第六百一話 偽人兵
「愚か者どもめ……王国を滅ぼすつもりか……?」
理解が追い付かない中でも、アンセムは冷静に王太子とマゼランの行動のまずさを察することができた。
「あなたに王国が守れないから我々が守っているのです。滅ぼすつもりとは?」
「あのような化物を使えば、賢王会議にて〝大陸の敵〟として認識されるぞ? そうなれば世界が敵だ。王国は焦土と化すぞ!?」
「あれは我が国の志願兵です。モンスターではない。薬を使って強化しただけですよ。魔法を使うのと大して違いはない」
「なん、だと……?」
「非力な者が亜人化する薬に頼っただけのこと。しかも、その薬が作られたのは帝国内のことです。さらにいえば、完全なコントロールをこちらは握っている。帝国で作られたときは感染能力もあったようですが、今はそれも取り除かれている。ただ強いだけ。どこがモンスターですか? 姿は異形ではありますが……あれだけで〝大陸の敵〟認定はできませんよ」
「馬鹿が……悪魔が潜伏していた我が国のことを冒険者ギルドも帝国も怪しんでいる……! 多少強引でも結論を急ぐに決まっている!」
「それでも確証がなければSS級冒険者はやってこない。それならあの兵士たちを使って、すべて追い払えばいいんですよ」
本気でそう思っている。
声色からそう判断して、アンセムは議論を諦めた。
こちらがまずいと思っている状況を、マゼランはまずいとは思っていない。
危機感を共有できていないならば、議論にはならない。
「ご理解いただけたようで満足です。では、こちらへ。民を集めてありますので」
マゼランは笑みを浮かべて、アンセムに道を示した。
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シャンタルの中央には大勢の民が集められていた。
集めたのは籠城していた兵士たちだ。
マゼラン経由での命令だったが、彼らはアンセムの命令だと言われていたからだ。
そんな彼らのところに、黒い鎧を着た王太子の直轄部隊が続々と箱を運び込んできていた。
「どうです? この数なら五千は見込めます。待望の援軍ではありませんか? 殿下」
そこにやってきたマゼランとアンセム。
マゼランは普通に歩いているが、病み上がりであるアンセムは歩くだけで精一杯だった。
そんなアンセムを見つけて、リゼットがすぐに駆け寄る。
マゼランが来て、すぐに引き離されたからだ。
「殿下!」
マゼランの傍にいた直轄部隊がそれを遮ろうとするが、マゼランはそれを許した。
リゼットが傍にいたところで、できることはたかが知れているからだ。
「リゼット……」
「お許しください、殿下……何もできず……」
「良い……」
そう言ってアンセムはリゼットを自分のほうに引き寄せて抱きしめた。
そして。
「苦労をかける……ミレーヌはどうした?」
「いえ……姫様の奪還に向かっています」
後半部分は小声だった。
耳元でのやり取り。
必要な情報を受け取ったアンセムは深く息を吸い込み、まだ力の入らない体に活を入れる。
ピンチはいつでもチャンスの前触れだ。
恐ろしい状況なのには変わりない。
しかし、自分に言うことを聞かせるために敵は切り札を切った。
姉という切り札だ。
それさえ取り戻せれば……逆転はある。
「マゼラン……聞かせろ……王太子は……どれほどの戦力を抱えている?」
「あの兵士たち……我々は〝偽人兵〟と呼んでおりますが、あれがまだ一万控えています」
その言葉にアンセムは歯を食いしばる。
それはつまり、十万の民が犠牲になったということだ。
それを大したことないようにマゼランは告げた。
もはや、同じ人間ではない。アンセムはそう認識した。
戦争で犠牲になる兵士は何万もいる。だが、ただの民が十万も犠牲になるなど……。
聞いたこともない。敵国よりよほど恐ろしい所業だ。
「それで帝国と冒険者ギルドを防げると?」
「防げねば増やすだけのこと。レチュサ同盟に侵攻したのは、実験体の確保という意味もありましてな。おかげで薬はたくさんできました」
自分も片棒を担がされていた。
そのことにアンセムの気力が萎えそうになる。
自分を信じるからこそ、アンセムは自信家でいられた。
けれど、今は自分を信じることができなかった。
どこまでいっても、祖国のためにという思いで戦っていた。けれど、その祖国がもはや後戻りができないほど腐っていた。
それをまざまざと見せつけられると自分を信じることができなかった。
残虐非道な行いだ。それを命じた男と同じ血が自分に流れていると思うと、それだけで吐きそうになった。
それでもアンセムは自分を保っていた。
姉のために。
「……少し考える時間をくれ」
「即断即決がモットーでは? 敵軍は目の前。何を迷う必要があるのです?」
「偽人兵を生み出し、帝国軍を壊滅させたあと、その偽人兵がこちらに向かって来ないという保証はどこにある?」
「我らを疑うと?」
「当たり前だ。俺だけならまだしも……兵士たちを守る義務が俺にはある」
「では、どうしろと?」
「……ことここに至って、自分の命を惜しみはしない。王太子が俺のことを恐れていることは知っている。煮るなり焼くなり好きにしろ。ただ、兵士の半数は要塞に向かわせる。そちらのほうがお前たちも安心だろう」
「民が反乱を起こしたらどうするおつもりで?」
「責任をもって制圧する。それに、直轄兵たちにも何か細工があるのだろう? 気にすることはあるまい」
「なるほど……では急いでいただけますかな?」
マゼランに言われ、アンセムはリゼットに兵士の選抜を命じた。
年若い者を優先に選抜はどんどん行われた。
これが精いっぱいの時間稼ぎ。
状況を理解しているミレーヌならば、この機に乗じて動いてくれるはず。
そう信じての行動だった。
そして。
そのときはやってきた。
大きな爆発が都市の外れにある大きな屋敷で起こった。
その瞬間、リゼットがアンセムを連れて、マゼランから距離を取る。
兵士や民にも動揺が走るが、マゼランはため息を吐くだけであり、直轄兵たちは動揺すらしていなかった。
「やれやれ……困った方だ」
マゼランはそう言うと視線を右に向ける。
そこにはアンセム直轄の隠密たちに守られながら、走ってくる金髪の女性がいた。
「姉上!!」
「アンセム!!」
待ち望んだ姉の姿にアンセムの目が輝く。
だが。
「感動の再会ですな。しかし、話が違うのは困りますな」
そう言ってマゼランは懐から球体を取り出す。
その瞬間、空から偽人兵が降下してきたのだった。