第六百十八話 見学の勧め
「今、総司令って……」
「アルノルト・レークス・アードラー……?」
「帝国の出涸らし皇子だぞ……!」
正面城壁で王国の守備兵たちが騒ぎ始める。
まさか敵軍の総大将が乗り込んでくるとは思わなかったんだろう。
その目には明らかな敵意が宿っていた。
そして。
「敵の総大将だ! ここでこいつを殺せば敵は瓦解するぞ!!」
「弟に良いところを奪われた出涸らし皇子とは本当だったか! 所詮はお飾りの総大将だ!!」
「やっちまえ!!」
今にも王国兵は俺にとびかかりそうな勢いだ。
けれど、俺は彼らに目を向けない。
注目しているのは茶色の髪の男性。
年は三十代くらいだろうか。
少し肥満気味だが、優し気でとても武人には見えない。
けれど、敵の動き出しは常にそこからだった。
つまり、その場で指示を出す者が俺の相手だったということだ。
驚いた表情を浮かべて、男性は俺を見続けている。
周りにいる守備兵には、おそらく市民からの志願兵も混じっている。
装備も統一されていない。
それでもあれだけしっかりと動けるのは、信頼されている証拠だろう。
そして信頼に応えるだけの指揮能力が彼にはある。
「ドロルムさん! やっちまおう!」
「囲え! 逃がすな!!」
その間に俺はすっかり王国兵に囲まれてしまった。
といっても、最初から敵だらけのところだ。
周囲に味方は一人しかない。
ただ、一人で十分ではある。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
どうしていいかわからず、一人が槍を手にして俺へ突っ込んできた。
しかし、その槍は一瞬で細切れになった。
「桜色の髪に翡翠の瞳。その意味がわかる者だけが突っ込んできなさい。ただし、次はない。私の殿下への無礼には命で償ってもらうわよ」
「あ、アムスベルグ……!?」
「し、白いマント……」
「ゆ、勇爵家の神童だ……!!」
エルナの言葉を受けて、俺の周りにいた者たちは一斉に後ずさった。
今までは包囲だったが、今は囲っているだけ。見物客と変わらない。
誰もがエルナの存在を恐れている。
しかし、俺から視線を外さない男がいた。
さきほどの茶色の髪の男。
やはり彼が指揮官なんだろう。
「いきなり来た無礼はお詫びしよう。貴殿がドロルム殿で間違いないだろうか?」
「……たしかに自分がエドモン・ドロルムです」
そう言って敵将、ドロルムは俺の前まで出てきた。
元々、王国の部隊長というのは本当なんだろう。
くたびれた軍服を着ている。しかし、まぎれもなくこの一帯を指揮する将軍だ。
一応、こちらのほうが戦力的に優位だったため、圧倒することはできたが、同条件では苦戦するだろう。
それだけ見事な部隊運用だった。
間違いなく隠れた逸材。
王太子を倒した後、悪魔が出てくるにせよ、出てこないにせよ、王国は再建期に入る。
アンセムの体調は芳しくない。
王太子からもらった薬を飲まなければまともに動けないほどだ。それでも、薬があれば動ける。
喜ばしいことに、薬に秀でた竜人族と縁がある。
アンセムについては、後日、竜人族に診てもらえばいい。それで駄目ならば、アンセムの姉がいる。
とにかく王位を継ぐ者はいるのだ。
しかし、支える者はいくらいても足りない。
帝国は戦争続きだ。そろそろゆっくりしなければいけない。そのために王国にはしっかりと立ち直って貰わねば。
そして、その目的があるからこそ、血が流れないように努力している。
きっと、このドロルムはアンセムたちの良き側近となるだろう。
失うわけにはいかない。
「話し合いに来た。突然来たのは、無理やりでなければ会談に応じないと思ったのでな」
「……総司令であり、帝国の皇子でもあるあなたがなぜ、このようなことを?」
「血は流れないに限る。そう思わないか?」
「同感です。しかし、侵攻をしてきたのは帝国のほうです。血を流したくないならば、即時撤退を」
「そうしたいんだが、そういうわけにはいかない。賢王会議にて、王国は現在、〝大陸の敵〟と判断されている。それゆえの連合軍だ」
「そんな馬鹿な!? 我々が大陸の敵……!? なぜです!?」
ドロルムは驚いたように目を見開いた。
