第五百二十六話 変化の理由
マルセルが目を覚ました時。
丸一日が経っていた。
「申し訳ありません。休息が必要だと判断しました」
「……心配をかけたな」
無理にでも起こせと言いたい気分ではあったが、リゼットにそう思わせたこと、体をそこまで追い込んだこと。
それらはマルセルのせいであった。
ゆえに一言、リゼットに告げてマルセルはベッドを抜け出した。
「状況は?」
「敵に動きはありませんが、マルセル様が倒れたと聞き、公爵が騒いでおります」
「追従する者は?」
「ほとんどおりません。無謀な突撃に出た記憶が新しいので」
「ふむ……」
一度寝たことでマルセルの頭はクリアになっていた。
そして疲れもかなり取れていたため、公爵の行動に腹を立てることはなかった。
「もう少し、上手く利用するべきだったな」
「そうしていたのに、公爵がマルセル様の助言を無視したのです」
リゼットの言うことにマルセルは頷く。
マルセルが出陣しろと言ったタイミングで戦っていれば、ほぼ間違いなく勝ちだった。
それをダラダラと引き伸ばしたあげく、アドルナート伯爵の加入で急にその気になった。
しかもマルセルには都での留守を命じて。
この時点で協力関係は破綻していたようなものだった。
公爵は明確に態度を示したのだ。王国からの介入は受けない、と。
ゆえにマルセルは遠慮を捨てた。
公爵に配慮していては、勝算の薄い戦いに勝つことはできないからだ。
「立場が逆だったなら、アルノルトは公爵を上手く使っただろうか?」
「上手く乗せたかもしれませんね。侮られることに抵抗がないようですから」
「……かつて我が愚兄である王太子は、俺のことを有能だが傲慢だと評した。あの時は凡人の僻みだと聞き流したが、たしかに俺の傲慢さは欠点のようだ」
「自信家であることは欠点とは言えないかと。公爵のような輩は相性が悪いのです」
「リゼットは常に気分の良い言い回しをしてくれるな。だが、それに甘えるわけにはいかん。改善する努力はしなければ、な」
「マルセル様が公爵のために変わる必要があるとは思えません」
珍しく嫌そうにリゼットが顔をしかめた。
リゼットからすれば、この戦いはすでに消化試合。
ほぼ確実な勝利のタイミングで、マルセルの助言を無視したパストーレ公爵を、リゼットはとうの昔に見限っていた。
リゼットにとってマルセルの有能さに気付けない者はすべて悪だからだ。
そんなマルセルが公爵のために変わるというのは、どうにも納得できなかった。
「公爵のために変わるのではない。良き好敵手と並ぶために変わるのだ。俺は激情家だし、尊大だ。能力を示してもなお、俺に付きたくない者は一定数いる。今まではそれでよかったが、アルノルト相手では欠点となる」
そう言いながらマルセルは苦笑する。
そんな奴らのために変わってやるなど、真っ平ごめんだと思っていた時期があった。
だが、そんな考えはすでに吹き飛んでいた。
初めて相対した好敵手。
あれに勝てるならば、どのような努力も厭わない。そう思えるほどにマルセルはアルノルトを認めていた。
「貴族たちは会議中だな?」
「はい、公爵を抜きにして話し合っているようです」
「よし」
ゆえに。
「おお!? マルセル大使!」
「お目覚めになられましたか!」
「心配させたようだ。申し訳ない。ここ最近の疲れが出たようだ。先日の敗戦は俺の責任だ。苦労をかけた」
マルセルは貴族たちに頭を下げた。
彼らは言われたとおりにやった。予想外のアクシデントはあったが、それを防ぐべきだったのは自分だと判断したからだ。
「あ、頭をあげてください!」
「そうです! 大使はよく力を尽くしてくれています!」
貴族たちは意外な行動に困惑する。
今までにはない対応だったからだ。
「力は尽くしたが、負けは負け。しかも大事な時に倒れてしまった。ここでの時間のロスは致命的だ」
マルセルは貴族たちに情報を共有していた。
敵がきっとロンディネを動かすということ。
そうなると国境軍が動けるようになるということ。
国境軍が動けば、戦況は一変するということ。
だから時間がないということ。
すべて共有していた。
しかし、貴族たちはマルセルほど多くのことを理解できるわけではない。
マルセルと意識の差があった。
マルセルは落としきらなきゃ勝てないと思っていたが、貴族の中にはどこか余裕のある者がちらほらといた。
危機感がないのは、理解に乏しいから。
そこをマルセルは改めることにした。
「すでに国境軍は動いているだろう。おそらく時間はあと一日ほど。我々は全滅を避けるために都へ撤退することになる。だが、素直に撤退すれば背を追われることになる」
「そ、そんなに早く国境軍が駆け付けるでしょうか……?」
「信じられないのはわかる。だが、俺はこの手の予想を大きく外したりはしない。撤退しなければ全滅だ。しかし、素直に撤退もできない。それに公爵も撤退を認めないだろう」
パストーレ公爵が従わない理由。
それをマルセルは理解していた。
指示の妥当性を考慮しているのではなく、マルセルに従いたくないのだ。
従えば、王国の介入を受けることになる。そう思っているから、マルセルの言葉にはことごとく反発する。
ならば。
「残ることを主張する公爵を殿軍とする。盟主ではあるが、都には息子もいる。あれも公爵に負けず劣らず問題児ではあるが……選択肢がほかにない」
「なるほど……ですが、盟主を置き去りにしたと見なされるのはまずいのでは?」
「だから貴公らに話している。公爵の下に負傷兵を含めて三千ほど。俺の下に動ける者を二千。軍をわけることになる。申し訳ないが、何人かは公爵と共に残ってほしい」
そう言ってマルセルは貴族たちに再度頭を下げた。
殿軍は危険だ。
それでも。
「その役目、私が引き受けましょう」
「アドルナート伯爵……」
「誰かがやらねばならないならば、私がやりましょう。どうせ息子がアルノルト皇子の機嫌を損ねています。公爵軍が勝たねば我が家に未来はありません」
「結構な覚悟だ。だが、諦める必要はない。貴公を信用して教えておこう。アルノルト皇子は決して、貴公を殺さない。殺せないというべきか」
「……どういう意味でしょうか?」
「アルノルト皇子も所詮はよそ者。裁くのはジュリオ公子となるだろう。彼の敵は公爵のみ。他の者は敵ではない。許されるはずだ」
「……なぜその話を私に?」
「無謀な攻撃をされては困るからな」
殿を買ってでるほどの者ならば、これを聞いても裏切ることはない。
そしてアドルナート伯爵が裏切らなければ、他の貴族も裏切らない。
そういう打算がマルセルにはあった。
もちろん、語った言葉に偽りはなかったが。
「……捕虜となり時間を稼ぎましょう」
「そうしてくれ。都には防衛用に残した一千がいる。防衛ラインを構築するなら三千で事足りる。あとは交渉で何とかするとしよう。使いたくはない手だが、なるべく貴公らの有利になるよう決着をつける」
「感謝いたします」
もはや負け戦。
今、マルセルはより良い負け戦とするために動いている。
貴族たちはようやくそのことを悟ったのだった。
勝機はあった。
一度目は確実な勝機。
二度目は薄い勝機。
どちらもつかみ損ねた。
三度目があるほど戦場は甘くはなかった。
その後、公爵軍は軍を二手に分けた。
片方は都に撤退し、片方はその場に残る。
殿軍はそれでも三千。
無視できる戦力ではないため、アルノルトは追撃部隊を出すことはできなかったのだった。




