第六百二話 竜王
空。
雲のさらに上を飛行する一団があった。
その先頭を駆けるのは赤い飛竜に跨った精悍な男。
「陛下、もう少しでレオナルト殿下に合流できるかと」
「もうそんなところまで来たか……遅れてしまい、決着がついていないといいが」
「相手はあのアンセムです。そう簡単にはいかないかと」
側近であるロジャーの言葉にウィリアムは苦笑する。
そしてゆっくりと愛竜の首を撫でた。
これから戦闘だというのに愛竜はリラックスしている。
それはウィリアムにもいえた。
想像していたより、よほどリラックスできていた。
きっと、覚悟が決まっているからだろう。
この出陣にウィリアムは迷っていなかった。
■■■
連合王国。
玉座を竜騎士団の力で奪い取ったウィリアムの下に、マリアンヌが来たのはだいぶ前のことだった。
「竜王陛下。どうか帝国に協力を」
マリアンヌの訴えは至極当然のことだった。
ウィリアムは帝国の危機に際して、必ず助けると皇帝に約束していた。非公式な会談での発言ではあるが。
当然、ウィリアムもその言葉を忘れてはいない。
ただし。
「協力はする。しかし、国内が安定しない以上、私の出陣は難しい」
「それでは意味がありません。皇帝陛下が求めているのは強力な竜騎士団の援軍。あなたが率いる竜騎士団が帝国には必要なのです」
「我らは帝国に攻め入った身。それに対して寛大だった帝国に恩義があることはわかっている。だが、我が国は属国ではない。すべて言う通りにすることは、申し訳ないができない」
帝国と連合王国。
両国の関係は微妙なバランスで成り立っていた。
ゴードンに与した連合王国は間違いなく、帝国に敗北した。
けれど、本国の戦力は無傷。さらには海を挟んでいるため、藩国のように逆侵攻するのは容易ではない。
海という天然の要害は帝国をもってしても越えがたいのだ。
しかし、負けは負け。追撃をするかどうかは帝国の気分次第。
そこで起こったのがウィリアムのクーデター。親帝国の姿勢をウィリアムが取ったため、帝国は連合王国を敵に回すことをやめた。
目下の敵は藩国と王国だったからだ。
ウィリアムは皇帝に対して全面的な協力を約束した。攻め込まれれば、不安定な連合王国では勝ち目がないとわかっていたからだ。
そんな連合王国にやってきた援軍要請。ウィリアムは竜騎士団を派遣するつもりだったが、マリアンヌの要請は想像以上に強気だった。
「半端な姿勢は連合王国のためにはならないと思いますが?」
「マリアンヌ王妃。まるで帝国からの正式な使者のような振る舞いだが、話を聞くかぎり、あなたは頼まれただけのはず。どうしてそこまで強気に振る舞うのですか?」
「私がそうするべきだと思ったからです。私が皇帝陛下から頼まれたのは、援軍を要請するだけ。これは私自身の言葉です。藩国の王妃として、私は連合王国の賢明な判断を求めます。海を挟んでいても、我が国と連合王国は隣国。これからもより良い関係を築きたいと思っています。ですから、時流をお読みください。竜王陛下」
ウィリアムとマリアンヌの会談はそれで終わった。
マリアンヌの言いたいことはよくわかっていた。
ここで援軍を出し渋るのは悪手、そして半端な援軍では帝国の助けにならない。
形だけの援軍を帝国は求めてないのだ。
しかし、連合王国内でウィリアムは簒奪者と見られていた。
多くの貴族はウィリアムに嫌々従っているのだ。国を離れれば、何が起きるかわからない。
王になった以上、国を安定させることこそ最優先。帝国とてそれはわかってくれるはず。
そんな思いがウィリアムの心にはあった。
けれど、マリアンヌの強い言葉がそれを打ち砕いてしまった。
きっと、ここで判断を誤れば連合王国はいずれ報いを受ける。
「ロジャー、主要な貴族たちを招集してほしい」
■■■
集められた貴族たちは何事かと顔を見合わせていた。
表面上、貴族たちはウィリアムのことを立てていた。
ウィリアムがクーデターという手段に出なければ、ウィリアムという王を喜んで受け入れていただろう。
しかし、クーデターはクーデター。どれだけ良き王であろうと、力に頼った簒奪者であるいう認識があった。
事情はよくわかっている。前王は帝国との戦の責任をすべてウィリアムに押し付けるつもりだった。
ゴードンに力を貸すべきではないと、ウィリアムは最初から訴えていたのに、だ。
よくわかっているからこそ、貴族たちの心境は複雑だった。
そんな貴族たちにウィリアムは告げる。
「帝国より援軍要請が入った。王国と一戦交えるつもりのようだ」
「陛下、帝国とは協調路線を取っています。援軍を出すべきかと」
「我々もそう思います」
