第五百六十九話 出陣前
総勢十五万。
これまで帝国は王国による攻撃に晒されてきた。
だが、受け身は終わりとばかりに皇帝は戦力を集中して投入してきた。
率いるは英雄皇子レオナルト。
脇を固めるのは内戦で活躍した将軍たちに加え、アムスベルグ勇爵家のエルナ、そして第二近衛騎士隊を率いるセオドア。
加えてレティシアを慕って投降してきた元王国兵たち。
その大半が鷲獅子騎士であり、貴重な航空戦力だった。
戦力は十分。
これほどの大軍ならば負けるわけがない。多くの者が思っていた。
だが。
「うーん……勝ち筋が見えないね」
総大将であるレオは机に広げた地図を見ながら、腕を組んでいた。
広げられた地図は王国内の地図だ。複数の進軍ルートが想定されているが、どれもレオにとっては不満の残るルートだった。
「もうすぐ出陣だっていうのに、何悩んでるのよ?」
「エルナ……想定された進軍ルートがどうも、ね」
副将という立場にあるエルナが、悩むレオに声をかける。
幾度も話し合った進軍ルート。これしかないと軍議で決まったものだ。
「気に入らないなら気に入らないって言えばいいじゃないの」
「気に入らないわけじゃないよ。これしかないだろうなって思ってる。けど、相手の布陣が完璧すぎて、突破できる気がしないんだ」
「改善案があるわけじゃないけど、漠然と不安ってことね。十五万を率いる総大将のくせに弱気ね」
「弱気にもなるさ。十五万人の命を預かっているわけだからね」
「厳しいようだけど……一人一人の命の重さを感じてたら戦争なんてできないわよ?」
エルナの言葉にレオはフッと微笑む。
どこかアルに似たような笑みを見て、エルナは少し目を見開く。
「わかっているよ。まともじゃ戦争はできない。兵士に死んで来いっていうのが僕の仕事だからね。けど……死なないような状況を作ってあげるのも僕の仕事だ。死ぬのが当然だとしても、配慮をしない理由にはならない。勝たなきゃ犠牲は増えるばかりだから、勝ちは目指すよ。どんな犠牲を払っても。けど、犠牲を減らす努力は怠らない。それが僕の指揮官としての矜持だ」
「……余計だったわね。ごめんなさい」
「いいよ。気遣ってくれてありがとう。ただ、大丈夫。甘えた考えで勝てるほど、容易い相手じゃないのはわかってるから」
そう言ってレオは再度地図に視線を落とす。
帝国の侵攻プランは単純だ。
十五万の本隊で侵攻。迎撃に来た王国軍を撃退し、敵を撤退させる。
撤退すれば敵は自慢の要塞に引きこもる。
名はルイヴィーユ要塞。
港が併設された巨大な要塞で、王国の王都に侵攻するためにはこの要塞を突破しないといけない。
無視も一応可能だが、そうなると補給線を晒すことになる。王都に向かう途中で挟撃を食らうことになるだろう。
兵糧攻めで落とそうにも、海上から常に補給が入ってくるため封鎖が難しい。
鷲獅子騎士が常に出撃してくるため、生半可な戦力では抑えておくこともできない。
難攻不落の要塞。
かつて帝国も挑み、落とすことができず、泥沼化してしまった。
帝国の戦略はそこに王国軍を引きこもらせることだ。
撤退前に王国軍を殲滅することは難しい。帝国からの侵攻に対しては要塞に撤退するというのが、王国の基本戦術だからだ。
ならば、どうせ引きこもるなら、それを想定して動けばいい。
陸上戦力と海上戦力で挟み撃ちにして、王国主力を殲滅。
それが帝国の立てた戦略だ。シンプルだが、そのために陸、海ともに膨大な戦力を投入している。数に奇策は不要。それが帝国の侵攻プランだった。
だが、ゆえにレオは悩んでいた。
「敵将のアンセムは帝国の戦略を理解してる。だから、徹底した防衛線を敷いているんだ。王国の防衛線は一新されている。どの都市も孤立しないように、間に新設の砦がある。常に援軍が来るような配置で、攻めやすい場所がない」
「とはいっても、進む以外に手がないって話じゃなかったかしら?」
「そうだね。それが嫌なところだ。こちらは前に出るしかない。アンセムもそれはわかっているから、手強い防衛線を敷いているんだ。これを突破するとなると、こちらは疲弊する。本隊十五万が王国軍を撤退させられないとなると、帝国の基本戦略は崩壊してしまう。わかっているから、アンセムはきっと決戦をする気はない」
「じわじわとこっちの戦力を削る気ってことね」
エルナの言葉にレオは頷く。
軍議でも同じ話はした。けれど、いずれアンセムが打って出てくるということで、妥当な進軍ルートが設定された。削られても問題ないだけの戦力があるからだ。
しかし、アルが警戒するほどの相手がその程度で決戦に打って出てくるとはレオには思えなかった。
しかし、改善策があるわけでもない。
「エルナ、兄さんならどうすると思う?」
「私に聞く? レオのほうがわかるんじゃないかしら?」
「エルナの答えが聞きたいんだよ」
「そうね……出てこない敵が相手なら、アルは出てこざるをえない手を使うんじゃないかしら」
「それができたら苦労しないけどね」
「私も思いついたら苦労しないわよ。ただ、アルの場合……常にそう来たかという手を使うわね。相手の意識の外から攻撃するのが好きだから」
エルナの答えを聞き、レオは腕組みをして考え込む。
しばらくは通常の進軍で問題ないが、いずれアンセムを引きずり出す必要がある。
それまでに思いつかなければいけない。
アルのような一手を。