第五百十六話 葉の知識
フィーネがロンディネに到着してから数日。
城の中ではフィーネの美しさについての話で持ち切りだった。
「お会いになられたか?」
「もちろん。あれほど美しい女性は見たことがない」
「勇爵家のエルナ様も美しい方だったが、フィーネ様はそれ以上だ」
「今、お会いになっておかねば一生の後悔となりますぞ」
「なんでも公子殿下も毎日足を運んでいるとか」
「無理もないことよ」
臣下たちは口々にフィーネのことを語る。
当然、その噂は公王の下まで届いていた。
早朝。ぜひ、フィーネの美しさを伝えたいと公王の下へ、公子であるダニオがやってきた。
いつもなら追い払うところだが、フィーネの美しさに興味を持っていた公王はそれを確かめようと、ダニオの話を聞くことにした。
「あー、蒼鴎姫はそれほど美しいのか……?」
「は、はい! それはもう夜空の星々に勝るとも劣らない美しさです!」
ダニオは熱心にフィーネの美しさを語った。
それを聞き、公王カルロはどこか上の空の表情で笑う。
「それは会ってみたいな……」
「すぐに手配しましょう」
ダニオはそう言って下がるのだった。
■■■
「父はフィーネ様に会うそうです。これまで会いに行っても門前払いだったのに……すごい効果です」
「フィーネ様の美しさなら当然ですね」
ダニオは驚き、エヴァは驚くほどでもないと頷く。
そんな二人とは違い、リンフィアとフィーネは少し考え込んでいた。
「リンフィアさん、もしかしたら……」
「フィーネ様の予想が当たっているかもしれません。公王陛下は朝、舞姫と食事をすると一日中一緒だそうですね?」
「ええ、そうですね」
「公王陛下のご様子はどうでしたか?」
「ボーっとした様子でした。ただ、朝ですから」
「なるほど……夜は無気力で眠いといってすぐ寝てしまうらしいですし……」
舞姫に邪魔されないため、ダニオを早朝に向かわせた。
それでも上手くいきすぎだった。
舞姫はきっと公王に、フィーネと会わないようにと言っていたはず。
舞姫に夢中なだけならば、そう簡単に会うとは言わないはず。
公王は舞姫に夢中なだけではないかもしれない。
フィーネはそう予想しており、それは外れていないかもしれない。
「お気をつけください。相手は王国の舞姫。何を使っているやら」
「公王は無気力でよく眠気を訴えている……公子殿下。厨房をお借りしても?」
「え? ええ……もちろん」
「何かわかったのですか?」
「あくまで想像です。ただ、舞姫が何か細工をしているというなら、これは公王陛下への攻撃です。それならばこちらも強引な手に出られます。セバスさん」
「何ですかな?」
「私の想像通りだった場合、舞姫を取り押さえてくれますか?」
「公王の怒りを買うやもしれませんが?」
「そうならないために確認をします」
「では、合図を出してください」
「はい」
そう言ってフィーネはニッコリと笑う。
だが、セバスは気づいていた。
目が笑っていない、と。
■■■
「お初にお目にかかります、公王陛下。フィーネ・フォン・クライネルトと申します」
「良く来られた……カルロ・ディ・ロンディネである」
公王は名乗り、ボーっとした様子でフィーネを見ている。
どこか上の空。
そんな公王の様子をフィーネがジッと観察していると、公王の隣に一人の女性が立った。
「陛下、今日は私の舞を見てはくれないのですか?」
年はフィーネより少し上だろうか。
長い金髪を後ろでまとめたその女性は確かに美しかった。
男を喜ばすことに長けた大人の女。
そんな印象をフィーネは受けた。
「おお、我が舞姫」
「ごきげんよう、王国の舞姫様」
「ごきげんよう、蒼鴎姫。自己紹介をしていなかったわね。私はミレーヌ。王国の舞姫よ」
そう言ってミレーヌは柔らかく微笑んだ。
その笑みにフィーネも笑みで応じる。
「王国が誇る舞姫。ロンディネ公国で会えるとは思いませんでした」
「帝国が誇る蒼鴎姫。私もここで会えるとは思わなかったわ。アルバトロ公国に行く予定では?」
「少々、予定が変わりまして。私は王国の舞姫の踊りを見たことがありません。これも何かの縁です。見せていただいても?」
