第五百七十六話 噂
「レティシア様が北部の都市群を押さえてくだされば、連合王国からの援軍も見込めますね」
帝国軍の本陣。
レオの天幕で護衛を務めるセオドアがそう言って、レオに話しかけていた。
しかし、レオは首を横に振った。
「王国北部を掌握しても、連合王国からの援軍は来ないよ」
「はい?」
出陣前。
皇帝より連合王国に援軍要請を出したという情報がもたらされていた。
だからこそ、セオドアは首を傾げていた。
「正確には来れない、かな。帝国からの要請に応えようにも連合王国には現状、打つ手がないんだ」
「というと?」
「王国は二つの艦隊を持っている。北部艦隊と南部艦隊。北部艦隊ができたのは連合王国からの侵攻があってから。つまり、連合王国が王国に攻め込んだ時。王国は北から連合王国が攻め込んでくるなんて思いもしてなかったんだ。だから艦隊も配置してないし、防備も脆弱だった」
「今は艦隊が配置され、防備も整っているから連合王国は上陸できないということですか?」
「そういうことだね。連合王国は聖竜を使って、自国を防衛している。だから連合王国近辺を商船が通るためには、連合王国の許可が必要になる。当然、割高な海上ルートになるから、致し方ない場合以外は使わないルートになる。王国の北側はそういう理由で、あまり海上貿易が盛んじゃなかった。それが連合王国にとっては狙い目だったんだ」
船が少ないから海上からの侵攻に気付くのが遅れてしまった。
防備が薄いから、大した抵抗もできなかった。
それらの理由で王国は連合王国の奇襲を受け、しばらくの間は劣勢に立たされた。
しかし、それは昔の話。
今は艦隊を配備し、防備も整えてある。
連合王国が帝国に援軍を送る場合、海上で北部艦隊を突破する必要がある。
進軍ルートを確保しなければいけないからだ。
それには膨大な戦力と時間がかかる。
「王国も馬鹿じゃないからね。北の守りは常に堅い。連合王国からの攻撃は常に予測してきたことなんだ。対して、連合王国はシルバーとの戦いで聖竜を失っている。三頭いた頃なら、本国の守りをすべて聖竜に委ねて、海軍を総動員することも可能だっただろうけど、今は聖竜が一頭だけ。各地の防衛網に穴がある状態だ。そんな賭けには出れない。だから、連合王国は援軍を出せないんだ」
援軍要請は確かに出ただろう。
だが、出したからといって来るとは限らない。
レティシアが北部の都市群を押さえたとしても、北の港はおそらくビクともしない。
王国軍に圧をかけることはできるが、戦局を変えるほどじゃない。
それがレオの判断だった。
「では、この膠着状態。どうされるおつもりですか?」
膠着状態は敵の望むところ。
このまま突破しても、軍は損耗する。
そして損耗した帝国軍ならば敵は勝てると踏んでいる。
このままでは相手の思い通りということになる。
「もちろんこのままっていうわけにはいかない。けど、しばらくは都市の包囲を継続する。レティシアがどれだけ北部の都市群を掌握できるか。そして相手がそれに対してどう出るか。それを見てから動くよ」
「それでは相手に対策されてしまうのでは? レティシア様が北部都市群を掌握した時点で動けば……」
「どれだけ動いても相手は対策してくるよ。焦っても仕方ない」
静かにレオは告げる。
冷静なのは覚悟していたから。
どれだけ頑張っても劣勢になるだろうと、覚悟していた。
勝てると誰もが思って前線に出てきただろうが、レオだけは違った。
アルが警戒を示していた時点で、自分では勝ち目が薄い相手だと思っていた。
自分がアルに勝てないからだ。
それでも負ける気はなかった。
負けるわけにはいかなかったからだ。
「ほ、報告! 軍内で妙な噂が流れています!!」
「妙な噂?」
セオドアの部下である近衛騎士が天幕の中に入ってくる。
セオドアはチラリとレオを見る。
レオは小さく頷く。
「どんな噂だ?」
「はっ、王国軍内で聖女レティシア様の身を狙う動きがあるというものです。信ぴょう性のある噂のせいか、広がるのを止められません。このままでは士気に関わるかと」
「そんな噂が……」
セオドアは腕を組み、考え込む。
ない話ではない。
王国軍には動機があり、現在、レティシアは本陣を離れている。
状況は揃ってしまっている。
だが。
「拡声の魔導具を準備。全軍に僕の声を届ける」
「は、はっ!」
「どうなさるおつもりですか?」
「噂が深刻になる前に止めるんだよ」
どうやって。
それについてはレオは何も言わない。
本陣の天幕前。
拡声の魔導具が用意された。
それを手に取り、レオは全軍に語り掛けはじめた。
「そのまま作業を続けながら聞いてほしい。僕は全軍の指揮を預かるレオナルト・レークス・アードラーだ。さきほど妙な噂を聞いた。聖女レティシアの身を王国軍が狙っているというものだ。信ぴょう性のある噂だ。不安になる気持ちもわかる。だからこそ、ここに断言しよう。王国軍の魔の手がレティシアの身に届くことはない、と」
一度言葉を切り、レオは周りを見渡す。
本陣の前には続々と兵士たちが集まっていた。
そんな彼らに向けてレオは告げる。
「聖女レティシアの傍にはエルナ・フォン・アムスベルグがついている。我が帝国が誇るアムスベルグが、だ。この言葉の意味をわからない帝国の者はいないだろう。アムスベルグは常に帝国を守ってきた。その功績を疑う者は我が帝国にはいない。僕はそう信じている。ゆえに! この噂はこちらを動揺させるために敵が流した噂だ! 諸君! 心を乱すな! 敵は我らを恐れている! だからこそ、このような噂を流すのだ! それでもまだ噂を口にするような者は今すぐ……帝国に帰ってもらって構わない。アムスベルグを信じられないというなら、僕も信じられないだろう。僕は僕を信じない者、アムスベルグを信じない者、ひいては帝国を信じない者たちに背中を預ける気はない。帝国軍としての矜持があるなら覚悟を決めろ!! 噂程度で動じるな!! 諸君の後ろには常にアードラーがおり、諸君らの傍には常にアムスベルグがいる!! 全将兵!! このレオナルトを信じてついてくるんだ。そうすればこの戦、必ず勝てる」
そう締めくくると、レオナルトは剣を抜き放ち、空に掲げた。
それに合わせて兵士たちが大歓声をあげたのだった。
「お見事です、殿下」
剣を鞘に納め、天幕に戻ってきたレオに対してセオドアは告げる。
しかし、レオは顔をしかめていた。
「ほとんど虚勢さ」
「そんな風には見えませんでしたが?」
「弱さを見せれば敵に付け入られるからね」
「では、レティシア様に護衛を派遣しますか?」
「噂を事実と認めるようなものだ。何もしないよ。それにほとんど虚勢ではあるけれど、エルナを信頼しているという点だけは事実だ。ここは戦場だ。エルナの邪魔をするものは何もない。来れるものなら来ればいい。僕の幼馴染は最強だからね」