第五百二十一話 指揮権
公爵軍は小さな勝利に沸いていた。
絶望的な存在に思えた竜騎士を押さえ、敵の援軍は公爵軍の別動隊に蹂躙された。
被害の有無は問題ではない。
そう見えたことが兵士にはプラスとなる。
「あーあ、調子に乗っちゃって。これだから戦局が見えてない奴らは嫌だね、単純で。最終的には俺たちが勝つっていうのに」
「任務失敗した癖に偉そうだな?」
砦の城壁。
そこで俺はジークと共に公爵軍の様子を伺っていた。
ジークに与えた任務は敵の別動隊を率いる手練れを討つこと。
それでこの戦いは決まるはずだった。
おそらくマルセルの護衛についていた女騎士が出てくるだろうという予想は当たっていた。
ただ、女騎士の実力を読み違えた。
「失敗なんてしてねぇよ! 向こうが用事ある感じだから見逃しただけだっての! だいたい走ってる馬の上じゃなきゃ俺の圧勝で終わってたんだ!!」
ジークはジタバタと手足を動かしながら、言い訳をする。
止まらない言い訳は悔しさからだろう。
話を聞いたかぎり、相手の女騎士はジークより強い。
あまり相手の力量を読み違えるってことはないんだが、マルセルに意識がいってしまったせいか、しょうもないミスをしてしまったらしい。
「まぁ、お前一人で行かせた俺のミスだ。気にするな」
「おい! そういうのが一番傷つくんだぞ!」
「慰めじゃない。お前だから死なずに帰ってきたと思えば、お前のおかげで罪悪感を覚えずに済んだ。助かったぞ」
「そりゃあどうも」
ジークはご機嫌斜めといった様子でそっぽを向いている。
そんなジークに苦笑しつつ、俺は敵陣に目を向けた。
士気は上々。
大したもんだ。引き継いですぐに士気を上げることを選択し、確実に実行した。
これで初戦の公爵軍のミスは帳消し。
振り出しに戻ったといえるだろう。
だが、振り出しに戻るとどうなるか?
「貴族どもがうるさくなるぞー」
マルセルにとっては気の毒なことだが、兵士がこれは行けるぞ! と思うということは。
後方で見ているうるさい貴族たちは、もっとこれは行けるぞ! と思う。
公爵は王国からの介入を良しとはしていない。
仕方ないからマルセルの手を借りただけ。
勝ち戦の気配を感じれば、すぐに口を出してくるだろう。
マルセルはきっとその対応に忙しくなるだろうな。
その間に、ラース隊長に頼み事をしてある。
上手くいくといいんだが。
■■■
パストーレ公爵に呼び出されたマルセルは、天幕で主要な貴族と顔を合わせていた。
「さすがはマルセル大使。見事な采配だった」
「もう勝った気で? 断言しておくが、公爵が指揮を取れば負ける」
話も聞かずにマルセルは口を開いた。
これからあれこれと理由をつけて、自分で指揮しようとするのは目に見えていたからだ。
「なっ、なっ、なんだと!?」
「人には向き不向きがある。公爵は戦に向いていない。やめておけ」
「儂は多くの兵法書を読んでいる!」
「読むのと理解するのは違う。そして理解と実行もまた違う。初戦の常とう手段は砦に抑えを残し、外の援軍を殲滅すること。奇策を用いるなら砦から出撃したところを襲撃し、砦を奪うといったところか。とにかく砦攻めはありえない。着眼点がありえない。センスがないといえるだろう」
遠慮せずにマルセルは告げた。
ここでパストーレ公爵に指揮を奪われるわけにはいかなかったからだ。
「このっ! 無礼にもほどがあるぞ!」
「無礼で結構。お忘れのようだが、我々は対等な立場だ。互いに利益をもたらすから手を組んだ。そうだな? だが、あなたはどうだ? 対抗勢力を潰すのですら自分ではできず、俺に泣きついてきた。王国の介入が嫌なようだが、ここで我らが手を引けばそれどころではないぞ?」
「偉そうに! 我らが敵に回れば困るのは王国のはず!」
「今までは、な。あなたが絶好の機会を潰している間に、最低限の仕込みはした。あなたが公王になり、我々の言う通りにするならベストだが、負けて死んでも構わないという程度にはなっている」
「な、なんだと……!?」
「俺はあなたのように時間を浪費したりはしないんでな」
「う、嘘だ! そんなわけが!」
「都を制圧中、海軍の中から離反者を出すのを恐れてすべての船を停泊させていたな? その際に船の中に細工をさせてもらった。すべての船を無力化するのは無理だが、半数でも機能しなくなれば目的は達成できる」
