第五百二十七話 許すべき
戦況は膠着状態に陥った。
こちらは一千が砦に籠り、二千が外。
向こうは負傷兵を含めて三千ほど。
どちらからも動かないため、俺たちと公爵軍はずっと睨み合いを続けていた。
その間にマルセルが率いているだろう別動隊は都に移動。
おそらく都を守る砦に入って、籠城戦の構えだろう。そして公王を使っての交渉。
批判は免れないが、こちらを交渉の席につかせることができる。
長引けば離反者が相次ぎ、公爵軍は崩壊するだろうから、向こうもそれなりの条件で講和するはず。
たぶん、貴族の身分の保証あたりだろうか。
そんなことをしている間に、マルセルは王国へ帰ってしまうだろう。
公国での勝利は得られる。
だが、公国を味方につけるのは王国との戦いに勝利するため。
そしてマルセルは王国の重要人物。逃がさず捕えるなり、討てるなら無理をする価値がある。
「まぁ、無理をする隙も与えてくれないんだが……」
マルセルの移動は見事だった。
夜のうちに半数が移動。
気づいた時には遅かった。
追えばどういう形であれ、挟み撃ちを食らう。
しかも拠点から出ることになる。
だが、逃がせば防御を固められる。しかも交渉の切り札は向こうにある。
マルセルの撤退時。そこが無理のできる最後のポイントだった。
もうマルセルを討つチャンスはないだろう。
結局、追い詰めることはできなかった。
そのことにため息を吐いていると、ジュリオが急いで俺のほうへ駆け寄ってきた。
「殿下! エヴァが国境軍を率いてきます!」
「意外に早かったな。しかし、どこでその情報を?」
「エヴァと僕は音を使う先天魔法を持っています。僕らにしか聞こえない音で距離が離れていても、連絡可能なんです」
「便利だな。そう思わないか? ラース隊長」
「どうでしょう。私は先天魔法を使わずに意思疎通を図る双子を知っておりますので」
ラースの言葉にフィンも頷く。
面白くない奴らだ。
すごいと言ってくれれば、話が広がったのに。
まぁ先天魔法にしては地味だというのは否めない。
今の魔法でも再現できそうなものだ。
もちろんないよりはあったほうがいい。
「タイミングを合わせて挟撃しましょう! これで相手は成す術もありません!」
「ふむ……ジュリオ公子。彼らが見えるか?」
俺は公爵軍を指さす。
ジュリオは戸惑いながらも頷いた。
「え、ええ……」
「敵はどれだ?」
「て、敵ですか? それは全員では?」
「違う。君の敵はパストーレ公爵のみ。それ以外は君の敵ではない」
「どういう意味でしょうか……?」
「簡単な話だ。彼らはつくべき相手を間違えただけ。中には選択の余地すらなかった者もいるだろう。そんな彼らにはチャンスが与えられるべきだ」
「彼らを許して臣下としろということですか……?」
「そういうことだ。一定の処分は必要だろうが、パストーレ公爵側の貴族をすべて処断したら国が成り立たなくなる」
「それはそうですが……彼らは父や僕を見限った者たちです。裏切ることもできたはず」
ジュリオの言葉はとても感情的で、そして理解できるものだった。
「ラース隊長、どう思う?」
「自分は公子と同じ考えですね。末端の兵士はともかく、貴族たちは公爵を選んだ。王に忠誠を誓うべきなのに、それを破って公爵についたのです。彼らには二心があった。臣下として使えと言われても、自分には無理かと。それにそういう理屈は置いておいても、自分に味方しなかった人間、自分を認めなかった人間というのは不愉快なものです。あとから謝罪したり、認めたりされても気分は良くありません」
ラースは肩を竦めてそう言った。
本音かどうかはわからない。
ただ、俺が言ってほしいことを言っただけだ。
ラースは別に君主じゃない。
そう言っても問題ない立場にある。
だが、俺やジュリオは違う。
「人の上に立つ時、難しいのは許すことだ。感情的に許したくなくても、許さなきゃ駄目なときがある。彼らは確かに誤った。それを正す機会もあった。だが、結局はここまで動きはない。彼らには価値がないように思えるだろうし、状況を見極められなかった無能と思えるだろう。だが、それでも許すというのが器を見せるということだ。君は公王の後継者だ。ここで勢いに任せて、彼らに過剰な攻撃を仕掛けてはいけない。彼らは敵じゃない。君が膝をつかせるべき臣下だ」