「あら? そちらが踊ってほしいと頼むなんて。拍子抜けだわ。でも舞姫として、踊りを見せろと言われて踊らないわけにはいかないわ。よく見ていてくださいね? 陛下」
「ああ、わかったわかった」
ミレーヌが公王から離れる。
それを見計らって、フィーネは公王のそばに寄った。
そして。
「陛下。踊りを見ながら紅茶でもいかがですか? 私は紅茶を淹れるのは得意なんです」
「紅茶か……悪くない」
「では」
そう言ってフィーネは用意させていた紅茶セットを持ってこさせる。
ミレーヌは何をするつもりかとフィーネを観察していたが、ただ紅茶を淹れるだけ。
自分の得意なことで公王の気を引く作戦だと判断し、踊りの準備に入った。
その間にフィーネは紅茶を丁寧に淹れていく。
「できました。どうぞ、陛下。お熱いですからお気をつけて」
「いただこう……」
そう言って公王が紅茶を少しだけ飲んだ。
その瞬間。
公王は勢いよくむせた。
「ごほっ、ごほっ……!!」
「陛下!?」
「大丈夫ですか?」
フィーネは公王の背中をさする。
公王は何度か頷きながら、顔をしかめてフィーネに訊ねた。
「これは……一体なんだ? こんな苦い紅茶は飲んだことがないぞ?」
「様々な茶葉を混ぜ合わせたものです。頭をすっきりさせる効果があります。いかがですか?」
「うむ、たしかに久しぶりに頭が冴えわたるような感覚だ。気だるさも眠さもない」
自分の状態に驚き、公王はまた一口紅茶を飲む。
顔をしかめながらも、その紅茶を公王は飲み干した。
飲み干してしまった。
ミレーヌはその光景を見ているしかなかった。
これまで誰にも見抜かれなかった自分の技が、まさか帝国の小娘に見抜かれているとは思いもしなかったのだ。
「……どうやってと聞いておきましょうか?」
「私はずっと紅茶を淹れてきました。多くの茶葉を各地から取り寄せて、美味しいもの、体に良いもの、体に悪いもの、それらを把握しています。当然、東方伝来の特殊な茶葉たちも」
「迂闊だったわ……」
「東方伝来の茶葉を使い、変わった淹れ方をする紅茶には疲労を回復し、心を落ち着かせる効果があります。少しだけ眠気に誘う効果も。ただ使いすぎると体に毒であり、ほかの葉と混ぜることで効果が飛躍的に上がってしまう。持続性があまりないため、毎日飲ませるなり、嗅がせるなりする必要がありますが……上手く使えば相手を無気力状態に陥らせることも可能です」
「紅茶のためにそこまで調べているなんて、どうかしているわね」
ミレーヌはまいったとばかりに自分の服の裾をまくる。
そこには特殊な香り袋が入っていた。
ミレーヌが直接調合した香り毒がそこに入っていた。
人体に害はないし、中毒性もない。
踊りに目を奪われている者たちを骨抜きにする代物で、本来なら情報を奪うために使う。
しかし、今回のミレーヌの目的は時間稼ぎ。
「自らの踊りに対して誇りはないのですか?」
「誇りならあるわ。この踊りだけで舞姫に成り上がった。けれど、私の誇りなんて目的のためなら大したことないわ」
そう言ってミレーヌは優雅に両手を上げて、振り下ろす。
同時に二本のナイフがフィーネに向かって飛んできた。
セバスが瞬時にそのナイフを弾き、ミレーヌに迫る。
だが、潜んでいたミレーヌの部下たちがセバスの行く手を阻む。
「ここは我らが!」
「舞姫様は殿下の下へ!」
部下は三人。
セバスの相手ではなく、全員が瞬時に致命傷を受けた。
だが、致命傷を受けながら部下たちはセバスを掴んでいた。
「これはこれは……」
「行かせはせんぞ……」
致命傷を受けながら、彼らはセバスの動きを止める。
その忠誠心はセバスから見ても驚くべきものだった。
一瞬で絶命してもおかしくない傷だった。
それを気力だけで持ちこたえて、動きを止めに来た。
並みのことではない。
「殿下と言っていましたが……」
果たしてどの殿下やら。
そうセバスが思ったとき。
後ろで何かが倒れる音がした。
「陛下!」
振り向くと公王が倒れていた。
おそらく後遺症。
公王が動けなくなるということはロンディネが動けなくなるということ。
この時間がない時に、それは致命的だった。
「バレても足止めは出来ているというわけですな」
相手は良い部下を持っている。
そんなことを思いながら、セバスは公王の介抱に向かうのだった。




