第五百六十五話 兄弟だから
母上が倒れた次の日。
出陣の挨拶のため、西部国境から帝都にレオがやってきた。
わざわざこの時期に呼び戻したのは、俺への配慮もあるだろう。
もちろん、それ以外にも様々な理由があるだろうが。
レオは十五万の大軍を率いる大将だ。
勝てば間違いなく皇太子の座が確定する帝位候補者。
すでにいくつも手柄を立てている英雄皇子。
民に姿を見せるだけ、士気高揚に役立つ存在でもある。
「兄さん! 母上は!?」
「落ち着け。今は安定しているし、フィーネが傍についている。後宮付きの医者の話じゃ、心労によるものだそうだ。まぁ、二人の息子が前線に行っているからな。無理もない」
俺の説明を聞き、レオは悲痛に顔を歪める。
今、母上は後宮の部屋で休んでいる。厳重な警備の上で。
指示を出したのは父上だ。
その警備体制は通常の比じゃない。
近衛騎士も動員する警戒っぷりだ。
父上にとっては、第二妃のときの悪夢がよぎったんだろう。
それに母上は俺とレオの実母だ。
陸から十五万の主力を率いる皇太子候補と、海からの侵攻を司り、現地に入った時点で全軍総司令となる臨時元帥。
二人の母だ。もしも命を落とそうものなら、士気に関わる。
俺たちの地位があがれば、それだけ母上の地位や重要度もあがるわけだ。
「命に別状はないの……?」
「そういう話だが……心労の原因はほぼ間違いなく俺たちだからな。不安は解消されないだろうな」
「……じゃあ早く終わらせないとだね」
兄さんだけでも残って。
そんな言葉を昔のレオなら呟いていただろう。
だが、今のレオはやるべきことが見えている。
勝たなきゃ先はない。
何かを温存できる状況ではないのだ。
「そうだな。俺も公国から連合艦隊を率いる。合流すれば俺が全軍を後方から統括する総司令だ。もちろん形だけだがな」
「臨時元帥だってね。よく父上が許可したね?」
「苦労したよ。けど、他国の艦隊を率いるには地位がいる。それにお前が全力で戦うためには、後方で雑務を引き受ける奴が必要だ。今回ばかりは俺も本気だ。王国の全軍総司令、第三王子アンセムは傑物だ。油断すればお前だって負けるぞ」
「兄さんがそこまで言うなら、そうなんだろうね……レティシアからも忠告されたよ。体さえ健康だったなら、連合王国との戦でレティシアの出番はなかったってね」
「そういう相手だ。母上は心配だが……戦争を終わらせなきゃ心労は解決しない。今は勝つことだけ考えよう。勝てば戻ってこれるわけだしな」
「そうだね。この状況じゃ早期の和平も望めない。どちらもやる気満々だからね。できれば、一戦で大打撃を与えて和平っていう流れに持っていきたいけど……」
「野心むき出しの王太子がそれを呑むとは思えないし、アンセムが大打撃を受けるような戦い方をするとは思えない。地道にいくしかないだろうな」
「そうだよね……」
レオは少し沈んだ表情を浮かべた。
犠牲を最小限に抑えたいんだろう。レオ自身が優しいというのもあるが、レティシアのためというのが大部分だろう。
レティシアの下にはレティシアを慕っている元王国の者がそれなりにいる。
レティシアを筆頭として、彼らにとっては自分の故郷と戦うことになる。
犠牲が少ないに越したことはない。
「和平が一番だが、そのためには帝国が優位に立つ必要がある。前線に出る以上、俺たちは目の前の敵を倒すだけだ。それが一番和平に近づく。戦略のことは宰相に任せるしかないだろうさ」
レオを納得させつつ、俺はため息を吐く。
やるべきことがあまりにも多い。
悪魔と関連しているだろう王国を放置はできない。だが、疑惑だけでは冒険者ギルドは動けない。だから帝国が化けの皮を剥ぐ必要がある。追い詰められれば、悪魔が出てくるだろうから。
だが、簡単に追い詰められる相手ではない。
王国は大国。
率いるアンセムは名将。
量と質。どちらもそろっている強敵だ。加えて、相手には以前、帝国が落とせなかった堅牢な要塞がある。
籠られたら厄介なことになる。
そのための連合艦隊だが、それで落とせる保証はどこにもない。
戦争が長引けば、悪魔が得するだけ。
もちろんウェパルが現れれば儲けものだが、ウェパルが現れた時に俺もレオも帝国にいませんでは話にならない。
戦争は長引かせられないし、帝国弱体のときには帝国にいたい。
我儘だが、すべて最善の一手を打ち続けてどうにかなるかどうかという状況だ。
そのためにまず勝利。
結局はそこに帰結する。
「子供の頃、想像したことがあるか? 俺たちが大軍を率いて敵国に攻め込むなんて」
「あるよ、もちろん。ヴィルヘルム兄上とエリク兄上のように……僕らもそうなれると思ってた」
「あるのかよ。俺はなかった。お前が戦地にいくのは想像できたが……自分が行くのはないと思ってた」
「そう? 僕は容易く想像できたけどね。兄さんになら背中を任せられるから」
「お前の信頼が怖いよ、俺は」
「誰よりも信頼してる。だから前線に出てくれるのは嬉しい、安心できるよ。ありがとう、面倒なのに城から出てきてくれて」
レオは素直に礼を言ってくる。
きっと俺が前線に出る本当の理由を知れば怒るだろう。
だから本当のことは話せない。
「……兄弟だからな。一人ぬくぬくと城にはいれないだろ。さすがに」
「兄さんのそういうところ、僕は好きだよ。いつもは責任なんて大嫌いって感じなのに、家族のことになると責任感が湧いてくるんだよね?」
「うるさい。茶化すと援軍に行かないぞ?」
「別にいいよ。エルナが怒るだけだから」
「援軍行く頃には全部終わってる可能性もあるな、そういえば……ちゃんと手綱握ってろよ?」
「努力するよ、本気で」
そんな会話の後、レオは父上への挨拶や民への顔見せを終えて前線に戻っていったのだった。