第五百五十話 疲れる一族
仮面をつけなおした俺は、長老の案内に従って森の中へと入った。
一瞬、水の中に入ったかのような感覚に陥ったあと、ごくごく普通の森だった黄昏の森が、一変した。
あくまで自然と調和しつつも、そこには村があった。
竜人族の村だ。
「各地に避難場所は用意してあるが、ここでの暮らしが長い。皆、ここでの暮らしを気に入っているのだ」
「それは申し訳ないことをした。早々に子供を取り戻したかったのでな。お互い様だが、許してほしい」
「責める気はない。身分がわかったならなおさらな」
何人かの竜人族とすれ違い、奇異の目で見られながら、俺は長老の家に案内された。
「許可なく入る者はいない。ここならゆっくり話せるだろう」
「それならさっそく聞きたい。おそらく母が病毒に侵されている。だが、母は平民だ。なぜかかる? 強い者を狙う毒ではないのか?」
「わかっていることは、ウェパルの毒は思考しているということ。群体ではなく、個体なのだ。それぞれの毒が学びながら、勇者の血筋という最終目標へ向かっている。だから毒の進化にもバラつきはあるのだ。ただ、お主の母なら病を得たタイミングはおそらく懐妊時だろう。この病はすぐには発病しない。まだ、お主が発病していないようにな。潜伏期間があるのだ。お主ほどの魔力を持った子供が胎内にいれば……母親が毒の標的になってもおかしくはない」
大体予想のできた答えだった。
同時に、その予想が否定されなかったことを残念がる自分がいる。
つまり……俺のせいというわけだ。
「発病した場合……どうなる?」
「徐々に体を弱らせ、最期には命を奪う。完全に治す方法はない。そして毒はより強力になって、別の者へ移る。その繰り返しだ」
「延命はできないのか?」
「方法がないわけではないが……それをしたところで何になる? 病毒は膨大な魔力を持ち、SS級冒険者でもあるお主にたどり着いた。もはやアードラーの一族に未来はない。そしてアムスベルグにも。広大な領土を保持する帝国は崩壊する。その混乱に乗じて悪魔は攻めてくるだろう。そうなればすべて終わる」
「諦めろというのか……? 五百年前にまき散らされた毒のせいで、何もかも諦めろと? 知っていれば!」
「知ってどうする? 記録が伝わっていようが、いまいが結果は変わらん。それに記録は伝わっていないようだが、対策は取られていた。アードラーは血を磨き、毒を近づけさせないようにした。そしてアムスベルグを保護し、その血が薄まらないようにした。できることはやったのだ」
長老の言葉に俺は押し黙る。
アードラーはより強い血を自らに取り込んできた。
それは将来、予期される悪魔の再侵攻に備えるためだと思っていたが、毒への対策でもあったか。
そして毒の存在があったから、アムスベルグは勇爵家の地位を受け入れた。
聖剣を扱える強力な血筋を絶やさず、そして薄まらせないために。
「……ウェパルを殺せば毒は消滅するのか……?」
「それは間違いない。悪魔の権能は悪魔が消滅すれば、消えてなくなる。だが、ウェパルは勇者が唯一仕留めそこなった大悪魔だ。魔王が倒れ、残存する悪魔たちと共にウェパルは深手を負いながら魔界へと逃げていった。黒い雨が降らなければ、死んだと思うほどの深手だ。実際、黒い雨が降るまで我らは、魔王の側近は全滅したと思っていた。それほど勇者は徹底して魔王の側近たちを仕留めていた。命からがら逃げかえったウェパルはよほどのことがないかぎり、魔界から出てはこないだろう」
長老の言葉を聞き、俺は一つ頷く。
ならばやることは一つ。
「魔界への行き方を教えろ。俺が討伐してくる」
