第五百四十四話 引っ越し
「おいおい! ちょっと待てって!」
「さすがに今度は応じざるをえまい」
ジークが止めるのを聞かず、俺は魔法の準備にかかる。
しかし。
「落ち着け! ここは平和的に話し合いといこうぜ! オレがなんとかするからさ!」
「いや……その必要はなさそうだ」
俺は魔法の準備をやめて森の様子を伺う。
間違いなくここは黄昏の森だ。
しかし、黄昏の森を黄昏の森たらしめていた膜がない。
今の黄昏の森はただの森と変わらない。
「どうした? 何があった?」
「竜人族は……森から去ったようだ」
それ以外に考えられない。
俺がヒドラと戦っている間に引っ越しを済ませたようだ。
「森から去ったって……」
「転移で移動したと考えるべきだな。ここ以外の拠点を持っているんだろう」
「いやいや……戦ってた時間はそこまで長くないぞ……?」
「元々、準備していたなら不思議じゃない。隠れているわけだしな。避難場所があるのは当たり前といえば、当たり前だ」
それにしても早すぎる。
恐ろしい決断力だな。
なんて思っていると。
「おい! 森の中! 見てみろ!」
ジークが森の中を指さした。
そこには倒れている子供たちがいた。
「五人か……」
「ちょっくら確かめてくるぜ」
「また罠かもしれんぞ?」
「そん時はそん時だ」
ジークは構うもんかと、森の中に入って子供たちの下へ駆け寄る。
そして五人の子供たちの様子をじっくりと確かめたあと。
「全員息がある! 外傷も見当たらねぇ!」
「掟を破ってくれたか。意外に柔軟だな」
「よくそういう考えに行き当たるな……」
「じゃあなんだ?」
「居場所を捨てて、掟を破ってでもお前さんと関わりたくないって意思表示だろうさ。オレが助けた竜人族の娘、ロレッタが攫われたときですら場所を移さなかった奴らだぞ?」
「ひどい話だ」
「オレは賢明だと思うがね。おい、早く連れていこうぜ! ここじゃ風邪を引きかねない」
「それもそうだな」
意図しない任務達成。
そのことに些か不満を抱えつつ、俺は子供たちを連れて転移したのだった。
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「ご苦労だったな、シルバー」
「俺は何もしていない」
子供たちを連れて、俺たちはオリヒメの下に戻っていた。
子供たちは城の者が保護して、看病している。
そのうち目を覚ますだろう。
「そなただからこそ、竜人族も譲歩したのだ。誇るがよい」
「誇る気にはならないな」
「不服そうだな? 任務は無事完了。冒険者にとって完璧な結果ではないか?」
「子供が無事なのは嬉しい。だが、これで竜人族の手がかりはなくなった」
「隠れ住む者たちだ。仕方あるまい」
「仕方ないと諦められるほど簡単な状況ではない。悪魔が出現している昨今の情勢では、五百年前の知識は役に立つ。せめて、長老と話がしたかった」
「ふむ、先を見るそなたらしいな。それではどうする?」
オリヒメの問いかけに俺は少し押し黙る。
俺にはそこまで時間がない。
だが、ここで退けば竜人族を調べるチャンスを失う。
アルノルトとして動くのは大切だが、俺はSS級冒険者。
大陸に貢献することを考えなくてはいけない。
一応、公国には俺に扮したヘンリックがいる。
もう少し頑張ってもらうとしよう。至らないところはフィーネとセバスが支えるだろう。
「許可をいただけるなら……もう少し調べたい」
「うーむ、SS級冒険者に国内を好き勝手に調べさせるというのは難しい話ではあるな」
オリヒメの言葉は国の要職につく者として当然だ。
人間兵器が調査と称して国内を飛び回る。
民は何事かと思うだろう。
まだ事件は解決していないのか? といらぬ疑念を呼ぶ。
だが。
「まぁ、ミヅホも大陸の一員ではある。ここで協力を断わるのは問題であろうな。妾の権限で許可しようではないか」
「感謝する」
「ただし、できるだけモンスターを減らすように。被害も出すでないぞ? 竜人族に危害を加えることも禁じる。隠れ住む以上、何か理由があるはずだ。それを追う以上、誠意を見せねば信頼は勝ち取れぬ」
「承知した」
俺の言葉を聞き、オリヒメはニッコリと笑う。
笑ってはいるが、これから大臣たちから文句を言われてしまうだろう。
あまり長引かせるわけにはいかないな。
俺はオリヒメの御所を出て、城へと戻る。
そして子供たちが寝ている部屋に立ち寄った。
「様子はどうだ?」
「まだ寝ているぜ」
「一応聞くが、怒りを覚えたか?」
「怒り? なんでだ?」
「俺が来た程度で破れる掟で、熊に変えられたわけだ。怒りを覚えないか?」
「お前さんが来た程度とは思わんからな。奴らにとっちゃ、生存か掟を守るかの二択だったんだろうさ。それに大人と子供じゃ同列には語れねぇ」
「なるほど。それは良かった。なら、連れていける。竜人族の行方を探るぞ」
「ほう? どういう風の吹き回しだ?」
「彼らには山ほど聞きたいことがある。悪魔のこととか、な」
「五百年前の大戦に参加した古強者だしな……なら、子供たちに聞いていくか? 唯一の手掛かりだぞ?」
「意味はない。俺も記憶操作を多少使えるが、強い記憶はいじれない。だが、子供は別だ。子供の記憶は常に曖昧だ。まだ情報を処理しきれないからな。だから、操作するのは難しくない」
俺の言葉にジークは驚きもせず、納得する。
森の中の記憶を消すのは難しいが、事実とは違う改変を加えることは可能だ。
俺なら子供たちに偽の記憶を与えて、こちら側を混乱させる。
それならあてにしないほうがいい。
「そんじゃどうする? 手がかりなしだぞ?」
「そうとも言えん。あの黄昏の森は、竜人族にとって好ましい立地だったのだろう。あそこに似た場所を探せば、そのうちたどり着くさ」
「足を使うのかよ……骨が折れそうだ」
「安心しろ。助っ人にあてがある」
「お前さんに付き合う物好きがいるかね?」
「いるさ。俺の弟子がな」
そう言って俺は仮面の中でニヤリと笑うのだった。