第五百六十二話 エリクの私邸
二話目
帝都ヴィルト。
そこに俺は帰ってきていた。
もちろん、父上に会うためだ。
「皇帝陛下はアル様の要望を飲んでくださるでしょうか……」
馬車の中でフィーネがつぶやく。
それに対して俺は淡々と返した。
「叔父上はきっと利を説いたはずだ。俺に元帥の地位を与える利を。当然、理解できない父上ではない。だから……これからは感情の話になるだろう。そうなると先は読めない」
「陛下はご心配なのでしょう」
「ありがたいことだよ。こんな放蕩息子でも心配してくれるんだからな。けど、レオの弾除けは俺にしかできない。俺には能力も、地位もそろっているからな」
もしも俺が表舞台に躍り出る瞬間があるとすれば、それは自分に注意を向けるため。
レオから目を遠ざけるのが目的だ。
そして帝位争いも終盤。
悪魔の長き謀略が明かされたとはいえ、やるべきことはかわらない。
俺はレオを皇帝に据える。
そのために、元帥の地位が必要だ。
表舞台に立つタイミングとして、今が最適だし、今を逃せば表舞台に立つタイミングはない。
ここで俺が台頭することで、多くの者の視線が俺に集中する。
レオの台頭の裏には俺がいたのだと誰もが気づく。薄々気づいていた者は、より俺を警戒せざるをえない。
王国での戦が終われば、レオの地位は盤石となってしまう。逆転するために、そして帝国の安定を阻止するために、やれる手段は限られてくる。
その最たる例が暗殺だ。
しかし、ここで俺が台頭すると標的が二人になってしまう。
破竹の勢いで帝位争いを勝ち抜いたレオナルトか、それを裏で操っていたアルノルトか。
二人同時に暗殺するのは難しい。
せめてどちらか始末しなければ。
そう思った時、暗殺しやすいのは俺だろうし、狙いたくなるのも俺だ。
ここまで影に徹していた裏方は、舞台で踊る俳優より脅威に映るからだ。なにせ裏方ならば、俳優を輝かせることができる。俳優を始末しても、別の俳優が出てきかねない。その裏方が俳優になれるならば、なおさらだ。
そのために。
俺には格がいる。
現状のレオを下につけることができる明確な格。
それが元帥だ。
「確かにアル様にしかできないことかもしれません。それにアル様には力があります。私はそれを知っています。ですが……知っていても、私は心配です。いつも転移していくアル様を見送るのは心苦しいです……きっと陛下は私以上に心配なはず。安心させてあげてください」
「安心と言われてもなぁ。自ら火の中に飛び込むようなものだ。それなのに安心させろと?」
「必ず帰ってくると……そう言ってくださればきっと安心できます」
「残念だが、俺はできない約束はしない主義だ。どんな暗殺が飛んでくるにせよ、皇族を暗殺するためのものだ。生き残れる保証はない」
「気休めでもいいのです。生きる意思があるのだと、死にに行くわけではないのだと、そう思わせてくれれば……それでいいんです」
「そんなものか?」
「そんなものです」
フィーネの言葉を聞き、静かにため息を吐く。
気休めの言葉にそれほど価値があるだろうか? と自問して、いや、ないと、自答する。
ただ、そんな自答を押しのけるほどに。
フィーネの意見には価値がある。
正直、生きていようと、死んでいようと。
俺が帝国に戻ることはないだろう。
俺が台頭するということは、レオにとって最大の敵が出現するということを意味する。
貴重な票を分ける必要はない。
相手の暗殺は誘うし、むざむざ殺される気はない。
ただ、そのまま表舞台で生きていく気もない。
生きていては駄目なのだ。
どういう結果であれ。
帝国の皇子アルノルトは死ななきゃいけない。
そう思っているから、父上には会いたくない。
心配そうな顔をする父上に、それでも生きて帰りますとは言える自信がないからだ。
情けないと思いつつ、俺は顔をしかめながら行き先を変えるように指示した。
