第五百三十一話 精鋭たる公国海軍
城をフィーネたちが占拠したという報告を聞いた時点で、俺とジュリオは用意した船で都に急行した。
城を占拠したとはいえ、長くは保たないからだ。
海路ならばすぐに駆け付けられる。
そのための船だった。
しかし、こちらが用意できたのは一隻。
しかも中規模な船のため、最低限の人員しか乗っていない。
「都が見えました!」
一人の船員の言葉を聞き、全員が甲板に出てきた。
だが、目の前に広がった都の前には強大な障壁が立ちふさがっていた。
「こ、公国海軍が都を封鎖しています! 数は十!」
城が占拠されるという異常事態。
当然ながら、都は厳戒態勢だろう。
公王を確保したとはいえ、都を掌握したわけではない。
大軍が現れたわけではないから、都の地上戦力の多くは城に集中する。
外からの侵入ルートは二つ。
陸と海。そして陸はマルセルが塞いでいる。
海を塞ぐのは当然、公国海軍だ。
「で、殿下……どう突破するつもりなんでしょうか……?」
「彼らは軍人だ。たとえ間違っていても命令には従うだろう」
俺の言葉を示すように、海の上で整然と隊列を組んだ公国海軍の十隻はこちらに魔導砲を向けていた。
いつでも砲撃可能といった様子だ。
「では、どうすると……?」
「彼らに軍人としての決まりを破ってもらうしかない。迷いがあるはずだ。忠義と軍人としての責務。どちらを優先させるのか」
状況はわかっているはず。
公王を軟禁していたのはバルナバであり、対して助けたのはフィーネだ。
城では公王が解放されたと知り、フィーネたちに与する者も多いはず。
そうでなくとも公爵軍は完全に劣勢。
鞍替えするチャンスは今しかない。
物好きじゃなければ沈む泥船には乗っていたくないからだ。
しかし、そんな泥船から乗り換えるのですら、誰かの言葉が必要な者もいる。
その切っ掛けを俺たちは与えに来た。
『接近する船に告ぐ。こちらは公国海軍船長のメストだ。現在、都は封鎖中である。誰であろうと入ることは許されない。こちらは撃沈する許可も与えられている。停船せよ』
「メスト船長は人格者です。話せばわかるかと」
「まぁ、船長はあと九人いるからな……」
人格者という評価はともかく、話せばわかるという言葉には首を傾げなければいけない。
なにせ、この声には聞き覚えがある。
かつて、この船長は最後まで職務に忠実だった。
今もそれは変わらないだろう。
それなりの言い訳を与えてやらないと、こちらが思ったような動きはしてくれないだろう。
そんなことを思いながら、俺はラースのほうへ視線で合図を送る。
こちらも応じなければ問答無用で撃沈されかねない。
「さて、博打といくか」
「殿下のお言葉なら彼らもわかるはずです! かつてレオナルト皇子殿下がやったように!」
「何を勘違いしている? ここはアルバトロ公国。そしてこれはアルバトロ公国の内乱だ。彼らが待っているのは俺の言葉じゃない。君の言葉だ」
「ぼ、僕ですか……!?」
「たしかに内乱の大半を俺が主導した。しかし、旗印は君だった。兵士は俺に命を預けたんじゃない。君に命を預けたんだ。ならば、この局面で彼らに言葉をかけるのは君が適任だ」
「で、でも……僕は殿下のように誰かを従えさせることはできません……得意じゃないんです……」
「俺だって得意じゃないさ。レオが横にいれば、レオに任せてる。けど、いつもレオがいるわけじゃない。やるしかないからやっているだけだ。そして……今、適任者は君であり、君がやるしかない」
常に誰かに責任や仕事を押し付けられるならそうしている。
けど、そうはいかないのが人生だ。
譲れない物を持っているなら尚更、そうはいかない。結果なんてどうでもいいと思えたら、何だって人に任せられるが、そう思える人間はあまりいないだろう。
今、ここで失敗は許されない。
俺が彼らに語り掛けて成功するならそうするが、俺の言葉じゃ彼らは職務を放棄しないだろう。
一人や二人じゃ駄目だ。
十人の船長たちを味方につけないといけない。
それはジュリオにしかできない。
