第六百四話 偽獣兵
ルイヴィーユ要塞に元々いた王国軍を含めると、三国同盟の軍勢は十万を超えた。
堅牢で知られるルイヴィーユ要塞にそこまでの戦力で立て籠もれば、本来なら突破は不可能だった。
しかし、三層ある壁のうち、第一層では多くの王国兵が血を流していた。
「小隊単位での行動を崩すな! 一人で動けばやられるぞ!」
第一層の指揮を取っていたアンセムは、病み上がりな体を押して剣を振るっていた。
そんなアンセムの傍で、リゼットも剣を振るっていた。
「殿下! このままでは!」
「わかっている! 負傷兵の移送は!?」
「徐々に行っています!」
「急がせろ! ここを放棄するのも時間の問題だ!」
言いながら、アンセムは壁を文字通りよじ登ってきた四足歩行のモンスターを切り捨てた。
王太子側の戦力は偽人兵だけでなかった。
人を四足歩行にしたようなモンスター。その肌は灰色で、歯と爪が異常に発達している。
王太子側で〝偽獣兵〟と呼ばれるそれは、大軍となってルイヴィーユ要塞に押し寄せていた。
これも原理は偽人兵と同じだろうと思いつつ、アンセムは容赦しなかった。
元国民だと同情する余裕がアンセムにはなかったからだ。
「偽人兵だけで二万、この四足歩行のモンスターが五万……さすがに同じだけの成功率とは思えんが……一体、どれほどの民を犠牲にした……?」
王太子側の行動は早かった。
三国同盟が要塞に立て籠もったその日に、これほどの軍勢が攻め寄せてきた。
避難民の脱出はまだ終わっていない。
とにかく時間を稼がなければならない状況だったが、すでに一層目は陥落寸前。
そもそも人の軍勢を想定して作られた要塞だ。壁を自力でよじ登ってくるようなモンスターを想定して作られていない。
偽人兵ほど手強くないが、それでも並みの兵士では相手にならない。
皮膚は固く、柔らかい首部分や関節を攻撃するしかない。
「殿下! 負傷兵の移送が完了しました!」
「左右の部隊から徐々に後退! 中央は最後だ!」
指示を出しながら、アンセムはチラリと後ろを見る。
海にはまだ大量の船が浮いていた。
このまま突破を許せば、海上で避難民は攻撃を受ける。
それだけは避けなければならない状況だった。
「うぉぉぉぉぉ!!」
アンセムは力を振り絞り、三体の偽獣兵を斬り伏せる。
そして剣を掲げて、兵士たちを鼓舞した。
その程度しか今のアンセムにはやれることはなかったからだ。
■■■
「第一層陥落!」
「王国軍は!?」
「殿を務めたアンセム王子の部隊が今、第二層に入りました!」
「よし!」
レオは深く息を吐く。
第一層は陥落した。
守っていた王国軍が弱かったわけじゃない。王国軍は文字通り奮戦し、相手に多大な出血を与えた。敵が人ならとうに撤退しているはずの損害を与えたのだ。
まるで虫の行進のように、恐れを知らず前進してくる敵が異常なのだ。
モンスターという分類にしたとしても、なお異常。
モンスターとて生物だ。本来なら恐れを抱き、人間の軍隊を襲うなんてこと滅多にない。
しかし、あの偽人兵と偽獣兵は違う。
恐怖を感じる気配すらない。
目的意識を持ち、連携すらするのに恐怖を感じない。
ただひたすらに向かって来て、人を殺す。
それが数万だ。
壁すら時間稼ぎにしかならない。
かつて見た〝悪鬼〟とはだいぶ違う。
それでもと、レオは思っていた。
≪救済の光は天より降り注いだ・人々に救済をもたらすために・その輝きは神の慈悲・その金色は天上の奇跡・魔なる者よ懺悔せよ・天は善なる者を見捨てない・この金光は破邪の煌きである――ホーリー・グリッター!!!!≫
しっかり準備をしたうえでの最大威力の聖魔法。
第一層を突破した偽獣兵や空から迫っていた偽人兵が結界に囚われ、そこに金色の光の柱が降ってくる。
相手方の先鋒。
それを丸々飲み込み、レオのホーリー・グリッターが発動した。
眩い光に兵士たちは思わず顔を隠すが、その魔法の後、敵が消滅しているのを見て、一斉に歓声が上がった。
「うおおおおぉぉぉぉ!!」
「さすがレオナルト殿下だ!」
「勝てるぞ! これは勝てるぞ!!」
そう何度もできることではない。
今も一気に疲れている。
それでもレオは表に出さない。
その視線の先はさきほどまで偽獣兵がいた場所に向けられていた。
探しているのは生き残り。
どこかに人に戻った者はいないか。
それをレオは探していた。
けれど、どこにもいない。すべて消え去っていた。
それはつまり、もはや偽人兵も偽獣兵も人間ではないということだ。悪魔に近い魔の眷属。
「……全軍! 第二波に備えよ! 避難民が無事脱出するまで! この壁を死守するぞ!!」
レオはそう兵士たちを鼓舞し、すでに空に上がっているウィリアムのほうを見た。
「第一波はあの四足歩行が主力だったが、第二波は偽人兵も本格的に参戦するようだな」
「空の守りを頼みます。ウィリアム王」
「任せろ。空は我らの庭。好きにはさせん。だが……私はいざとなればお前を引きずってでも撤退するぞ。いいな?」
「あなたの立場では仕方ないでしょう……」
ウィリアムは帝国軍の援軍に来た身だ。
ここでレオが討たれるようなことがあれば、連合王国にとっては非常にまずい。
王国の避難民のことも気がかりだが、ウィリアムは連合王国の王として、そして亡き友のためにも、レオをここで死なせるわけにはいかなかった。
レオもそれは良く理解していた。
けれど。
「言いづらいことを言わせてしまい、申し訳ありません。ウィリアム王。自分の立場は良く理解しています。手間をかけさせませんので、ご安心を」
「安心はできんな。アードラーの者は私の忠告を聞かないと知っているのでな。困ったことに、私はそういうアードラーが嫌いではない。存分にやれ、後始末は私が引き受けよう」
そう言ってウィリアムは空へ上がる。
この場での後始末。
それはいざとなれば、レオだけを逃がし、自分は殿を務めるということだった。
レオを死なせてはいけないと心から思っていた。
亡き友に勝った者だ。幾度も戦った相手でもある。次の皇太子にはレオがなるべきだとウィリアムは思っていた。
そう思うと同時に一国の王として、モンスターに変えられた哀れな王国の民と、それから逃げる避難民を想う気持ちもあった。
「突撃陣形! 第二層に偽人兵を近づけさせるな! 友軍の頭上は我らが守るぞ!!」
そう言ってウィリアムは自ら先頭を切って突撃したのだった。