第五百二十九話 ロンディネからの使者
ロンディネから使者としてアルバトロに向かったフィーネは、都近くの海上で停泊を余儀なくされていた。
公国海軍が防衛線を敷いていたからだ。
「申し訳ありません。フィーネ様。現在、我が海軍には都に誰も近づけるなという命令が出ていますので」
そう言って旗艦アルフォンスの上で謝ったのは、公国海軍船長のメストだった。
かつてレオに扮したアルを制止したメストは、今もフィーネを制止していた。
「謝罪は結構です、メスト船長。私はロンディネ公国の使者としてやってきました。ですので、どうか公王陛下にお取次ぎを」
フィーネとて馬鹿ではない。
公王に取り次ぐということが、そのまま公王に取り次ぐということではないことはわかっていた。
この場合、都を暫定統治しているバルナバに取り次いでほしいという意味だった。
もちろんメストもわかっていた。
だが。
「それはできません。どうか引き返してください」
「アルバトロ公国はロンディネ公国の使者すら追い返すと?」
「そういうわけではありませんが……どうか引き返してください。それがあなたのためであり、我がアルバトロ公国のためです」
「言っている意味が理解できません」
「……」
フィーネが一歩も退く気がないことを察したメストは深くため息を吐き、周りを見渡したあとに提案した。
「立ち話はなんですから、部屋を用意していただけますか?」
「わかりました」
■■■
アルフォンス内の部屋に入ったメストは、セバスを伴ったフィーネに再度告げた。
「どうか、今すぐ引き返してください!」
「判断は理由を聞いてからです」
「はぁ……現在、公爵軍は追い詰められています。各貴族のために王国の大使であるマルセルは、交渉に乗り出しているのです。そんなところにあなたが飛び込めば、人質として使われてしまいます」
「状況は把握しました。ですが、私が行かなくても公王陛下が人質となっているのでは?」
「そのとおりですが、あなたが人質となれば我が国だけの問題ではなくなってしまいます」
「すでに貴国だけの問題ではありません。隣国ロンディネも関わっていますし、我が国の皇子も関わっています」
「なぜみすみす人質になりに行くのですか!? 知らないかもしれませんが、都を治める公爵の息子、バルナバは好色な男です。あなたのような見目麗しい女性を見れば、何をするかわかりません。これは我が国の存亡が関わっているのです。どうか引き返してください!」
メストは必死だった。
バルナバの女好きは有名だった。
父親が出陣しているのに、一向に女遊びをやめなかったほどだ。
フィーネほどの美女が目の前に現れれば、必ず手元に置こうとするだろう。
どれほどの無礼を働くか、考えたくもなかった。
帝国の皇子であるアルノルトが参戦するのと、皇帝のお気に入りであるフィーネが人質になるのでは、他国の反応が違ってくる。
どこまでいってもアードラーの一族は武門の一族。その力で大陸中央に覇を唱えた血筋だ。現在の結果から見ても、参戦して危険に晒されたとはとても言えなかった。
だが、フィーネは帝国公爵の娘ではあるが、戦う力を持たない。
か弱き乙女なのだ。それを巻き込んだとなれば、批難されたときに言い訳ができない。
激怒した帝国軍が攻め入ってくる可能性もあった。
「なるほど……バルナバ様は女好きですか……」
「何を考えているんです……? 余計なことはしないでいただきたい。お願いします。我が国のためなのです」
「公王陛下を人質として、交渉が長引くことのほうが問題では? 長引けば長引くほど、国は乱れます。ロンディネ公国にも事情があり、すぐには動けませんが、あまりにもアルバトロ公国の内乱が長引けば動くかもしれません。お忘れなく、ロンディネ公国は常にアルバトロ公国の領土を狙っていたことを」
嘘ではない。
ロンディネとアルバトロは海竜事件の際に同盟を結んだ。海竜に対抗するため、そして大国に対抗するためだ。
しかし、それはそれなりに両者の力が拮抗していたからだ。
