第五百二十話 士気回復
数日後。
都より招聘されたマルセルは、士気の低さにため息を吐いていた。
「どうして馬鹿は何もしないという選択が取れないんだろうな?」
同行を希望したマルセルに対して、パストーレ公爵は留守を命じた。
せめてもの策として、敵には必ず援軍が来る、と忠告したが役に立たなかった。
忠告しておいた敵。焦るほどでもない。
援軍のほうから片付ければ問題ないのに、焦って勝負を急いでしまった。
結局、士気は低下して攻城兵器も失った。
時間を掛けて包囲しようにも、相手の狙いは時間稼ぎ。
そのうちロンディネとの国境から軍が取って返してくるだろう。
「まずは失った士気を回復させないとか。リゼット」
「はっ」
「精鋭を百ほど率いて敵の援軍に奇襲をかけろ」
「かしこまりました。敵将の首も必要でしょうか?」
「打撃を与える必要はない。全軍にわかる形で敵軍を突破して来い。それだけでいい」
「ですが、敵将の首があったほうが士気もあがるのでは?」
「辺境貴族の首など、大した価値はない。それよりもお前が目をつけられるほうが困る。アルノルトの傍には手練れが控えている。危険と判断すれば、お前だけにそいつらを向かわせてくるだろう」
「近衛騎士隊長だろうと返り討ちにしてみせます」
「それはまた今度だ。いいな?」
「……はい」
多少、不服そうにしながらリゼットは頷いた。
そんなリゼットを見て、マルセルは苦笑しながら前へ出た。
そして全軍による弓矢での攻撃を命じたのだった。
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攻城兵器がない以上、砦を攻めるには梯子をかけるしかない。
だが、それには血を流す必要がある。
たとえ脆弱な砦であろうと、千しか兵がいなかろうと。
前線に出た者が必要な血を流す。
だから士気の回復が必要だった。
遠距離からの弓矢による攻撃。
それに対して、砦は無力だった。
打ち返す暇も与えず、次々に矢が砦に打ち込まれていく。
その光景が兵士たちに自信を取り戻す。
どこまで行っても敵は少数であり、自分たちは多数なのだと。
だが、向こうもやられっぱなしではない。
唯一無二の竜騎士が空から攻撃を仕掛けてこようとする。
しかし、それを三騎の鷲獅子騎士が阻む。
都で奇襲されたときと違う。
鷲獅子騎士の目にはフィンとノーヴァしか映っていなかった。
三騎による連携攻撃。
強いと認めているからこその行動だった。
たかが一騎と侮るようなことはしない。
帝国最強の近衛騎士隊。その隊長を務める竜騎士。
そうとわかれば戦い方もある。
一対一で挑んで勝てると思うほど、鷲獅子騎士たちも自惚れてはいなかった。
なにより仕える主の前で二度も醜態をさらすわけにはいかなかった。
フィンとノーヴァを自由にさせないために、彼らは全力を尽くした。
その甲斐あって、フィンとノーヴァは三騎に集中せざるをえなかった。
そうなると矢を止める者がいない。
いつまでも続く矢の雨。
砦側にも動揺が走っているようだった。
「どうせ早く接近戦に持ち込めと待っているのだろう?」
マルセルは呟く。
砦に動きはない。
弓矢による遠距離攻撃は常套手段。
おそらく大して抵抗がないのは、防げないとわかっているから。
だから顔を出さずに耐えている。
相手が砦を落とすには接近戦に持ち込まねばならないとわかっているからだ。
「直轄できる砦の兵の手綱は握れるだろうが、別の場所の兵はどうだ?」
少し離れた場所に陣を張っている辺境貴族軍。
そこが慌ただしくなり始めていた。
頼みの綱の竜騎士が抑えられ、砦がピンチに陥っているように見えているからだ。
だが、指示はおそらく待機。
そこで葛藤が生まれているのだろう。
騎馬で出陣しようとする者。それを抑えようとする者。
陣形が乱れていた。
その隙を逃さず、リゼット率いる騎馬隊が辺境貴族軍の陣に突撃した。
真後ろからの奇襲。
しかも意識は前に向いていた。
予想外な事態に辺境貴族軍は混乱し、的確な対応が取れなかった。
その間にリゼットの騎馬隊はどんどん陣を突破していく。
途中、騎士が何名か立ちふさがったが、リゼットは軽く剣を振って倒していく。
そんなリゼットの視界にピント伯爵の旗が見えた。
おそらくあそこにピント伯爵がいる。
手土産には十分。
だが、釘を刺されたことを思い出し、リゼットはもったいないと思いながら視線を逸らす。
「怒られたくはないですからね……」
でももったいない。
大して時間もかからないのに。
そうは思っていても、リゼットは辺境貴族軍の陣を突破するだけに留めた。
余計なことをして、マルセルの予定を崩したくはなかったからだ。
そんな風に考えていたリゼットの前。
何かが立ちふさがった。
小さい。
何だと首を傾げた時。
槍の先がリゼットの目の前に迫っていた。
慌てず、剣で軌道を逸らして回避する。
「やるじゃねぇか、嬢ちゃん」
「……熊?」
「愛らしいだろう?」
馬の頭の上に乗ったジークは、リゼットと対面する。
距離は至近。
先に仕掛けたのはリゼットだった。
剣を振るい、ジークを落としにかかる。
それに対して、ジークは跳躍して槍を突き出した。
「乱暴だな。俺の愛らしい見た目がグロくなったらどうすんだよ」
「別に愛らしくはありません」
「マジかっ!? 王国の女は変わってんな!」
馬上での攻防。
ジークは前へ、後ろへと跳躍して、リゼットを翻弄しようとするが、リゼットはすべてに対処してくる。
リゼットの剣が徐々にジークへ迫る。
「つぇぇなっ!!」
「あなたもなかなかです」
「傷つくぜ!」
そう言ってジークは渾身の突きを放つが、リゼットはそれを剣で受け止める。
同時に片手でジークの体を掴むと、後ろに放り投げた。
「おわぁぁぁぁっ!!??」
「手柄は不要と言われているので、見逃しておきます」
「そりゃあどうも!」
地面に着地したジークは、立ち去っていくリゼットを見送りながらため息を吐く。
襲撃してくるなら精鋭。
それを率いる者を討てるなら討てと言われていた。
だが、相手が想像以上に強かった。
「やれやれ……敵さんにもお強い女がいるもんだな」
どうやって言い訳しようかと考えながら、ジークは陣地に戻っていく。
リゼットたちが陣を突破したことにより、公爵軍の士気は回復した。
相手が強いという幻想が消え去ったのだ。
「まずは一つ……残す障害は」
「大使、公爵様がお呼びです」
「すぐに行く」
時間はない。
だが、急いで勝てる相手でもない。
不安材料は少しずつ潰すしかないと自分を納得させて、マルセルは踵を返すのだった。