第五百七十話 両軍出陣
「全軍!! 前進!!」
黒い鷲獅子に乗ったレオは、空から十五万の大軍勢に号令をかける。
一歩、一歩と兵士たちが進んでいく。
帝都での反乱から始まり、王国との戦争中、常に国境での防御に努めてきた帝国が本格的に王国領内へ侵攻した瞬間だった。
連合王国、藩国、王国。
同盟を組んで攻め込んできた三か国。
すでに連合王国と藩国は片付いた。
残るは王国のみ。
耐え抜いた帝国兵にとって、これは逆襲の機会だった。
よくもやってくれたな。
これでお前たちも終わりだ。
そんな思いを抱いて、兵士たちは進む。
その自信の根拠は十五万の大軍勢。
そして率いる将は英雄皇子レオナルト。
副将は勇者の再来、エルナ。
レオナルトの護衛には近衛第二騎士隊を率いるセオドア。
上位の近衛騎士隊長が二名も参加しているのに、さらに各部隊を率いる将軍たちは内乱で名をあげた者ばかり。
その筆頭格であるハーニッシュは先鋒部隊を率いていた。
「このような大軍勢の先鋒を将軍がお務めになるとは……エストマン将軍もお喜びでしょうな」
「まだ始まってもいない。油断するな」
口では部下を注意しつつ、ハーニッシュ自身、落ち着いているとは言い難かった。
元々、エストマン将軍の副官だったハーニッシュは軍部ではエリートの部類といえた。だが、どれだけエリートでも二十代の若さで十万を超える軍勢の先鋒を任されることはない。皇族か、大貴族か。もしくは華々しい戦果を収めたか。そういう条件がつくからだ。
ハーニッシュは北部でのゴードンとの戦いで、レオの下で戦った。一部とはいえ、軍部による内乱時、レオ側について戦ったことで信頼を勝ち取ったのだ。
戦乱時だからこその抜擢。
それに高揚すると共に、漠然とした不安もあった。
経験豊富な将軍はほとんど参陣していない。参陣している将軍たちは、直近で功績を残した者ばかり。
実力重視といえば聞こえはいいが、レオナルトがやりやすいような人選なのは明らかだった。
不足しているとすれば、経験。
かつて、王国を攻めた将軍を何人か連れてくるべきだった、というのがハーニッシュの意見だった。たとえ、その人物がレオナルトにとって目の上のたん瘤になろうと、かつての経験はきっと役に立つ。
「今更考えても意味はないか……」
すでに軍は進軍開始してしまった。
今更、編成について考えても仕方ない。
どうしても経験が必要になれば、誰かを呼ぶだろうと自分を納得させてハーニッシュは深呼吸する。
自分の後ろには総勢十五万の帝国兵がいる。
自分が崩れれば、後ろの十五万も崩れる。
先鋒とはそういうものだ。しかし、臆してはいけない。味方を勢いづかせるのも先鋒の役割だからだ。
強く、そして賢くあらねばならない。
責任が他の将軍とは違う。
「よーし……騎馬隊を前に出せ! これよりは敵国領内! 索敵を怠るな! 常に索敵部隊が前に出ている状態を保て! 我らは先鋒! 勝敗は我らの働き次第と心得よ!!」
レオナルトは各部隊の行動に関しては、統括する将軍に一任していた。
索敵部隊を出すかどうかについて、いちいち総大将に伺いを立てていたら十五万が機能しないからだ。
わざわざ若い将軍ばかりを選んだのには、現場での判断力を重視したから。
経験よりも即座の判断力、決断力。それをより重視した結果、若い将軍が選ばれた。
どうしてそんなことをしたのか。
敵が弱いならば物量で圧倒できる。もしも物量で圧倒できない場合、相手の指揮官が手強いということになる。
そうなれば現場レベルでの判断力が求められる。
劣勢を想定したうえでの人選だった。
そしてそれは間違っていなかった。
相手はアルノルトが警戒する相手、アンセム。
空を飛びながらレオナルトは静かに覚悟を決めていた。
自分が劣勢に立たされるということを。
■■■
「動いたか」
「はっ、総大将はレオナルト。副将はアムスベルグの神童です。なかなか本気といえる陣容かと」
王国軍の名将バランド。
帝国迎撃軍の副将を務める古強者であり、アンセムの指示で事前に魔導師団を始末した将でもある。
「本気か……帝国が本気ならば姫将軍が出てくる。あの女が東部国境守備軍を率いてきたならば、さすがに勝ち目はなかったかもしれん」
「ご冗談を。殿下にかかれば姫将軍とて相手にはなりますまい」
「帝国の皇族を甘く見るな。アードラーの一族で最強の将軍が姫将軍だ。残した実績を考えれば、来なくてよかったと思うべきだろう。もちろん……レオナルトが格落ちというわけではないがな」
「外征での実績はありません。帝国領内での戦いでは勝っていますが、それも今回のような大軍勢を率いたわけではありません。支えるべき副将もアムスベルグの神童。こちらも軍を率いた実績がありません。個人の武勇と指揮能力は別です」
真っ当な意見をバランドは告げる。
実績も経験もない。ならば付け入る隙があるはずだ。
それは間違っていない。
間違っていないが。
「アードラーやアムスベルグを常識で捉えるな。足をすくわれるぞ。奴らに経験がなかろうと、血に経験が刻まれている。それに……レオナルトとエルナは奴の弟と幼馴染だ。警戒するにはそれだけで十分といえる」
「奴、とは?」
「帝国第七皇子アルノルトだ。公国ではしてやられた。もしかしたら、姫将軍よりもやり手かもしれん。王国は感謝するべきかもしれんな。出涸らし皇子と呼ばれることを選んだ、あの皇子に」
「それほどまでですか……?」
バランドの問いにアンセムは頷く。
アンセムには夢があった。
それはありえる未来だった。
「かつて……帝国にはヴィルヘルムがいた。奴の覇道を阻止するのが自分だと信じて疑わなかったが……我らはどちらも倒れた。しかし……俺はどうにか立ち直れた。不本意ではあるがな。そしてそんな俺の前にはヴィルヘルムの弟たちが立ちはだかった。奇しくもヴィルヘルムの後を継ごうとする皇子たちだ。望んだものとは違うが……悪くはない」
「では、ヴィルヘルムの後継者たちを阻み、殿下の優位性を見せつけましょう。たとえヴィルヘルムが生きていたとしても、覇道を歩むことはできなかったと」
「そうだな。それが今の俺の存在理由だ。ただ……少し残念でもある」
ヴィルヘルムが死んだことが、ではない。
十五万の大軍を率いるのはレオナルト。アルノルトではない。
公国では負けた。しかし、互いにいろいろと制約があった状態だ。
ここでは違う。
「アルノルトが敵将ではないことがでしょうか?」
「そうだ。あの男と大軍同士を率いて決着をつけてみたいという思いが俺にはある。負けたままでは終われんからな」
王国軍を率いる総司令として、出てこなくてよかったという気持ちと、アンセムという個人として、戦いたかったという気持ちがあった。
だが、総司令として個人の思いを優先するわけにはいかない。
それに。
「まぁ、どうせ海から来るだろう。弟を叩けば、なんとかしようとするはず。そうなれば再戦も夢ではない」
ニヤリと笑いながらアンセムは椅子から立ち上がる。
そして白いマントを翻して号令をかけた。
「レオナルトを迎え撃つ!! 出陣!!」
こうして侵攻軍を迎え撃つため、王国軍十万がアンセムに率いられて出陣したのだった。