてを任せた俺はフィンと共に総司令部に帰還した。
エルナはレオの傍だ。
これより王都攻略戦が始まる。
そこにエルナの力は不可欠。
と、いうことにした。
「上手く引きはがしたな」
総司令の部屋。
そこにヘンリックがやってきていた。
「あいつが傍にいるとセバスを置いてきた意味がないからな」
「王都攻略戦が始まれば、戦力が集中する。総司令の周辺は手薄になるため、敵からすれば総司令を狙うチャンスだ。そして……アルノルト・レークス・アードラーにとっては表舞台から退場する絶好機」
ヘンリックの言葉に俺は苦笑する。
太陽は二つもいらない。
臣下が崇めるのは一人だけでいいのだ。
二つも空に星があれば、どちらを見るかで人は割れる。
それでは駄目なのだ。
空に浮かぶのは一つだけ。ひときわ輝く星だけを人々は見ていればいい。
「敵が王国にせよ、悪魔にせよ、帝国に強力な指揮官がいるのは好ましくない。五百年前ですら、悪魔は帝国の頑強な抵抗に手を焼いていた。今、再び、大陸を狙うならば帝国において最も有力な者を討つはず。事前に、な」
「そうだ。だから俺は総司令として目立った。大軍を指揮させたら厄介だと認識したことだろう。きっと敵のターゲットは俺へ移っている。近衛騎士に守られている皇族を暗殺するのは一苦労だ。然う然うチャンスもないし、チャンスがあったとしても、それなりの手駒を使う必要がある。何度もできることじゃない。だからそれを浪費させれば、レオの安全はある程度保証される」
皇太子であった長兄は不審な死を遂げた。
あれほどの傑物が流れ矢で死ぬのか?
それがずっと謎だった。
しかし、悪魔が関与していればなんでもありとなる。
まぁ、それ以前に皇太子であった長兄は、あえて死を選んだ可能性もある。
詳細な理由まではわからないけれど。
ただ、皇太子側にどういう狙いがあったにせよ。
命を狙われたことは確かだ。
そして帝国は暗黒期に陥った。
それでも強国ではあったが、あちこちに綻びが生じた。
それが今、立ち直りつつある。
レオという新たな太陽の下で。
ここでレオが討たれれば、帝国が再起するのは不可能になる。
それはイコール、人類の敗北でもある。
すでに人類に時間は残されていない。
俺も手段を選んでいる暇はない。
「準備はできている。あとはお前次第だぞ」
ヘンリックの言葉に俺は目を瞑る。
総司令としてやるべきことはやった。
あとは王都攻略と同時に戦力を王都に集中するだけ。
だが、そうすると敵は動く可能性が高い。
つまり。
「俺の影武者をするということは……十中八九、死ぬということだぞ?」
「承知の上だ」
ヘンリックは迷うことなく告げた。
ヘンリックは俺の影武者を完璧にこなせるだろう。
見抜かれたのは叔父上だったから。
他から見抜かれることはない。
きっとアルノルトとして最期まで振る舞える。
「悪魔との決戦が近づいている。好機と思わなければ……悪魔は表舞台には立たない。そして基準となるのは帝国だ。すでにアードラーはかなり弱体化している。有力なのは二人だけ。エリク兄上とレオナルトだけだ。せっかく集めたレオナルトの勢力を二分しないためにも、そして無事な勢力はないのだと悪魔たちに思わせるためにも。アルノルト・レークス・アードラーはここで死ぬべきだ」
ヘンリックの言葉は俺が説明したことだ。
これまで快進撃を続けてきたレオだが、その影には常に俺がいた。
その俺が死ぬことは、レオの勢力にとっては打撃だ。そしてレオとエリク兄上とのぶつかり合いが始まる。それは悪魔たちにとっては好機以外の何物でもない。
王国を倒したレオと、連合軍を巧みに操ったアルノルト。この二人がいては、エリク兄上も太刀打ちできない。
功績が違いすぎる。
それでは駄目なのだ。
エリク兄上でも対抗できるように、レオの勢力は衰えないと。
だから俺は死にたい。
しかし、死の偽装は簡単ではない。
「確実に死んだと思わせる必要がある。もし生き残っても……無事では済まないんだぞ? いいのか? 捨て駒も同然だぞ?」
「捨て駒になれるだけマシだ。覚悟はすでにできている」
そう言ってヘンリックは俺に左手を見せてきた。
そこには特徴的な傷。
同じ傷が俺の左手にもある。
「どんな暗殺者が来るかわからない。どういう暗殺の仕方をするかわからない。だから、あらゆる備えをして迎え撃つ。そして必ず打ち倒す。その後、兵士たちが発見するのはこの左手だ。これによってアルノルト・レークス・アードラーは死ぬことができる」
「……刺し違えようなどと思うな。裏で動く以上、今まで以上にお前のサポートがいる」
「わかっている。どうか……弟を信じてほしい」
弟を影武者にして、父上とした約束を破って、大事な人たちにすら死んだと思わせる。
心が軋む。
それでも。
俺には果たすべき役目がある。
ほかでもない。
大切な人たちを守るために。
「……任せた。いつでも入れ替われるようにしておいてくれ」
「承知した」
そして、それからしばらくして。
連合軍が王都以外のすべての都市を陥落させたという伝令が俺に届いたのだった。