第五百三十話 玉座制圧
帝国の蒼鴎姫がロンディネの使者としてやってきた。
その報告を海軍提督より受けたバルナバは、すぐに城へ来させるように命じた。
なぜ帝国の蒼鴎姫がロンディネの使者としてやってきたのか?
その疑問は残ったが、会わないという選択はバルナバにはなかった。
噂に聞く帝国一の美女。
いつかは会ってみたいと思っていた。
だが、バルナバとて馬鹿ではない。
城に入った使者団に対して、会見にはフィーネと一人のみという条件を出した。
できればフィーネのみと言いたいところだったが、それではあまりに露骨すぎる。
現在、公爵軍は不利に立たされている。
フィーネを手元に置ければ、公王以上の人質となる。上手く使えば、情勢を挽回できるかもしれない。
そういう思惑がバルナバにはあった。
直接会うまでは。
「公王陛下に拝謁いたします。フィーネ・フォン・クライネルトと申します」
玉座の間。
そこで玉座に座る公王の近くに立っていたバルナバは、フィーネに見惚れていた。
これほど清楚で美しい女性は見たことがなかった。
「よ、よく来られた、フィーネ嬢」
建前上は公王とフィーネの会見。
それなのにバルナバは口を開いた。
実質的な権力者は自分だという自負があったというのと、フィーネと早く言葉を交わしたかったからだ。
「お招きに感謝します。バルナバ様」
「気になさるな! フィーネ嬢のような美女ならいつでも大歓迎だ!」
笑いながら、バルナバは高揚していた。
父が敗れ、運に見放されたやもと思っていた。
だが、極上の女がいきなり転がり込んできた。
最高の人質であり、最高の美女だ。
絶対に城から出さない。
そうバルナバは強く心に誓った。
「今回はロンディネ公国の使者として参りました。こちらはロンディネ公王よりの手紙となっております」
「ほう? では読ませていただこう」
バルナバは安易にフィーネへ近づいた。
フィーネの後ろには老人の執事のみ。
その執事が持っていた長剣も玉座の間に入る前、兵士が没収している。
恐れることはない。
フィーネに近づく機会をバルナバは無駄にはしたくなかったのだ。
できるだけ柔らかい笑みを浮かべながら、バルナバは近づく。
そして手がフィーネに伸びた。
だが、その手がフィーネに届くことはなかった。
「え?」
視界がグルリと反転する。
気づけば天井が見えており、背中が痛かった。
「な、にが……?」
バルナバが痛みに耐えながら体を起こした時。
公王の隣に待機していた二人の兵士がバタリと倒れた。
「ご無事ですか? 公王陛下」
「あ、ああ、感謝する……」
フィーネは公王に近づき、その身を案じる。
その間にセバスは極細の針を周囲の兵士に投げつけた。
兵士のチェックをすり抜ける暗器。
扱いは難しく、急所に当てなければ威力に欠ける武器だ。
しかし、セバスの投擲は正確で、兵士の喉を正確に貫いていた。
「な、な、な、なにをしている!?」
「おや? 気絶しておりませんでしたか。意外に頑丈ですな?」
セバスはそう言ってまた針を取り出した。
小さな悲鳴をあげてバルナバはセバスから距離を取り、声をあげた。
「て、敵襲だ! 早く来い! 敵襲だ!!」
バルナバの声を受けて、外に控えていた兵士たちが玉座の間に入ってくる。
すぐにフィーネたちは囲まれた。
「やはり公王が目的だったか……」
「わかっていたというのに私を通したのですか?」
フィーネは不思議そうに問い返した。
それに対してバルナバは鼻で笑う。
「当たり前だ。どうやって城に留まってもらおうか考えていたが、手間が省けた。二人目の人質となっていただく! どこにも逃がさないぞ!」
「逃げる気ならここには来ません」
「なかなか潔いな、さすがフィーネ嬢」
フィーネが観念したと勘違いしたバルナバは、何度も頷く。
これでフィーネを城に留めおく理由ができた。
しかも公王を拉致しようとした犯人でもある。
丁重にもてなす必要もなくなった。
笑うバルナバだったが、表情を変えないフィーネを見て、何かうすら寒いものを感じた。
「な、何か考えがおありかな?」
「どうでしょうか?」
そう言ってフィーネは笑う。
次の瞬間。
バルナバの周りにいた兵士たちが倒れた。
横にいた兵士が斬ったのだ。
「な、なにぃ!? なにをしている!?」
斬ったのは兵士に扮していたネルベ・リッターの団員たちだった。
彼らは次々にバルナバの兵士たちを斬っていく。
兵士たちも抵抗するが、ネルベ・リッターの敵ではなかった。
「くそっ! もっと兵士を呼んでこい!」
「しばらく来ませんよ。近場の兵士は寝ていますから」
そう言って現れたのはリンフィアだった。
後ろには旗艦アルフォンスの船員の中でも、腕の立つ者が数人。
ただし、この道中で彼らがすることはなかった。
通り道にいる兵士は、リンフィアの魔槍によって眠らされていたからだ。
「そんな馬鹿な……くそっ! こやつらを殺せ!」
バルナバはそう指示を出しながら、自分は玉座の間の端へ走っていく。
そこには避難用の隠し通路があった。
リンフィアたちはバルナバを追うことはなく、玉座の間の制圧を優先する。
数こそ劣っていたが、ネルベ・リッターとリンフィアという腕利きが揃っていたため、決着はすぐについた。
バルナバが逃げた時点で、半分以上の兵士が武器を捨てたというのも大きかった。
「では、よろしくお願いします」
フィーネはネルベ・リッターの団員に声をかける。
その団員が拡声の魔法を使って、フィーネの声を城全体に届ける。
「城にいるすべての兵士に告げます。私は帝国のフィーネ・フォン・クライネルト。公王陛下の身柄は私が確保しました。いずれジュリオ公子の軍が都にやってくるでしょう。今、決断の時です。公爵につくか、公王につくか。もう一度考えてみてください。そしてまだ、心に忠義が残っているのなら――戦う時です」
そう言ってフィーネは城にいる兵士たちに呼びかけた。
それは城を混乱させるには十分な言葉だった。
その間にリンフィアたちは玉座の間で籠る準備に入った。
「脱出ではなく、籠城を選ぶとは……援軍のアテがあるのか? フィーネ嬢」
「ええ、必ず援軍はやってきます。どうかそれまでご辛抱を」
「あなたがそう言うなら信じよう」
公王は深く頷き、玉座に背を預けた。
この場を動きはしないと決意しながら。