第五百十七話 ダニオ
「一体なにがあったのですか……?」
公王が倒れたため、城は騒然となっていた。
ダニオに訊ねられたフィーネは正直に答える。
「舞姫様はとある薬を調合して、陛下の意識を朦朧とさせていたのです。それを相殺するような形で、私が紅茶を淹れたのですが……完全には相殺できなかったようです」
「ち、父は危険なのですか!?」
「医者ではないので断言はできませんが、おそらく眠っているだけかと。そもそも危険な薬というわけでもありませんから」
人体に害はない。
使いすぎれば、今回の公王のようになるだけで使わなければ元に戻る。
だが、長く使われたせいで体が休息を欲したのだろう。
長い眠りに公王は入ってしまった。
「舞姫はどこに?」
「フィーネ様に攻撃したあと、逃亡いたしました」
「攻撃!? 帝国の使節を父の前で!?」
「逃亡のためにセバスさんの気を引いただけです。殺す気ならもう少しやり方があったはず。それに目撃者はいません。陛下は見ているはずですが、状態が状態ですから覚えているかどうか……そこも計算の内かと」
玉座の間は完全に人払いがされていた。
舞姫がそうするように仕向けたからだ。
目撃者がいなければ、王が倒れた現場にいたのはフィーネとセバスということになる。
二人が舞姫の仕業だといっても、言いがかりと断じられるし、あらぬ疑いが二人に掛かりかねない。
「あの舞姫がそこまでのやり手とは……」
「身のこなし的に特殊な訓練を受けていることは間違いないでしょうな」
「今、問題なのは私が攻撃されたことではありません。陛下が眠ってしまったことです。いつ起きるかわからない状態では、ロンディネは動けない」
舞姫の暴挙は立証できない。
だが、立証できなくても舞姫を追い出すことには成功した。
それだけで目的は達成できたといえる。
しかし、フィーネたちはロンディネの助力を求めにきた。王が寝たままでは話が進まない。
「ダニオ公子、陛下は後継者については?」
「いえ、何も……」
つまり王が起きなければ何も決められないということだ。
国内の問題ならいざ知らず、隣国アルバトロが関わる案件だ。
帝国や王国の今後にも関わる。
王が寝ている間に決めるなどあってはならない。
王が舞姫の一件を覚えていれば、帝国につくといってくれるだろうが、どこまで覚えているかは起きてみないとわからない。
何も覚えていないなら、帝国との関係を重視するだろうが、下手に舞姫への好意を覚えていたらややこしい話になる。
そんなことをフィーネが考えていると、部屋に勢いよくエヴァが入ってきた。
「ダニオ!」
「エヴァ……どうかしたの?」
「すぐに援軍を! 私の弟とパストーレ公爵の軍が激突寸前だと知らせが来たわ!」
「膠着状態だったはずでは?」
フィーネたちの下にもアルバトロ公国の情勢は逐一知らされていた。
アルとジュリオが都を追われたことは知っていたが、パストーレ公爵は都から動かず、両者は睨み合っていたはず。
だからこそ、フィーネは急いでいた。
ロンディネ公王の支持があれば、アルたちは巻き返せるからだ。
「それが……ジュリオにつくと見られていたアドルナート伯爵が公爵側についたそうで……それで勢いに乗った公爵は都から打って出る気になったそうです……」
「敵の勢力が増えたとなれば、一大事ですな」
セバスの言葉にフィーネは頷く。
だが、ロンディネは機能不全に陥っている。
「……僕には決定権がないんだ……」
「そんな……」
ダニオは申し訳なさそうに視線を伏せる。
そしてこれ以上、ここには居られないとばかりに部屋を出た。
エヴァからの期待を感じ、それに応えられないとわかっていたからだ。
下を向いてダニオは歩く。
そんなダニオをとある人物が呼び止めた。
「ダニオ殿下」
「あなたは……フィーネ様の護衛の……リンフィアさん?」
「はい。少々、お時間をよろしいですか?」
「どうぞ……どうせ暇ですから」
ダニオは公王から関心を寄せられていなかった子だ。