あまりにも内乱が長引けば、ロンディネとしても決断を下すかもしれない。
今はその決断を下す者がいないだけ。
「それは重々承知しておりますが……」
「ジュリオ公子の優位は国境軍の加勢があったから。もはや公爵軍が戦で勝つのは難しいでしょう。ゆえにマルセル大使も交渉戦に移ったわけです。しかし、中央に国境軍がいるということは、ロンディネとの国境はがら空きだということです。その状態を長引かせる危険性を説明する必要はありませんね?」
「長引くのが危険なのは承知しています! ですが、ジュリオ公子は公王陛下を無視できません! 長引くのは仕方ないのです! そのうち公爵軍は瓦解します! それまでの辛抱なのです!」
「その時間がないかもしれないとお伝えしたはずです。すべては公王陛下の身柄を公爵軍が握っているから。私はそれを解決するためにやってきました」
「城の警備は厳重です。公王陛下を救い出すのは無理です! あなたが行けば人質が増えるだけ! そして我が国の汚点が増えます!」
メストはフィーネの説得を諦めて、傍にいるセバスへ視線を向けた。
だが、セバスは肩を竦めるだけだった。
「あなたが人質となれば、ジュリオ公子とアルノルト皇子の優位は消え去ります。交渉がさらに長引くからです。国境軍を長く留め置けないことは、公子とて理解しているはず」
「ですが、私が城に入り、公王陛下の身柄を確保できれば相手の優位を奪うことができます。内乱は長引かせるべきではありません。そう思いませんか? メスト船長」
「……たしかにあなたほどの美女ならば、バルナバは会うでしょう。しかし、彼も馬鹿じゃありません。護衛は最小限と言われるはず。少数で何ができますか?」
「公王陛下の身柄を一時奪還することくらいはできます。アル様は貴重な戦力を私に預けてくださいましたから」
セバスにリンフィア、そしてネルベ・リッターの団員たち。
彼らならば厳重な城にも侵入できる。
フィーネが会見に臨んでいる間に、侵入して玉座を制圧することくらい造作もないだろう。
「一時的に奪還してどうするのですか?」
「そのまま城に籠ります。城にいる兵士たちも全員が公爵についたわけではないでしょうから」
「援軍のアテはあるのですか?」
「私は切っ掛けを作るだけ。その後はアル様にお任せします」
「そんな計画では協力できません!」
アルが呼応しなければ終わり。
すぐに制圧されて、人質が増えてしまう。
博打もいいところだった。
「あなたは帝国の人間のはず。もはや親帝国派の勝ちは確定しています。今更、賭けに出る必要はないでしょう!」
「帝国が必要としているのはアルバトロ公国の海軍です。一緒に攻めてほしいから、こうして助力しました。ですが、交渉が長引くと国内がめちゃくちゃになってしまいます。そんな状況で海軍を動かせますか? この内乱が長引きすぎると、アルバトロ公国は機能しなくなってしまう。それは帝国の望むところではありません。お忘れなく、今はロンディネの使者としてここにいますが、私は元々、帝国からの使者。皇帝陛下より任務を任された身です。帝国の利益のために全力を尽くさなければなりません」
「そうは言ってもですね……」
「これ以上、話しても無駄だというなら仕方ありません。あなたを人質にして、他の船長を呼ぶとしましょう。いずれ話のわかる人が来るはずです」
メストが気づいた時には、セバスがメストの後ろに回り込んでいた。
刃物は突き付けられていない。
だが、それに近い状況だった。
「……聞かせていただいてもよいですか?」
「なんでしょうか?」
「アルノルト皇子が呼応したとしても、大軍は連れて来れません。その点をどう解決するつもりですか?」
「これは私の想像ですが……きっとアル様は、精鋭たる公国海軍に期待しているのではないかと。公王陛下の身柄さえ確保できれば、あとは各船長たちの判断に委ねられますから」
そんなフィーネの言葉を聞き、メストは説得を諦めて頷いた。
そして海軍提督を通じて、バルナバにフィーネのことが知らされたのだった。