第五百三十五話 皇帝の勅使
時は少し遡り、帝都の玉座の間。
そこで皇帝ヨハネスは一人の人物を呼び出していた。
「こ、皇帝陛下においてご機嫌麗しく……えっと……拝謁の栄誉に賜り、恐悦至極……えっと、えっと……」
「慣れない言葉を使う必要はない。アルノルトと接するように話せばよい」
「よ、よろしいのですか……ですわ」
「かまわん。よく来た、ミア」
玉座の間に呼び出されたのはミアだった。
しかもアルを通じての呼び出しではなく、皇帝の密命を受けた近衛騎士によって連れて来られた。
まさか帝国の皇帝と対面するとは、ミアは思ってもおらず、移動の間になんとか言葉を勉強したが、無理をしているのは明らかだった。
「そ、その……皇帝陛下……どうして私を呼び出したのでしょうか……ですわ」
「朱月の騎士の名はよく聞いている。藩国の義賊として、帝国にも協力してくれた。そのことにまずは礼を言わねばと思ってな」
「お礼は……私のほうこそ申し上げなければいけませんですわ。トラウゴット王の統治はかつての藩王とは違い、穏やかですわ。民たちは皆、喜んでいます。すべて帝国、ひいては皇帝陛下のおかげですわ」
「そういってもらえれば、侵攻したという罪悪感も多少は薄れるな」
ヨハネスは軽く笑いながら、何度も頷く。
藩国を良くしようと、民の味方でありつづけたミアの言葉には重みがあった。
そのミアがかつてよりも良いというからには、事実だろうと思えたし、トラウゴットを王に据えたのも間違いではなかったと思えた。
しかし。
「だが、トラウゴットの治世はトラウゴットの功績だ。ワシのものではない。その言葉はトラウゴットに聞かせてやってほしい」
「陛下がお望みとあらば」
「まだ硬いな。アルノルトにもそういう態度か?」
「アルノルト皇子はその……覇気に欠けるので……あ、有事の際は別ですわ」
ミアはあまりフォローにならないフォローをつけたした。
だが、それは本心だった。
そして的も射ていた。
「たしかに。あれは有事の際しか動かない男だからな。だが、それゆえに真価のわかる者が少ない。ミアは見抜けているようだな」
「本人に言うことはないでしょうが……その気になれば皇帝にもなれると思いますわ。悪だくみの多い皇帝でしょうが」
「それはそれで見てみたいがな。さて、人を見る目が確かなお前に頼みがある。難しい頼みではない。マリアンヌ王妃に対して、勅使として会ってほしい」
「マリアンヌ王妃に……?」
ミアの疑問はもっともだった。
藩王となったのはトラウゴット。そしてトラウゴットはヨハネスの息子だ。
わざわざその妻であるマリアンヌに勅使を出す意味がわからなかった。
「このことは軍事機密ゆえ他言は無用だが……軍の準備が調い次第、ワシは王国を攻める。そこで連合王国の力を借りたい。マリアンヌ王妃は連合王国の人質だった。知人も多いはずだ」
「ならば伝令を出せばよろしいのでは?」
「伝令を出せば命令と取られかねない。ワシは協力を取り付けたいのだ。帝国の圧力は感じさせたくない。連合王国にも、藩国にも、な」
「たしかに私がいけば命令という形にはならなそうですが……マリアンヌ王妃には断る選択肢がありませんですわ」
「だからお前を呼んだ。断わっても構わないとしっかりと伝えてほしい。この戦、多くの血が流れる。関わりたくないというなら、関わらせたくはない。連合王国に参戦を促すのは、連合王国の兵を死地に向かわせると同義だからな」
マリアンヌが断わったところで、誰かがその役目を負うことになる。
だが、直接かかわっていなければ罪悪感も薄れる。
「……役目は理解しましたですわ。ですが、トラウゴット王に頼むという方法が確実では?」
「息子のことはよくわかっている。トラウゴットに話を持っていければ、妻に重荷を背負わせるようなことはせず、自ら動くだろう。そうなれば連合王国の参戦を帝国の皇族が促すことになる。連合王国はまだ安定してはおらぬ。竜王の下、竜騎士団は一致団結しているが、貴族はまだ簒奪者である竜王を認めきってはいない。この申し出が帝国の圧力と判断されれば、参戦してもしなくても竜王を追い詰めることになる」
武功でのし上がった竜王が参戦を避ければ、臆病風に吹かれたと噂され、参戦すれば帝国の圧力に負けたと噂される。
連合王国が乱れれば、王国にとっては好機となるだろう。
ゆえに命令であってはならなかった。
あくまで協力の要請。
しかも藩国王妃を通じての要請。
連合王国に気を遣うのは、それだけ竜騎士団の力が必要と感じていたからだ。
「お考えはわかりましたですわ。勅使の任、私にお任せください。ただ……」
「ただ?」
「私はありのままにお伝えしますわ。そして、説得する気はありませんですわ。そのことをご了承ください」
「無論だ。しっかりと頼むぞ」
そう言ってヨハネスは近くに控えていた近衛騎士に視線を向ける。
勅使を示す証や、旅の費用などがミアに渡された。
それを受け取り、ミアは玉座の間を去ろうとする。
しかし、少しためらったあとに口を開いた。
「皇帝陛下……戦争をしないという手はないのですか……ですわ」
「すでにその段階は過ぎた。我らが仕掛けずとも、王国が仕掛けてくる。ならばこちらから仕掛けるのみ。我らは常に奪う側の国だからな」
ニヤリと笑うヨハネスを見て、ミアはその笑みをアルと重ねた。
この親にして、この子あり。
そんな言葉を思い出しながら、ミアは一礼してその場を後にしたのだった。