第五百三十六話 ミヅホの異変
大陸中央で帝国が王国との戦争の準備を進める中。
大陸の東端に位置する小国でも動きがあった。
「仙姫様。皇国との国境に獣戦士団の増援が到着いたしました」
「ご苦労だった。これで皇国も帝国ばかり気にしていられないはずだな」
「しかし、いくら皇帝の要請とはいえ皇国を挑発してもよいのですか?」
「あの老王が生きているかぎり、ミヅホに攻めてくることはありえぬ。旨味がないとわかっておるからな。まぁ、攻めてくるなら攻めてくるで返り討ちにするまでのこと」
自信満々に告げたあと、ミヅホの仙姫、オリヒメは近くにいた自分の友人兼ペットであるエンタを抱き上げる。
「それはそれで楽しそうではあるがな。のう? エンタ」
「チュピー!」
「エンタもそう思うか? よしよし」
「仙姫様。戦を望むような発言はお控えください。戦となれば兵士の血が流れるのです」
「また爺の小言か……」
新たに部屋へ入ってきたのは老齢の亜人だった。
虎の特徴を持つ虎人の老人だ。
名はコテツ。
ミヅホ仙国の大臣だった。
「小言が嫌なら不用意な発言をなさらないように」
「妾が何を言おうと妾の勝手ではないか?」
「影響力というものがございます」
「窮屈だ。帝国が懐かしいぞ……」
「さぞやお楽しみだったご様子ですな。お付きの者をすべて置き去りにして……私が本国でその報告を聞いたときの気持ちをおわかりですか?」
「さすが仙姫様。そうでなくては、と思ったのであろう? 隠さなくてもよい」
「もしも仙姫様に何かあれば、要職にいる者は皆、首を飛ばされるだろうと覚悟しておりました。帰国されるまで生きた心地がしなかったこともお伝えしておきましょう」
「大げさな……一応言っておくが、妾に匹敵する実力者であるエルナやシルバーは、帝国で好きなように動いていたぞ? 妾ばかり窮屈な思いをするのは納得いかん!」
「アムスベルグ勇爵家は帝国の臣下です。仙姫様はミヅホの守護神です。ミヅホは仙姫様がいなければ立ち行かぬ国ですが、帝国は勇爵家がいなくても成り立ちます。そしてシルバーはSS級冒険者。国を背負ってはおりません。同じ力を持つ者だとしても、あまりにも立場が違いすぎるのです」
「では、妾もSS級冒険者になろうではないか!」
「ミヅホへの肩入れは禁止されましょう。それでよろしいならお好きなように。かつてエゴール翁はドワーフの国が皇国に攻められてもお見捨てになった。その覚悟がおありですか?」
「シルバーは帝国に肩入れしているではないか……」
唇を尖らせてオリヒメは呟く。
そんなオリヒメにコテツは告げる。
「好き勝手にやっているように見えるシルバーですら、聖竜が出てくるまでは帝都の反乱で姿を現さなかったのです。それですら問題とされた。彼らとて多くのものに縛られているのです」
「むー……」
「まったく……そんなに仙姫の地位が嫌なら、お子をお生みになって、次世代に譲りなさいませ」
「しゅ、出産は大変だと聞く……それにまだ伴侶を迎える気は……」
そこでオリヒメは言葉を切る。
そして。
「誰でもよいのか?」
「どなたかお気に召した者がいますか?」
「では、アルノルトを」
「駄目です」
オリヒメの笑顔が固まる。
即答だった。
コテツはため息を吐き、オリヒメが何か言う前に駄目な理由を説明しはじめた。
「帝位争いは佳境。候補者はエリク皇子とレオナルト皇子に絞られました。レオナルト皇子が勝った場合、皇兄殿下という立場になる方です。レオナルト皇子はアルノルト皇子をとても信頼しているそうですし、かなり重用するはずです。そしていまだ未婚ですから、帝国各地の有力者と婚姻を結び、支持者を増やしたほうが彼らにとって得です。帝国の外に出すことはないでしょう」
「妾が帝国の有力者に劣ると言う気か!? 自分で言うのもなんだが、妾は人気者だぞ!?」
「ミヅホは所詮小国。そして帝国とも距離が離れています。帝国にとって、皇族を送り込むほどの重要度はありません」
「では、レオナルトが負けたらどうだ? 妾が匿おうではないか!」
「皇国はエリク皇子を支援しています。その敵対者を匿うということは、一気に皇国と帝国を敵に回すということです。一番ありえませんな」
「ぐぬぬ……ああ言えばこう言いよって……」
「唯一ありえるのは、仙姫の地位を誰かに譲って帝国に行くことですな。そのためにはほかの仙狐族の方が台頭しないといけませんが」
「ふむ、ならば今すぐ譲ろう」
「仙狐族なら誰でもいいわけではありません。力ある方にしか仙姫は務まらないのです」
コテツはそういうと、一息ついてから一通の書状を取り出した。
そして。
「戯れはここまでに。一大事にございます」
「何事だ?」
「〝黄昏の森〟に子供が迷い込みました。数は五名。ご存じのとおり、黄昏の森は入ったら出てこれない森。住民たちは仙姫様ならばと嘆願書を出してきております」
「子供が五人……助けねばだな」
「お気持ちはわかりますが、黄昏の森に関しては打つ手はありません。かつての仙姫様も挑戦し、駄目だったのです。あの森に手出しはできません。どうにか住民を落ち着ける方法を考えねば被害が広がります」
「かつての仙姫ができなかったからといって、妾ができないとは限らないであろう?」
「試して駄目だった場合はどうなさるおつもりですか? ミヅホにおいて、仙姫様でもできないことがあると思われるのはよくありません」
「ふむ……ならばその手のことが得意そうな者を呼ぶとしよう」
「誰にございますか?」
「シルバーだ」
「お戯れを。シルバーを呼びだすとなれば、虹貨が必要となります。残念ながら、子供のためには払えません」
「必要ない。あやつは一度だけどんな依頼でも無償で引き受けると言っておった。その約束を守ってもらうとしよう」
「少々お待ちを……それは……とても大事な権利では?」
「妾が作った貸しだ。妾が使いたいときに使う。冒険者ギルドに連絡し、シルバーを呼び出すがよい。仙姫が呼んでいるといえば、約束を守ってちゃんと来るはずだ」
シルバーを好きなときに呼び出せる権利。
下手をすれば虹貨三枚以上の価値がある権利だ。
それを子供の救出のために使うというのは、国の重鎮としてなかなか受け入れらないことだった。
だが、オリヒメの性格をよく知っているコテツは静かにため息を吐いて諦めた。
そしてその場を後にして、すぐに冒険者ギルドに連絡を入れたのだった。