彼らが仕える相手だから。その一点が必要であり、ここではジュリオしか満たしていない。
「でも、何を言えば……」
「君が言いたいことを言え。君は国のために動いている公子だ。何を言ってもいい。言いたいように言え。駄目ならなんとかするだけだ」
一応、こちらにはフィンという強力な航空戦力がいる。
とはいえ、いくらフィンでも軍船十隻は荷が重い。
ジュリオが失敗したら、俺の魔法が必要になるだろう。
そうはならないでほしいものだ。
「殿下、ジュリオ公子で大丈夫ですか?」
ラースがそっと俺に問いかけてきた。
そんなラースに俺はニヤリと笑いながら答えた。
「さぁな。わからんよ、相手のあることだからな」
「では、海に投げ出されたときのことを部下と相談しておきましょう」
「そうしておけ。まぁ、大丈夫だと思うけどな」
「その根拠は?」
「公国海軍には大陸屈指の海軍であるという自負がある。そしてそれを誇りとしてきた。だから、帝国に攻め込まれた王国のために、危険を承知で救援に向かった。彼らには受け継いできた矜持がある。王国か帝国か。支持の話なら彼らは動かない。だが、今のジュリオは父親を助けに来た息子だ。しかも劣勢を跳ね返し、ここまで来た。それを阻むのは矜持が許さないだろう。大義はジュリオにある」
大々的に使っていなかろうが、公爵軍は公王の身柄をずっと確保し続けた。
交渉に使うためなのは誰にだってわかる。
それでも海軍は職務に忠実だった。公王の身柄を公爵軍が抑えていたからだ。
しかし、今はそうではない。
そこにジュリオがやってきた。
言い訳としては十分だろう。
「僕は……ジュリオ・ディ・アルバトロだ。ここには父である公王を助けに来た。そして……この内乱を早く終わらせるためにやってきた。すでに大勢は決した。長引かせれば人の血が流れるだけだ。僕は……今日、この戦争を終わらせる」
ジュリオは深呼吸をする。
まだ十隻の船に動きはない。
「幼い頃から僕は……公国海軍のことを聞いて育った。公国の誇りであると子供は教わる。それに恥じない働きを海軍はしてきたと思う。今も僕にとって公国海軍は誇りだ。あなたたちが苦しい立場にあるのは理解しているし、無理を言っているのは承知の上だ。それでも通してほしい。僕は父を助けに行き、この戦争を終わらせる義務がある。今、心ある者が戦う城に行く責務があるんだ」
ジュリオは少し迷ったような表情を浮かべたあと、こちらを見てくる。
俺はそれに頷いた。
どうであれ、やってみればいい。
迷うことはないからだ。
少し驚いた様子を見せたジュリオだが、すぐに顔つきが変わった。
覚悟を決めたんだろう。
「前進せよ! これより都に入る! 公国海軍の船長たちに告ぐ! すべての判断をあなたたちに委ねよう! あなた方はアルバトロ公国の誇りだ。どうか――これからも僕らの誇りであってほしい。あえて、この言葉を使おう。僕が最も情けなかった時の言葉であり、あなた方が最も誇り高かった時の言葉だ。〝精鋭たる公国海軍の船長たちの賢明な判断に期待する〟」
ジュリオの言葉を受け、船は進み始めた。
十隻とどんどん距離が縮まっていく。
一人でも船長が号令を発すれば、船は打撃を受けて航行不能になるだろう。
そしていよいよ至近距離。
もはや回避は不可能。
一撃で致命傷だ。
ヒリついた空気が船全体に流れる。
ゆっくりと十隻の間を俺たちの船が通り過ぎていく。
チラリと横を見ると、隣の船の端に一人の男が立っていた。
船長用の帽子をかぶった男性。
口ひげを蓄え、貫禄がある。見るからに船長というような男だった。
おそらく彼がメスト船長だろう。
そんなメスト船長と俺の視線が合った。
メスト船長はゆっくりと俺に向かって敬礼してくる。
それに対して、俺も敬礼で返す。
軍人らしい彼にはそれが一番の挨拶だろうから。
完全にすれ違い、十隻が俺たちの後ろになった時。
後ろから大きな指示が聞こえてきた。
「反転! 公子殿下に続く!」
後ろを見てみると、十隻の軍船がこちらに続いていた。