「魔界と繋がる穴は基本的に一方通行。召喚はできるが、こちらから出向くことはできない。悪魔たちですら、自分たちが召喚されたことを利用して侵攻してきた。向こうから召喚でもされないかぎり、魔界に赴くのは無理だろう」
「ならどうやって帰った!?」
「奴らは召喚されたときに穴を拡張していたのだ。そこから続々と悪魔がやってきた。だが、ウェパルが撤退したあとにその穴は閉じられた。勇者によってな」
「穴があったのに……討伐軍を派遣しなかったのか!?」
「そんな余力は大陸にはなかった! 勇者が討伐を申し出たが、我らが止めた! 穴を閉じるには外から超強力な一撃が必要だった。それができるのは勇者の聖剣だけ。万が一、勇者が魔界で敗れたら勇者と聖剣を失ううえに、穴が閉じられなくなる。そんな危険は冒せなかった!」
苦渋の決断だったことは表情を見ればわかる。
だが、その結果が今だ。
知らぬ間に病毒に侵され、人類の命運もあと僅かと言われる身にもなってほしい。
「こんなに早く毒がアードラーにたどり着くとは思わなかったのだ。病毒の権能への研究は続けている。だが、五百年でできたのは症状を軽減する薬だけだ。根絶はまだできていない」
「軽減できる薬はあるのか!?」
「我ら竜人族は薬学に長けた一族だ。後五百年あれば根絶も夢ではない。だが、時間が足りん。我々が作れているのは症状を軽減させる薬だけ。命を多少永らえさせたところで、たかが知れている」
アードラーにまで達した毒はやがて人類の希望であるアムスベルグへと向かう。
それが本当のタイムリミット。
そして俺の血にはすでに病毒がいる。
つまり。
「タイムリミットは俺が病で死ぬまでだな?」
「そうなったらもう手遅れなのは間違いない。お主という強者の次は、アムスベルグ以外にいないからな」
「だが、それは遅らせることができる。そうだな? 時間があるなら問題ない。その間に解決策を探すだけだ」
「お主の辞書にはあきらめるという言葉はないのか? これだからアードラーは……」
長老は呆れた表情を浮かべる。
だが、すぐに軽く笑みを浮かべた。
「お主がいくら天才でも、薬の開発には時間がかかる。薬を完成させるよりも、別の手を考えたほうがよい」
「魔界に行く方法か?」
「魔界からウェパルを引きずりだす方法でもいい。根源さえ断てば、この毒は消え去るのだからな」
言うだけなら簡単だ。
それができないから困っている。
「なにか知恵はないのか?」
「やれやれ……久々にアードラーと話したが、相変わらず疲れる一族だ……。たしか悪魔が現れ始めているという話だったな?」
「ああ。すでに何体かの悪魔を討伐しているが……奴らはまだいると踏んでいる」
「同時に何体も動き出しているならば、まだいるだろう。奴らが勝機と見て動き出したなら……チャンスやもしれん」
「どういう意味だ?」
「そのままだ。圧倒的優位ならばウェパルも魔界から顔を出す。当時の皇帝はそう提案したが、長い時を生きる悪魔が、そう簡単に警戒心を解くわけがないから使えなかった手だ。それにあえて相手に優位を渡す方法は諸刃の剣だ」
「だが、今なら問題ないか。長い時が過ぎ、すでに人類にはさほど時間がない……」
そこまで考えて俺は固まる。
たしかに今はピンチであると同時にチャンスだ。
だが、早々そういう展開はやってこない。
もしも。もしも、だ。
この状況が仕組まれたものだったなら?
大陸中央に君臨する強国、アードラシア帝国の弱体化は、騒乱の原因となる。
近年頻発する多くの騒動により、帝国は弱体化して、今は王国との全面戦争間近だ。
勝っても負けても双方、傷を負う。
それは人類という大きな枠組みで見れば、ただの戦力ダウンでしかない。
悪魔にとってはチャンスだ。
絶好の侵攻機会。
だが、そうなると人類には一発逆転の芽が出ることになる。
その一発逆転の仕掛人は……。