「少し……寄るところがある」
■■■
城へ向かう前に寄り道したのは、エリクが帝都に保有している帝都の私邸だ。
かつてはエリクの妻であるレーア義姉上が療養していた場所だが、今はそのレーア義姉上も帝都を離れたため、ときたましか使われない場所である。
わざわざそこに寄ったのは、魔法でエリクがそこにいるとわかっていたからだ。
「何の用だ?」
「いえ、帰還の挨拶でもと思いまして」
エリクの私邸は花に囲まれている。
その花の手入れをエリクはしていた。
邸内に入ってきた俺を見ることもせず、黙々と花の手入れに勤しむ。
いつでも妻が帰ってきてもいいようにだろう。
「挨拶をする仲でもないはずだが……まぁいい。良く戻った、早く父上の下へ行け」
「用事が済んだらそうします」
そう言って俺は持っていた小瓶をエリクに無理やり手渡す。
それは長老から貰った三つの試薬のうちの一つ。
名医に見せても治らない病。
母上のほかに疑わしい症状の者が近くにいた。
それがエリクの妻であるレーアだ。
「これは?」
「不治の病に効く希少な薬だそうです。レーア義姉上にと思って持ってきました」
それだけ言うと俺は一礼して背を向ける。
だが。
「いらん。私とレーアには必要ない」
そう言ってエリクは薬を俺に返してくる。
まさか返してくるとは思っていなかったため、俺は目を見開く。
俺の知っているエリクは愛妻家だ。レーア義姉上のためなら、敵からでも薬を受け取る。そういう男だ。
「試すだけ試せばいいのでは? 治るかもしれない!」
「そういう時期は過ぎた。余計なことはするな」
「余計……? あなたにとって妻であるかもしれないが、俺にとっては義理の姉だ! 治ってほしいと思うのが余計ですか?」
「ふん……家族のこととなるとお前は甘いな。まだ私を兄だと思っているのか? 諦めろ、アルノルト。私は決して退かない。ヴィルヘルムが座るはずだった玉座は私が手に入れる。誰にも譲る気はない。この帝国に……お前が理想とする家族の姿はどこにもない」
「……」
エリクの言葉には力があった。
覚悟のこもった言葉だ。
玉座を手に入れる。
これまで積極的に動くことのなかったエリクから、そんな言葉を聞くとは思わなかった。
当然、玉座は自分のもの。そういうスタンスだったはずだからだ。
「私は……お前とレオナルトを認めている。だからこそ、甘さは捨ててかかってこい。勝ち抜いた者を倒してこそ、私はヴィルヘルムを超えられる」
「……残念です。それと訂正が」
「なんだ?」
「俺が求めているのは普通の家族だ。互いが互いを思う、ごくごく普通の家族。それが俺の求めるモノだ」
「アードラーに求めるモノではないな。これまで血で血を洗ってきた。それはこれからも変わらない」
「……」
正論はきっとエリクのほうだ。
アードラーは皇族だ。それだけで普通じゃない。
それなのに普通を求めるなんて、贅沢だ。
ただ、それでもと思う気持ちがある。
「俺やあなたはきっと変えられない。けど、レオは違う。レオはこれからのアードラーを変える。レオは俺やあなたとは違う」
「夢を託しているのか? やめておけ。誰かに夢を託せば……その者と共に夢は砕け散る」
「自分の経験談ですか?」
「そうだ」
「ならご安心を。レオは……俺が守る」
「ふん、言葉だけなら誰にだって言える。かつてもそうだった。誰もがそう言った。しかし、誰も夢を守れなかった」
「好きなように言えばいい。俺は……あなたとは違う」
そう言って俺はエリクに背を向けた。
もうここに用はない。
エリクがいらないというなら、レーア義姉上に薬を渡すことは諦めるべきだろう。
この薬が、何かのきっかけになればと思っていた。
いや、違うか。そう思いたかった。
だが、現実は残酷だ。
たしかに俺の求める家族は、まだないらしい。
だからこそ、作らなきゃいけない。
気持ちを新たに俺は命じた。
「城へ向かえ。父上に謁見する」