海軍提督は公爵についたが、海軍の中には帝国派もいる。
彼らが船を動かし、都を離れるのを阻止するために公爵は乗組員を全員、陸にあげた。
その際、空になった船にマルセルは目を付けたのだ。
「な、なんということを!? 我らは同盟者のはず!?」
「同盟者なら同盟者らしく扱ってもらおう。あなたは失敗し、俺は成功した。ならばこの戦の指揮は俺が取る。簡単な話だな?」
「こ、この軍は儂の軍だ!」
「そうだ。だから無理やり指揮を取っても構わんよ。だが、そうしたら我らは手を引く。泥船に乗るつもりはない」
「そ、そんな……」
「大抵の場合、倍の戦力があれば勝てるはずなんだが、指揮官がポンコツでは勝てるものも勝てん。しかも相手はアルノルト皇子だ。この命を賭けてもいいが、公爵では勝てんよ」
マルセルの意見に公爵は押し黙る。
周りの貴族も何も言わない。
薄々、パストーレ公爵では勝てないと気づいていたからだ。
「わ、儂が出涸らし皇子などに後れを取るとでもいうのか!?」
「まったく、まだあの皇子を侮る馬鹿がいるのか? いいか、事実だけでいえばすでに公爵は後れを取っている。初戦から大きく士気を下げた。だから俺に泣きついた。そうだな?」
「わ、儂は!」
「ああ、いい。聞きたくない。これも時間の無駄だと思うが、アルノルト皇子の非凡さに気付けない公爵のために、そして公爵のようにこの場にいる貴族の方々がならないために。俺が皇子の凄さを簡単に教えてやろう」
そう言ってマルセルは指を一本立てた。
いくらでも凄さは上げられるが、いくつも言っても理解できないだろうと諦めたからだ。
「アルノルト皇子が優れている点は〝読み〟だ。戦局にしろ、政局にしろ、人心にしろ……彼は恐ろしいほど相手の動きが読める。だから名の知れた将軍であるゴードン皇子と竜王子の背後を取ることができるし、たかが一年で藩国の悪徳貴族どもを排除できた。読めるから次の手も的確に打てる。たとえば、今回の戦。俺が士気回復を図ることを彼は読んでいたはず」
「よ、読んでいたのに阻止できなかったではないか!」
「黙って人の話を聞けないのか? 公爵は。いいか? あえて劣勢になるのも策の一つだ。こちらの士気が上がるとどうなると思う? あなたが勝ち戦と勘違いして、俺の足を引っ張る。そうなると俺の目はどうしてもあなた方に向いてしまう。そこが狙い目だ」
マルセルがそう言った時、天幕の傍に鷲獅子騎士が降下してきた。
「報告いたします! 陣営の近くに小集団がおりました! どうやら侵入を見計らっていた様子!」
「逃げたか?」
「はい! どうされますか?」
「放っておけ。どうせ捕まえられん」
兵糧でも焼く気だったのか、もしくは兵士に成りすまして違う妨害をする気だったのか。
どうであれ防げた。
これも警戒を強化していたからだ。
「念のため、俺の護衛を総動員して警戒に当たっていた。あなた方が勝ち戦と喜んでいる時、アルノルト皇子はほくそ笑んでいる。これでも勝てるというのか?」
「ぐ、偶然だ! それか大使の仕組んだことでは!?」
「偶然や仕込みならどんなにいいか。そう思い込むなら好きにすればいい。自分が死ぬその瞬間まで、すべて偶然だと思っていることだ」
そう言ってマルセルが踵を返す。
立ち去る気なのだと察した貴族たちが、一斉にマルセルを呼び止めた。
「お、お待ちを! マルセル大使!」
「ここはマルセル大使に指揮をお任せしたいと思います!」
「我らをどうか救ってください!」
マルセルにとって一番の悩みは軍が自分の思う通りに動かないことだ。
この軍の主体はパストーレ公爵の兵だが、この場にいる貴族たちもそれなりの兵を出している。
貴族たちの支持を得れば、指揮を得られるのだ。彼らの意向を公爵は無視できない。
相手側につかれては、兵力差がどんどん縮まってしまうからだ。
「指揮を取りたいのはやまやまだが、公爵がどういうかな?」
「パストーレ公爵! どうか大使にお任せを!」
「これまでも大使の助言は的確でした!」
「どうか!」
「どうか!」
貴族たちからの懇願。
それを受けて、公爵は苦々しい表情を浮かべながら吐き捨てるように告げた。
「大使に指揮を任せる! これでいいか!?」
そう言ってパストーレ公爵は天幕を出ていった。
邪魔者がいなくなった天幕で、マルセルは手を叩く。
「さて、軍議といこうか」