第五百二十二話 卑怯な手
「申し訳ありません、殿下。侵入はできませんでした」
「そうか。やっぱり無理があったか」
「やっぱり、ですか?」
砦の中。
帰還したラースが不思議そうに聞き返してきた。
「気を悪くしたか? 無理だと思っていた任務を押し付けて」
「いえ、単純に殿下らしくないと思いまして」
「俺らしくないか……まぁ、賭けではあったな。八割方無理だと思っていた」
「二割を引きたかったと……それほどまでに状況が悪いとは思いませんが?」
ラースの言葉に俺は頷く。
たしかにマルセルによって振り出しに戻った。
だが、士気が戻っただけ。失った攻城兵器はもちろん、時間は戻ってこない。
「公爵軍のこの状況下での最善策は何だと思う?」
「最善策ですか……やはり外にいる貴族軍を討つことでは?」
「違う、兵糧攻めだ。しかし、マルセルは決してその選択をしない。いや、できない」
「こちらに別の援軍がいると気づいているからですか?」
「そうだ。奴は気づいている。なぜなら俺の傍にフィーネがいないからだ。目的地は一つしかない。奴もロンディネに手を回しているだろうが……ロンディネには王国による脅しは通用しない。立場を決めかねているアルバトロ公国とは違い、ロンディネは完全に親帝国。脅したところで、敵対がより深刻になるだけだ。だから違う手を取るだろう。しかし、どんな手を使ったとしても、長くロンディネを抑えることは難しい」
一国の動きを長く制限するのは至難の業だ。
王を操ろうと、国は要職につく者がいる。
要職にある者を操ろうと、最終決定権は王にある。
両方を操るとなると、国の乗っ取りだ。
かなり前から動いていないとそれは無理だろうし、そんな前からマルセルが王国側の計画を主導しているとも思えない。
それに向こうにはフィーネとセバスを送った。なにがあろうとロンディネを動かすだろう。
「マルセル大使は時間に追われ、最善策を使えない。こちらには有利では?」
「有利すぎる。だから賭けに出た。無理だろうとは思ったが、成功すれば大きい。奴は国境軍が来る前に撤退するはず。その混乱に乗じて斬って欲しかった」
「……それほどまでですか?」
「それほどまでだ。戦略の話をすると、アルバトロ公国が帝国につくと王国はピンチとなる。なぜなら王国が誇る難攻不落の要塞は、港が併設されているからだ。かつて王国は、その港を使ってアルバトロ公国の補給を受けた。だから陸軍主体の帝国軍は落とすことができなかった。同じことをされてはたまらないから、こちらはアルバトロ公国を味方に引き入れたい。王国海軍を撃破し、海上から攻撃できれば要塞も落ちるからだ」
王都を落とすためには、その要塞を突破する必要がある。
だが、帝国だけでは落とせない。
過去の教訓を生かして、俺たちは動いている。
だが。
「しかし、それは帝国側の戦略だ。王国側からすれば、アルバトロ公国を味方に引き入れ、皇国と連動するという大戦略を実行できたら嬉しいだろうが……別に国境で帝国軍を食い止めれば、その戦略が崩れても問題ない」
要塞に籠る前に帝国軍を敗走させるか、もしくは大きく弱体化させれば、帝国は目的を達成できない。
そしてそれができるだけの力がマルセルにはある。
「レオナルト殿下が負けるとお考えですか?」
「可能性があるから排除したかった。だが、賭けは上手くいかなかった。それは仕方ない。ジークの話を聞く限り、護衛の女騎士は猛者だ。侵入していても、斬れたかどうか怪しい。失敗してよかったと思っておこう」
「殿下がそこまで考えるほどですか……あのマルセル大使というのは何者ですか?」
「予想だが、おそらく王国の第三王子、アンセムだろうな」
「あのアンセム王子ですか!? 本人が来ていると!?」
あくまで予想。
ラースには侵入し、機会があれば斬れとしか伝えていなかった。
不確かな情報だったからだ。
「総司令官になったとは聞きましたが……毒を盛られてベッドから起き上がれないはずです。これは有名な話ですよ?」
「だが、アンセム王子の可能性が一番高い」
「しかし……突然起き上がれるものですか?」
「それはわからん。わかっているのは、マルセルと名乗る大使が超絶有能だということだ。それだけで賭けに出る価値はあった」
「たしかに……その有能さから宰相が王国の王太子を支援したのではという噂すらありますし……」
「それはデタラメだ。いくら宰相でもそれはできん。当時は皇太子がいたからな。絶対に兄上は認めない」
宰相が独断で王国の王子を害すことはないだろう。
父上か兄上には相談したはず。どちらも認めるわけがない。
どちらかといえば、裏で動いていそうなのは皇国だ。
王国と連合王国が戦争となり、王国が弱体化すれば帝国が動く。
そこを皇国がつく。そう言う展開を望んだ可能性はある。
今となってはどうでもいい話だが。
「しかし、本当にあのアンセム王子ならば……国境軍が来る前に決着をつけにくるでしょうね」
「だろうな。だから急いで士気を回復させたし、貴族どもも黙らせたのだろう。本人としても正々堂々と決着をつけたいだろうしな」
「その言い方だと正々堂々ではない決着のつき方があるのですか?」
「決着といえるかはわからないが……王国からすれば帝国と戦っている間、アルバトロが安定しなければそれでいい。だから膠着状態を作る一手がある。評判的には最悪だがな」
「それは防げるのですか?」
「無理だな。けど、やったら最後。公爵は追い詰められる。別に難しい手じゃない。都にいる公王を人質として、交渉に持ち込むんだ。相手にもならなかったジュリオ相手にそんなことをすれば、自分の劣勢を認めることになるし、いずれは離反者が出て崩壊する。だが、時間を稼げることは稼げる」
良い手とはいえないが、時間稼ぎだけはできる。
本当に最終手段。
だが、国境軍が動きそうな今。
その最終手段は近づいている。
「アンセム王子がその手を使わないのはなぜでしょうか? 正直、国境軍が来る前にという時間制限を受け入れてまで戦う理由がわかりません」
「理由はたぶん一つだ。嫌いなんだろう、そういう手が」
「はい?」
「他人がやることも嫌だというほど清廉潔白じゃないはずだが、自分がそういう手を使うのは嫌だってところだろうさ。わざわざ強引に戦で決着をつけようとするのは、都に撤退すればその手を使うことになるからだ。その手に気付かないとも思えないし、この状況で戦での勝利が難しいことも承知のはず。それでも戦での勝利を目指すのは、感情面の話だ」
「卑怯な手は使いたくはないと?」
「卑怯というのは主観だからな。人によっては何でも戦術だし、人によっては何でも卑怯な手だ。だが、公王を人質に取って、公子と交渉するってのは大抵の人間から見て卑怯だからな。それを卑怯じゃないと言える方が少数ではある。気持ちはわからんでもない。自分が汚い不意打ちにあったんだ。同類にはなりたくないってところだろう」
そこまで話したあと、俺は窓から外の公爵軍の陣地を見た。
ここまですべて推測。
だが、当たらずも遠からずってところだろう。
無理に戦で勝利を狙うより、さっさと都に撤退したほうがいい。
それでも戦での勝利を狙うのは、本質的には武人肌というか、正々堂々を好むからだろう。
「恐ろしい奴だよ。短期間でこの砦を落とせるという自信があるってことだからな」
できればレオと戦わせたくない。
だが、仕留めるには人手が足りない。
困ったものだ。