第五百六十三話 できない約束
三話目
「良く戻った、アルノルト」
「戻りたくはなかったんですがね」
久しぶりの再会。
公国で揉め事に巻き込まれた皇子の帰還でもある。
感動の再会になってもおかしくないが、俺も父上もどちらもいつもどおりだった。
「互いに忙しい身だ。本題といくぞ。お前の要求だが……ディートヘルムから詳細は聞いている。そのメリットについても入念に説明され、幾度も説得された。だが、ワシはお前に元帥のマントを与えることについて、いまだに迷っている」
「俺の身を案じてのことですね?」
いつもの俺なら利を説いて、父上を説得しようとするだろう。
それは叔父上と同じやり方だ。だが、叔父上は父上を納得させることができなかった。
直接、張本人である俺がメリットを説けば効果はあるだろうが、それだけじゃ父上は真に納得したりはしない。
感情に訴える必要がある。
わかっている。親が子を心配するのは当然だ。
ましてや俺は囮を買ってでている。
元々は父上を含めた一部の者による計略だ。今更、躊躇するなんて愚かだと思う。
俺をどんどん目立たせて、レオから暗殺の魔の手を遠ざけるのは当たり前だ。
帝国にとって大事なのは俺よりレオなのだから。
ただ、その程度のことは父上も理解しているだろう。
なのに、決心がつかないのは……人の子だから。そして失う痛みを幾度も味わってきたから。
「意外だな。お前ならば帝国にとっての利を説明してくると思ったぞ?」
「そうしようと思っていました。ただ……利についてはもう十分理解している様子だったので」
「察しがいいな。ワシはしっかりと利を理解している。レオナルトは大切だ。これからの帝国を任せるならば……レオナルトだろうと思っている。誰もが納得する結果を出して、エリクを追い抜いてくれれば皇太子に任命するつもりだ。だが……それは今のレオナルトだ。お前が支えるレオナルトなのだ」
父上はよくわかっている。
レオは一人でここに来たわけじゃない。多くの人に支えられてきた。だが、一番支えてきたのは俺だ。
その俺をもし失ったら、レオは皇太子として機能するのか?
機能しないならば、俺を危険に晒すことはレオを危険に晒すことに等しい。
身内を失う精神的な負担を幾度も経験した父上らしい懸念だ。
そしてその懸念を解消するためには、利だけでは駄目だ。
「ご心配はよくわかります。俺を失えば……レオは不安定になるでしょう。今までどおりというわけにはいかない。けれど、レオを支えるのは俺だけではありません。帝位争いに参加したときのレオならいざしらず、今は違います。レオの傍には信頼できる人たちがいる。とくにレティシアはレオのことを献身的に支えてくれるでしょう。彼女がいれば、レオは壊れない。そう確信しています」
レティシアは強い女性だ。そしてレオのことを良く見てくれている。
一度、困難を乗り越えた二人だ。次に困難が降りかかったとしても、二人で乗り越えるだろう。
かつて俺たちは常に一緒だった。互いに互いを頼り、背中を預け、寄りかかっていた。
だが、今のレオの横にはレティシアがいる。
寄りかかれる相手は俺だけじゃない。
「たしかにレオナルトにはレティシアがいる。お前がもし、いなくなったとしてもレオナルトを支えてくれるやもしれん。だが、乱れることは間違いない。ワシが聞いているのはレオナルトの陣営のこともだ。お前がいなくても維持できるのか? 昔からお前がレオナルトのために気を回してきた。レオナルトはお前ほど柔軟ではない。だから間に立つ者が必要だった。それがお前だ。重要人物がいなくなると、組織はあっさり崩れる。知らぬわけではあるまい?」
よくわかっている。長兄の死後、乱れる帝国をまざまざと見せつけられた。
レオの陣営が俺の死をきっかけに崩れることは十分ありえる。
そうなればレオが皇太子につくことはない。明確にレオより大きな勢力を抱えているエリクがいるからだ。
「乱れないとは言えません。ただ、それを鎮めるだけのカリスマがレオにはあります。俺はたしかにレオのために動いてきた。父上ですら知らないところで、様々な暗躍をしてきました。だけど、常に旗印はレオだった。今、レオの下に集った者たちはレオについていきます。たとえ俺がいなくとも」
「言い切れる根拠はなんだ?」