この状況で、王の代わりにと推すような臣下もいないし、ダニオ自身にもその意思はない。
しかし。
「エヴァ公女殿下を助けたいですか?」
「……助けたいとは思います。もちろんあなた方も。けど、僕には……」
「……賭けになりますが、ダニオ殿下でしたらできることがあります」
「僕に何ができると……?」
「舞姫が公王陛下に使った薬は、無気力にさせ、眠気を誘うもの。使いすぎたせいで、記憶の混濁もあるそうです。現実の記憶が曖昧ならば、寝ている間の記憶など覚えているわけがありません」
「えっと……理解ができなくて……」
「簡単に言えば、陛下に一時的に任されたとでっちあげるのです。あなたと陛下が二人きりのタイミングで」
「お、王の言葉をでっちあげるなんて……! それも後継者の問題に関わります!」
ダニオは驚き、一歩後ずさる。
とんでもないことを、リンフィアが表情も変えずに言ってきたからだ。
「一時的な話です。陛下は健在。ただし、隣国の問題に対して待っている時間はありません。殿下が無事に解決すれば、咎められることはないかと」
「咎められないにしても……他国の問題に干渉する決定を僕がするなんて……」
「干渉はしなくて結構です。ただ国境の軍に一時後退を命じてくだされば、それでいいのです。あとはエヴァ公女が軍を率いて、公子を助けに行くでしょう」
「それなら確かに自国の問題ですが……」
ダニオはどうも乗る気にはなれなかった。
ダニオ自身が嘘を得意とはしてなかったからだ。
バレたらどうしようという思考が先に来てしまう。
そんなダニオにリンフィアは頭を下げる。
「ご無理は承知の上です。考えてくださると幸いです。私はフィーネ様に話を通してきます」
そう言ってリンフィアは立ち去っていく。
残されたダニオは一人、ため息を吐くのだった。
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「ダニオ公子は話を受けたんですか?」
「いえ、直接の返事はまだ。独断で動いたことをお許しください」
「とはいえ、ダニオ公子に動いてもらう以外、手がないのも事実ですな」
フィーネはセバスの言葉に頷き、リンフィアに気にしないように伝えた。
公王が起きない以上、ダニオが指揮を取ると言わなければ解決しない。
だが、勝手に言い出せばダニオが罪に問われかねない。
王の言葉を捏造するのは問題行為だが、公王が起きた時に覚えている可能性がほぼないことも事実。
舞姫との一件すら覚えているか怪しいのだ。寝ている間の言葉など、覚えているわけがない。
記憶が混乱している状態で、言ったと言われれば信じてしまうだろう。
ただ。
「帝国のためにと無理強いはできません……」
「しかし、ここでロンディネが動けば、ロンディネは帝国とアルバトロの恩人です。貸しを作れます。ロンディネにとって悪い選択ではありません。王国につくという選択もあり得ない状況ですから」
帝国か、王国か。
二択のうち、一択が消滅した。
消去法でロンディネが選ぶ道はもうほぼ決まっている。
それならば帝国とアルバトロに貸しを作ったほうがいい。
「利があるからといって、問題行為は正当化されません。動けばダニオ公子は胸に嘘を隠すことになる……」
止めるべきか、否か。
フィーネが真剣に悩んでいると、部屋の扉が開かれた。
「失礼いたします! 公王陛下が一時的にダニオ公子殿下にすべて任せると託されました! ダニオ公子は帝国の支持を求めております!」
「……わかりました。帝国の代表としてダニオ公子を支持いたします」
少し黙ったあと、フィーネは支持を表明した。
それ以外に手がなかったからだ。
「これでエヴァ公女は援軍に駆け付けることができます。大勢は決したかと」
「いえ……王がまだ都におり、公国海軍が健在である以上、公爵は諦めないでしょう。無理をいってダニオ公子に動いてもらったのです。負けるかもしれない可能性は見過ごせません。ダニオ公子に会います」
そう言ってフィーネは椅子から立ち上がったのだった。