第五百九十一話 開戦五日目
開戦から四日目。
アンセムは帝国軍本陣を巧みに狙い続けた。
中央に意識を割かせ、左右から狙うこともあれば、左右に意識を割かせ、中央突破を狙うこともあった。
それらすべてにレオは対応していたが、レオが気づけたとしても指示を出して軍が動きだすまでは時間がかかる。
その時間差をアンセムは常に狙っていた。
しかし、レオは懸命にその攻勢をしのいだ。
より早く、より事前に。
各部隊間の連絡を密にして、アンセムの動きに対応した。
とはいえ、数で勝るのは帝国軍にも関わらず、攻め込むのは王国軍ばかりという状況は変わらなかった。
それでもレオは各部隊を回り、兵の士気を保ち続けた。
やられる一方のように見える状況も、アンセムを寄せ付けていないと見ることもできる。
言葉巧みに兵士を勇気づけ、レオは帝国軍をより戦える組織へと変貌させていた。
「しぶとい、な」
アンセムは攻勢をかけるたびにどんどん粘り強くなる帝国軍、そしてそれを指揮するレオに対してそんな言葉を送った。
それは賞賛だった。
後方に配置している奇襲部隊を生かすため、アンセムは全力で本陣を狙っていた。
幾度も帝国軍の守備が破れかけたのがその証拠。
そのたびに帝国軍はほころびを直し、より強固な防御を敷いてきた。
アンセムという脅威に対して、堅牢な壁を打ち立てたのだ。
しかし、それはアンセムの思惑どおりだった。
「そろそろ頃合いだな」
後方の奇襲部隊には全軍による一斉攻撃を合図として、敵本陣を強襲せよと命令していた。
これだけ前方に意識を植え付けた以上、帝国軍は奇襲に対応できない。
堅牢な防御という壁の中にいるため、彼らは安心し、自信をつけている。
一斉攻撃をかければ、全力で跳ね返しにくるだろう。
そのときこそ、狙い目。
一日以上をかけての布石。
攻勢が全力だったからこそ、陽動とは疑われない。
これまでことごとく手を読まれてきたアンセムだが、この一手は読まれないという自負があった。
あとは一斉攻撃のタイミングだけ。
「五日目の朝。全軍でもって帝国軍の防御を破る」
全軍に対してアンセムはそう通達した。
これ以上、長引かせるわけにもいかない。
今のところ優勢な王国軍ではあるが、それはこの戦場に限った話。
全体としては帝国軍が王国深くまで侵攻してきている状況だ。
この決戦に勝ったとしても、まだまだ帝国軍は健在なうえに、姿の見えない援軍も存在する。
とにかくこの決戦でレオを討つなり、捕虜にするなりしないと明日はない。
アンセムはしっかりとそのことを理解していた。
■■■
五日目の朝。
王国軍内には独特な緊張感が漂っていた。
全軍による一斉攻撃が知らされたからだ。
これまで、中央軍による突破や、両翼による突破は試みられたが、全軍で一気に攻勢に出るのは初。
ここで決めに行くということは末端の兵士にもわかった。
いよいよ決着の時。
その思いが独特な緊張感となって、全軍に漂っていた。
士気は上々。
自軍の状態を見て、アンセムは小さくうなずく。
「リゼット。今日は中央軍の指揮をとれ」
「しかし、殿下の護衛が……」
「構わん。中央にはより武力が求められる。お前の力が必要だ」
直属の護衛であるリゼットはアンセムの剣であった。
体調に不安を残すアンセムにとって、身の回りの世話をするリゼットはそう簡単に前線へ送り出せる存在ではない。
それでも前線に送り出すのは今日が勝負の日だから。
今日こそは帝国軍を打ち破る。
そんな決意を固めていたアンセムだが、ふと帝国軍の様子がいつもと違うことに気づく。
「待て……どういうことだ……?」
初日こそ騎馬隊による突撃を敢行した帝国軍だが、その後はずっと守勢に回っていた。
ゆえに騎馬隊は後方に下がっていた。
にもかかわらず、今は騎馬隊が前に出てきている。
さらに帝国軍には〝独特な緊張感〟が漂っていた。
それは王国軍と同種の緊張感。
そのことに気づいたアンセムはすぐに伝令を出す。
「両翼に伝令! すぐに攻撃開始! 我々も前に」
言葉は最後まで続かない。
帝国軍中央の空。
黒い鷲獅子が羽ばたいた。
あとにはレティシアを慕い、帝国軍に下った鷲獅子騎士が続く。
その姿を見て、帝国軍が大いに沸いた。
士気の高さは王国軍を上回る。
王国軍と帝国軍。
数こそ王国軍が劣るものの、戦力としてはほぼ互角。
ただし明確な違いが一つあった。
率いる指揮官の性質だ。
アンセムはあくまで司令官。指示を出すことが仕事であり、そこが一番輝ける。
かつては前線に出ることもできたが、今となってはそれもかなわない。
それでも今なお輝けるのは、卓越した戦術眼を持っているからだ。
そんなアンセムだったが、レオの性質を失念していた。
それは長い布石だったのかもしれない。
この戦争が始まってからというもの、レオは常に守勢に回っていた。
粘り強い指揮官。守勢に長けた良き将。
そんな印象をアンセムは抱いていた。
堅実で崩れない。
実際、その印象は間違っていなかった。
レオは堅実で崩れない。守勢に回ることで真価を発揮する。
ただし。
レオは何でもできる。
自ら最前線にて剣を振るい、全軍を率いることだってできる万能な将軍だ。
今まで目立った攻勢がなかったため、アンセムの中でどこかレオは常に防衛に回るという先入観があった。
守勢に回って援軍を待っている。
そう思っていたからこそ、頭の中で想定される帝国軍はすべて受け手側。
だが、これは戦争。
こちらが考えるように、相手も考える。
相手がどんな行動に出るのか? それを決めつけるのは危険な行為といえた。
「帝国軍全軍に告ぐ!! 今日こそ決着の時!! 今こそ、諸君らの力を見せる時だ!! 帝国軍総大将レオナルトが命を下す――僕の背を追え!! 一歩も遅れるな!!」
レオは空から号令をかけ、帝国軍全軍による攻勢を開始した。
全軍による一斉攻撃をかける側と思っていた王国軍は、その号令と迫りくる帝国軍に浮足立つ。
だが。
「狼狽えるな! 敵は頼みの綱の防御を捨てたぞ! 今こそ好機! 全軍突撃!!」
全軍による一斉攻撃。
そう指示していた以上、半端に防御に回れば崩れてしまう。
ゆえにアンセムは剣を盾で受け止めるのではなく、剣を剣で弾く形をとった。
王国軍もアンセムの号令を受けて、全軍による一斉攻撃に出る。
両翼に加えて、主戦力である中央軍が猛烈な勢いでぶつかり合う。
その様子を見てアンセムはつぶやいた。
「アルノルトの弟だとわかっていたつもりだったが……理解していなかったな。まんまと騙された。弟も食わせ者か」