援軍を出すことに反対する者などいない。
元々、王国とは同盟を結んでいたが、もはや過去の話。
連合王国や藩国が国境を越えて、帝国軍と戦っている時、王国軍は国境を抜くことができなかった。
結果、連合王国と藩国は多くの損害を出すことになった。
そんな国に今更義理立てしても仕方ない。
だから問題はどの程度の援軍を出すべきか。
そのために集められたと察した貴族たちは、次の意見を考え始めた。
しかし。
「そう言ってもらえると思っていた。では、留守は任せる。援軍には私が竜騎士団を率いて向かう」
「へ、陛下自らですか!?」
「それはさすがに……」
ウィリアムの言葉は貴族たちにとって予想外なものであった。
これまでウィリアムは国内の安定に注力してきた。そのウィリアムが突然、帝国のために王国まで援軍に行くという。
一貫性のなさに貴族たちは困惑した。
しかし。
「マリアンヌ王妃に時流を読めと言われた。たしかに流れは帝国にある。帝国につくべきだろう。だが、私の頭には国内の安定という課題があった。それが間違いだと気づいた。知らず知らずのうちに、私は玉座を守ることを考えていた。大事なことだが……貴公らには簒奪者が玉座に執着しているようにしか見えなかっただろう。申し訳ない」
そう言うとウィリアムは玉座を立った。
そして。
「私は連合王国の武勇を帝国、そして王国へ示しにいく。この玉座は空けていくが……奪うも、守るも好きにせよ。私が拘るのは連合王国の無事だ。私の王位よりも、連合王国は帝国にとって有益な相手だと示すほうが連合王国のためだろう。ゆえに行く。留守は任せた」
そう言ってウィリアムは貴族たちの前を通って退室していく。
それに対して貴族たちは一礼して見送った。
「留守はお任せを」
しめしめと思う者はいなかった。
あそこまで躊躇なく玉座を捨てられては、それに飛びつく度胸など貴族たちにはなかったというのと、自分たちに信頼を示すウィリアムに対して、簒奪者という意識が薄れたからだった。
そしてウィリアムはトラウゴットと協力して、竜騎士団を大陸に渡らせたのだった。
■■■
「報告! 帝国軍と王国軍はこの先の都市、シャンタルで交戦中の模様!」
「妙だな。籠城戦か?」
「いえ! 帝国軍は王国軍が操るモンスターと戦っているようでした!」
「モンスターを使ったのか? 追い詰められたとはいえ、愚かなものだ。我が国は笑えんがな」
そう言ってウィリアムは全軍に前進を命じた。
先頭を駆けるのはもちろんウィリアムだ。
雲を抜け、シャンタルを視界に収める。
報告のとおり、たしかに帝国軍はモンスターと戦っている。
「ロジャー、帝国軍の援護に向かえ! 小隊はついてこい! 私はシャンタルに向かう!」
モンスターを操る者がいるはず。
瞬時にそう判断し、ウィリアムは竜騎士たちを率いてシャンタルに急降下する。
だが、そんなウィリアムの目にモンスターに捕らえられようとしている女性が目に入った。
そんな女性に向かって、金髪の青年が叫んだ。
「姉上! お逃げを!!」
すぐにウィリアムは相手がどういう身分なのか察した。
女性のほうに見覚えがあったからだ。
会ったのは一度だけ。しかし、美しい女性だったからしっかりと覚えていた。
部下を置き去りにして、ウィリアムはさらに降下していく。
脳裏によぎるのは親友の言葉。
〝家族を頼む〟
あの時、どうして妻と娘だけではないのか。よくわからなかった。
けれど、今ならわかる。
きっとこれからさらに困難に見舞われる家族を助けてほしい。そういう願いだったのだろうと。
だからウィリアムはやってきた。
国益があったから。それはもちろんだ。
けれど、それだけではない。
「〝お前〟の代わりは私がこなして見せよう」
そう言ってウィリアムは女性に迫るモンスター、二体の偽人兵を瞬時に〝撃ち落とした〟。
帝国の魔導杖を参考に、連合王国の竜騎士でも使えるように改良された試作品。
〝竜魔槍〟。
その力に満足しつつ、ウィリアムは女性の前に降り立った。
「フランシーヌ王女殿下……ご無事ですか?」
「……ウィリアム王子……!?」
「今は少し違います。帝国同盟国、連合王国の竜王〝ウィリアム〟です」
そういうとウィリアムは笑みをこぼした。
この名乗りをするのが夢だった。
いつか、友の下へ駆けつけてそう言ってやりたかった。
少し形は違うが。
今、それが叶った。
「ウィリアム……! 邪魔をするな! この裏切り者が!!」
マゼランは突然現れたウィリアムに激高する。
しかし。
「貴様らと手を組んだのは父だ。私は仲間などと思ったことは一度もない。私が味方したのは心からの〝友〟だけだ。勘違いで裏切り者呼ばわりはやめてもらおう」