ジュリオは俺の言葉を理解できたようで、何度か頷く。
だが、感情面では納得していない様子だ。
まぁ、今はそれでいい。
ジュリオは十分、理性的な子だ。
理解できたなら、そのうち納得もできるだろう。
大事なのは、ここで過剰な攻撃を仕掛けてはいけないという点だ。
それさえ守れれば、公王家の勝ちは確定する。
■■■
国境軍の登場は劇的なものではなかった。
数は八千。
公爵軍の後ろに現れ、完全に公爵軍を包囲した。
この状況ではさすがに勝ち目がない。俺たちと違って、籠るべき拠点もない。
パストーレ公爵は最後まで徹底抗戦を主張したようだが、周りの部下に取り押さえられて、代わりにアドルナート伯爵が俺たちに降伏を申し出てきた。
そして。
「開戦前に話していたことを覚えているか? オスカル」
「はい……覚えています」
俺とジュリオの前には縄で縛られたアドルナート伯爵とオスカルがいた。
パストーレ公爵はすでに監禁した。都にいる息子との交渉に使う大事な人質だ。価値があるかはわからないが。
「君はジュリオ公子を裏切り、公爵についた。公爵有利と見たからだ。どうだ? 自分の見る目がないと思い知らされた今の気分は」
「……」
「アドルナート伯爵。息子が息子なら父も父だな? せめてずっと中立でいれば安泰だったものを」
「……殿下の仰るとおりです。ただ、息子は私の意見に流されただけ。罪はありましょうが、どうか許してやってほしいのです」
「だ、そうだ。何か言うことはあるか? オスカル」
「……自分の見る目がありませんでした。今は自分の無能さを恥じています……」
「まぁ、恥ずかしいだろうな。自分が勝ったら助命を懇願するから感謝してほしいなんて言っておいて、今は縄についているんだからな。どうして愚か者は余計なことしか言えないのか。不思議で仕方ないよ」
言うだけ言うと、俺は右手をあげる。
傍に控えていたネルベ・リッターたちが剣を抜いた。
「で、殿下!? 息子だけは助けていただけないでしょうか!?」
「公爵は人質に使う。だが、けじめは必要だ。公爵に次ぐ有力者であるアドルナート伯爵と、その息子であるオスカル。二人の首を刎ねるのは当然のことだ。何か不思議か?」
「どうか、どうか……」
「残念だったな。俺はしっかりと告げている。助命はしないと」
そう言って俺は手を振り下ろした。
その合図でネルベ・リッターたちが剣を振り下ろす。
だが、その剣はジュリオの声で止められた。
「お待ちを! アルノルト殿下!」
「どうした? ジュリオ公子」
「ここはアルバトロ公国。貴族の処分は僕に任せていただきたい」
「あなたが手を下すと?」
「いえ、僕は誰も殺しません」
「……けじめはどうつけるつもりで?」
「首を刎ねる以外の方法を考えます。縄を解け。二人を移送しろ」
「公子……感謝いたします! この御恩は忘れません!」
「よすんだ、オスカル。君が恩を軽んじるのは知っている。今の君の言葉に説得力はない」
「必ず信用を取り戻してみせます……! 感謝します! 感謝します!」
オスカルは何度も地に頭をこすりつけ、感謝を口にする。
二人が移送されたあと、ジュリオが深く息を吐いた。
「聞きたいんですが……僕が止めなければどうなっていたんです?」
「二人の首が落ちていたな」
「なるほど……」
許すべきだとジュリオに説いたことは、少数しか知らない。
だから制止がなければ、今頃二人は斬られていただろう。
その分、与えた恐怖は大きい。
「許すべきと言いつつ、自分は率先して斬りにいく。殿下は恐ろしい方ですね」
「世の中、飴と鞭が大切だからな。君はどうやっても飴を差し出すしかない。なら俺が鞭を振るうだけさ」
そう言って俺は立ち上がる。
公爵の敗北は決定的だ。
公爵側の貴族もこちらにつくだろう。
国境軍も加えて、戦力は完全に逆転した。
とにかく大勢は決した。
あとはどういう勝ち方をするか。
そして向こうがどういう負け方をするか。
そういう戦いだ。