「俺を慕う者はレオも慕ってくれます。俺がレオを大事に思っていることを知っているから。俺がもしも死んだとしても、陣営の中心は揺るがない。むしろ敵討ちに燃えて、より団結するでしょう」
俺の言葉に父上は少し悲し気に目を伏せた。
わかっているさ。
父上はこんなことを聞きたいわけじゃないんだ。
こんなのは確認作業だ。
すべてわかっていて、父上はそれでも迷っている。
皇帝として正しい判断の邪魔をしているのは、父親としての情。
これ以上、息子を失いたくないと思うのは悪いことじゃないだろう。皇帝じゃなければ許されているはずの思いだ。
ただ、父上は皇帝だ。息子よりも帝国のことを第一に考えなければいけない立場にいる。
今の父上には覇気がない。
それが俺に決意させた。
かつて見た父上はそうではなかった。
かつて憧れた玉座に座る皇帝は、堂々とした王者だった。
いつでも思い出せる幼い頃の思い出。
皇国の使者に対して、啖呵を切った皇帝の姿は俺の中で色褪せずに残ってる。
その皇帝を困らせてしまっている。俺自身が。
だから。
「本当は……こんなことは言いたくありません」
ポツリと呟き、俺は父上の顔を真っすぐ見据える。
母上と共に駄目な俺を見守ってくれていた大恩人。
いまだに恩は返しきれていない。
そんな人に〝嘘〟は言いたくない。
それでも言わなきゃいけない。
この言葉を言わないと何も前に進まない。
「……俺は出来ない約束はしない主義です。一度、約束を破れば、自分の言葉がひどく薄っぺらいものになってしまう気がするから。だから、本気の約束はなるべく守るようにしています。なので……父上に何かを約束するようなことはしたくない。けど、約束しなければ父上はきっと迷ってしまうでしょう」
息を吸う。
胸に秘めた言葉がなかなか出てこない。
気は進まない。
吐いた言葉は戻らないから。
それでも、と自分を奮い立たせる。
「……アルノルト……言いたくないならば無理に言わなくてもいいぞ?」
「いえ……これは決意を示すために必要です。俺は元帥のマントを羽織り、レオのために敵の注意を自分に向けます。これからは俺が一番危険なのだと、内外に知らしめるつもりです。きっと命を狙われるでしょう。ですが……父上に……帝国の皇帝ではなく、俺の親である父上に約束します。必ず帰ってくる、と。死にはしません。父上が生きることに疲れ、ベッドで安らかに眠る時、俺は必ず傍にいます。だから……俺を信じてください。今、苦難を乗り越えるために元帥位が必要です。こんな出涸らし皇子ですが……どうか、信じていただけませんか?」
それが難しいことくらい、父上だってわかっている。
だから反対しているんだ。
それでも必要なことだ。
死にに行くわけじゃない。
生きて帰ってくると約束することで、それが伝わる。
それが気休めだとわかっていても。
人には気休めが必要なときがある。
「……正直に言おう。ワシはお前が頑張る姿は見たくはない。城でダラダラしていればいい。周りから笑われてきたお前だ。皇族の責任になど囚われる必要はない」
「帝国のために頑張るわけではありません。ただ……家族のために俺は頑張るんです。ご安心を。これが終われば、俺は悠々自適に暮らしますから」
俺が笑うと、父上は唇を噛みしめた。
そして下を向き、少しして顔をあげた。
その顔は覇気に満ちた皇帝のものだった。
「覚悟は……よくわかった。息子のお前がそこまで言うなら……ワシも覚悟をせねばなるまい。必ず帰ってくるという約束、違えることは許さんぞ?」
「ええ、任せてください」
「……お前にこのようなことを言う日が来るとはな……皇帝の権限において……第七皇子アルノルト・レークス・アードラーを臨時元帥に任ずる。細かいことはワシとフランツでどうにかしよう。蒼いマントと……この元帥杖を持っていくがいい」
そう言って父上は玉座の横に置いてあった杖を俺に放り投げる。
受け取ると、思った以上に軽かった。
だが、その杖に込められた意味は重い。
なにせこれを持っていられるのは、帝国内で元帥のみだ。
「……ありがたく」
「……あくまで臨時元帥だ。バランスを取るため、エリクにも相応の地位を与えることになるだろう。差はつかん。その程度のことは言わんでもわかっているか……」
「承知しています。どうかご安心を。約束は必ず守ります」
そういうと一礼して、俺は玉座の間をあとにした。
振り向きはしない。
覚悟はもう済んだ。
あとはやるだけだ。