第五百八十四話 我慢比べの相手
十三万。
現在、稼働可能な帝国軍の戦力だ。
右翼部隊は三万。そのうち二万を失った計算になる。
状況があまりにも悪すぎた。
敵国内ということもあり、帝国兵は周辺の地形に疎い。
さらに帰るべき本隊との距離はそれなりにあった。
そのため、戻ってこられた兵士は一万前後。
残る二万がすべて討たれたわけではないが、少なくとも戦線復帰はしていない。
さらに右翼を率いていた将軍とその側近はすべて死亡。
二万に加えて、将軍とその側近たちまで失った。
撤退を視野にいれてもいい損害だ。
だが、それでも敵軍は十万。帝国軍は十三万。
まだ戦力としては帝国軍のほうが上だった。
「こちらも奇襲部隊を繰り出して、敵本隊を奇襲しましょう!」
首脳陣が集まっての軍議。
敵本隊への奇襲を提案したのは左翼部隊を率いていたザンデル将軍だった。
元々、帝国南部にいた将軍だが、まだ三十代半ば。
ハーニッシュよりは年上だが、将軍にしては若い。
内乱では前線に出る機会はなかったが、帝国への忠義を買われて、帝都周辺の守備に当たっていた。
そんなザンデルの言葉にハーニッシュはイラついたように呟く。
「敵の思う壺だ、それがわからんのか?」
「なにぃ?」
「こちらが敵を見ているように、敵もこちらを見ている。向こうがこちらの目を掻い潜れたのは、地の利があればこそ。それがこちらにはない。奇襲部隊など出してみろ。各個撃破されるだけだぞ? それこそ向こうの狙い。そうやってこちらの戦力を減らし、弱ったところを叩く気なのは明白だろ?」
「ならばどうするというのだ!? これほどの損害を受けて黙っていろとでも!?」
「打つべき手は打つ! だが、損害が出る手は打たない! 何かしたいというだけで、提案をするな! 死ぬのは兵士なのだぞ!?」
「私が兵士の命を軽視しているとでもいうのか!?」
「ああ、そうだ。兵士どころか帝国軍全体を軽視している。そうでなければ奇襲部隊など提案できるわけがない。ここは敵国内だぞ? そして我々は一万の部隊の接近に気付くこともできなかった。そんな相手にどうやって奇襲すると? 教えてもらえるか? ザンデル将軍」
「いいだろう。私に策がないとでも言いたいようだが、策ならある」
そう言ってザンデルは机の上に広げられた地図。
その上に置かれた駒を一つ掴んだ。
帝国軍を現す駒の一つだ。
ザンデルはそれを後方に下げ、北部に持っていく。
「我らには確かに地の利はない。だが、北部の者ならある。奇襲部隊を選抜し、後方に下げ、北部にてレティシア様と合流。そこから敵の監視網を潜り抜け、敵本隊を奇襲する。その奇襲を合図として、本隊は進軍開始。敵軍を一気に要塞内まで押し込む!」
「はぁ……」
ザンデルの策にハーニッシュはため息を吐く。
そして。
「その奇襲部隊が敵本隊にたどり着ける保証は? こちらは地形に疎かった。だが、向こうは精通している。防御側の条件が違う以上、奇襲が成功するとは限らんぞ? それに一体、何日かかる? その間に敵と決戦となれば戦力が減るだけだぞ?」
「さきほどから文句ばかり! 文句があるなら代案を出せ! このままここで待機しているわけにはいかんのだからな!」
ザンデルはハーニッシュに向かって持っていた駒を投げつける。
だが、前線を張る将軍だ。ハーニッシュは簡単にその駒を受け止めた。
ザンデルとしても、それでハーニッシュが怪我をするとは思っていなかったが、つまらなそうに受け止めたハーニッシュを見て、顔をしかめる。
「お二人とも。総大将の御前です」
「お、お許しを、殿下」
「お許しください。殿下」
セオドアに指摘されて、ザンデルは慌てて頭を下げ、ハーニッシュは静かに頭を下げた。
それに対して黙っていたレオが口を開く。
「熱くなるのは悪くない。互いにもっと言い合ってくれていい。奇襲を提案したから、その奇襲の危険性も認識できた。ザンデル将軍の積極性も、ハーニッシュ将軍の冷静さもありがたいと思っているよ。ただ、今の話を聞くかぎり、奇襲はそう簡単にはいかないようだね」
そう言ってレオは軽く笑う。
総大将が気負っている様子もないため、ザンデルとハーニッシュも肩の力が抜けた。
二人が落ち着いたのを見て、レオはゆっくり深呼吸をする。
味方同士でいがみ合っている場合ではない。
どうにかこういう状況を打破するには、目に見える戦果が欲しくなる。
だが、それを欲すると罠にはまる。
ここは耐え時。
そうレオは自分に言い聞かせていた。
ただ、今回は少し違った。
「ここ〝も〟、かな」
戦争が始まってからというもの、常に耐えてきた。
しびれを切らすのを向こうは待っている。
だが、レオは戦争が始まる前から耐える気でいた。
戦場で圧倒的な力を発揮する敵将アンセム。
弱点らしい弱点はない。
広大な視野を利用した戦略的な立ち回りから、前線で指揮しての猛者ぶり。
どの立場でも力を発揮している。
ただ、本人に弱点がなくても王国にはある。
レオは最初から我慢比べのつもりだった。
そして相手はアンセムではない。
レオの我慢比べの相手は王国の王太子だった。