周りにいた守備兵たちもそんなわけがないと叫ぶ。
しかし、俺はそれを遮るように告げた。
「理由は王太子リュシアンが民をモンスター化させ、戦力として使用していること。すでに多くの証拠があがっており、各地で連合軍はそのモンスターと交戦している。俺はその問題への対策を一任されている。連合軍の目的は王太子にその所業をやめさせること。ゆえに、貴殿らと争う気はない」
「民をモンスター化……? そんなこと……」
「論より証拠。見てきたらどうだ? 移動の安全はこちらが保証しよう」
「信用できるとでも?」
「もちろん人質をここに残そう。俺という人質が、な。一人では疑われかねないだろうし、何人かで行ってくればいい。北でも南でも戦いは続いている」
連合軍の航空戦力は充実している。
俺のように魔力が高すぎる者以外、移動に不便することはない。
すぐに確認できるだろう。
俺が人質に入れば、ドロルムも向かわざるをえない。
なにせ、すでに俺の力は見せつけている。
俺が自分を犠牲にして、ドロルムを討つ必要がない。
「嘘だ! 行っちゃ駄目だ! ドロルムさん!」
「きっと連合軍の作戦だ! 出涸らし皇子を犠牲にして、ドロルムさんを討つ気なんだ!」
「そうだ! こいつは捨て駒だ!」
信用しない守備兵たち。
それに対して、ドロルムは告げた。
「……なぜです? あなたならば……被害を最小限にしてここを陥落させられるはず。自分はあなたに歯が立たなかった……」
「争えば血が流れる。できるだけ民の命を救いたい。俺は連合軍総司令として……王都以外の都市の制圧を命じた。モンスター化する民を減らすためだ。しかし、それは王都の民を見捨てるということだ。だからこそ、責任がある。減らせる犠牲は減らす責任。そして血を流さない責任が。それでもと貴殿が言うならば……受けて立とう。帝国皇子の名にかけて、一瞬で陥落させる。これは脅しではない。貴殿なら理解しているはずだ。俺はいつでもここを陥落させることができる、と」
「は、ハッタリだ! ドロルムさん!」
「ハッタリではないさ……明らかに指揮官が代わっていた。指揮を執っていたのはここにおられる殿下だ。いつでもトドメをさせた。けれど、殿下はそれをしなかった。理由は血を流したくなかったからだ」
ドロルムはそう言うと、深く息を吐いた。
そして。
「あれほどの指揮ができるあなたが、自分ごときを討つために犠牲になるわけがない。そう思わせるために、自分を圧倒したのですね?」
「気に障ったなら謝ろう」
「いえ、おかげで素直に提案を受け入れられます。見たほうが早いというなら、見にいきましょう。王国の現実を」
「ドロルムさん!! 絶対罠だ!」
「罠だとしても、悪くない取引になる。自分の首で連合軍の総司令を討てるのだから。それしか王国に勝ち目はない。けれど……きっと罠じゃない」
ドロルムは悲し気につぶやいた。
理解が早くて助かる。
血を流さないために、俺は最大限の譲歩をしている。それを理解しているのだ。
そして理解したということは、こちらの言い分は正しいということになる。
「では、自分は同行する者を選抜します。自分が帰ってくるまで、殿下にはこの都市に滞在していただきます。よろしいですね?」
「構わない」
「ど、ドロルムさん!! アムスベルグの護衛がいたらすぐに逃げられちまう!」
「そうだ! 人質どころか、内側から崩壊させられるぞ!!」
「その護衛をどっかにやれ!」
「そうだ! そうじゃなきゃ信用しねぇぞ!!」
守備兵たちは声をあげる。
それをドロルムは諫めようとするが、その前にエルナが告げた。
「今、斬り殺してもいいのよ? その将軍以外に価値はないから。殿下はあなたたちと、帝国兵の血を流さないようにしているわ。けれど、殿下に危険が及ぶなら、私はあなたたちの血〝だけ〟を流す選択を取る。それが可能かどうか……試したいというなら騒ぎなさい。私はどちらでも構わないわ」
淡々と事実を述べる。
その気になれば一人で壊滅させられる。
その自信がエルナにはあるのだ。
嘘でもハッタリでもない。
だからエルナの言葉には凄みがあり、説得力がある。
誰もが黙ってしまった。
そしてドロルムは苦笑しながら告げた。
「では、屋敷にご案内させていただきます」