第五百十三話 舞姫
ロンディネ公国。
その城でフィーネたちは長時間待たされていた。
「まだ王は会う気にならないと?」
「申し訳ありません……」
リンフィアに問い詰められた騎士が、申し訳なさそうに頭を下げる。
他国の大使を待たせることは通常ありえない。
大使は国の代表。王の代理だ。
蔑ろにすれば、その国を蔑ろにしていると同義となる。
よほどの事件がないかぎり、大使が来れば王は会う。
だが、ロンディネ公王はなかなかフィーネと会うことはしなかった。
「フィーネ様は帝国の正式な使者。皇帝陛下の名代を待たせるとは、帝国を軽んじていると受け取りますよ?」
「しょ、少々お待ちください……! 王に確認を取ってまいりますので!」
騎士はリンフィアの言葉を受けて、慌てて走っていく。
ロンディネは海竜事件以降、帝国と良好な関係を築いてきた。
あえてそれを崩すメリットがロンディネはない。
「王国の妨害かと。強行突破しますか?」
「そうかもしれませんが、迂闊に動くわけにはいきません。私は陛下の名代。何かあれば陛下に迷惑がかかります」
すでに何時間も待たされているのに、フィーネは焦ることはせず、ただ静かに待っていた。
ほかの大使なら帰国してもおかしくない扱いだ。
温厚なフィーネだからこそ、口での抗議だけで済んでいる。
「フィーネ様」
「何かわかりましたか? セバスさん」
「はっ、どうやらロンディネ公王は最近、政務を疎かにしているそうです」
「疎かに? 病気ですか?」
「病気といえば病気ですな。ロンディネ公王は王国からやってきた踊り子に夢中だとか。暇さえあれば踊り子の舞を見ているようです」
「踊り子の舞を見るためにフィーネ様をこれだけ待たせたと……?」
信じられないという表情をリンフィアが浮かべる。
だが、当のフィーネは驚いていなかった。
「ロンディネ公王はアルバトロ公国との戦争を先代から引き継いできた人物です。野心家ではありますが、あまり女性には興味がないという情報だったはず」
「いささか古い情報だったようですな。アルバトロ公国との戦争が同盟という形で終わり、心に余裕が生まれたのでしょう。興味がなかったことに興味が向いても不思議ではありません」
「アルバトロ公国だけでなく、ロンディネ公国でも先手を取られていたわけですか……」
フィーネは考え込む。
これまで隣国との戦争がすべてだったロンディネ公王。人生の目標が同盟という半端な形で終わり、次の目標を見つけている最中だったはず。
そこに踊り子が送り込まれた。
真面目な者ほど堕落はしやすい。
甘美ともいえる怠惰な日々に引き込まれたのだろう。
「いかがいたしましょうか?」
「これは私たちだけの問題ではありません。きっとロンディネ公国の方々のほうが、慌てているはず。たしか公子が一人いましたね?」
「はい。気弱で王からはあまり好かれていないそうですが」
「王に好かれているかどうかは、この状況では関係ありません。王が踊り子に心奪われている以上、頼るべきは公子。私たちも、そして臣下たちも」
そうフィーネが言った時。
ひょろ長の青年が部屋へ入ってきた。
「フィーネ大使! お待たせして申し訳ありません! ぼ、僕は、あ、いえ、私はダニオ・ディ・ロンディネ。ロンディネ公国の公子です」
「お初にお目にかかります、ダニオ公子。フィーネ・フォン・クライネルトと申します。皇帝陛下の名代として参りました」
「た、大変失礼いたしました! 父にはすぐ知らせが届きますので、それまでは私が相手をさせていただきます!」
「いえ、形ばかりの会談では意味がありません。それよりもダニオ公子と建設的なお話ができれば幸いです」
「わ、私とですか? それは……」
ダニオが視線を床に逸らす。
明らかに荷が重いという表情だった。
そんなダニオの後ろから声が聞こえてきた。
「だから言ったじゃない。大使はあなたと話すって」
「え、エヴァ……」
現れたのは茶色の髪を肩口で切り揃えた少女。
緑色の瞳がフィーネを真っすぐ捉えていた。
「初めまして、フィーネ様。エヴァンジェリナ・ディ・アルバトロと申します。どうぞ、エヴァとお呼びください」
「エヴァ公女ですか……。お初にお目にかかります。ですが、どうしてこちらに?」
「おそらくフィーネ様と同じかと。アルバトロ公国内の問題を解決するためには、ロンディネ公国の支援が必要と思い、やってきました」
「公王陛下がエヴァ公女を派遣されたのですか?」
「いえ、派遣を協議している時間がもったいないと思ったので黙ってやってきました。ただ、それでも遅かったですが……」
エヴァの行動力にフィーネは苦笑する。
同盟を結んだとはいえ、ロンディネとアルバトロは長く争ってきた関係だ。
公女が少数で向かうには問題だらけの国といえる。
「お父上はさぞ心配なされているかと。早く問題を解決して帰国しましょう」
「私としてもそうしたいのですが……ロンディネ公王に会う手段がありません」
「ダニオ公子もお会いできないのですか?」
フィーネの問いにダニオはまた俯く。
なかなか答えないダニオに、エヴァは少しイライラした様子を見せた。
「早く答えなさいよ」
「いや、その……女性と話すのは苦手で……」
「私とは話せるでしょ?」
「君は話さないと怒るじゃないか……」
「今すぐ答えないと怒るわよ?」
「わ、わかったよ……その……わ、私と父はあまり仲良くないので……」
「緊張せず、普段通りに話してください。私もそうします」
「あ、ありがとうございます……そう言っていただけると僕も安心です……」
ビクビクしながら答えていたダニオから、少し緊張の色が消えた。
他国の使者だけでなく、唯一の公子であるダニオもまともに会えない。
もはや公王は囚われたも同然だった。
「政務の代行は今、誰が?」
「各大臣が受け持っています。一応、父上に確認を取っていますが、任せるとしか言わないので、最終的には僕のところに……」
「では実務は大臣が、決定は公子が受け持っているのですね?」
「形だけです。父上が気に食わないと思えば、すぐに撤回させられるかと……」
状況を把握したフィーネは、少し考え込む。
ダニオまで取り込まれていたら、打つ手はなかったかもしれないが、一応、ダニオは健在。
臣下も困り果てている。
「とにかく一度、公王陛下にお会いする必要がありますね」
「ですが……ロンディネ公王が夢中になっているのはただの踊り子ではありません。王国の〝舞姫〟です」
「舞姫……王国に仕える最上級の踊り子ですね?」
「はっ、美貌と踊りの才能がなければ舞姫にはなれません。貴賓にのみその踊りは披露され、その地位は貴族の令嬢などより上です」
セバスの説明を受けて、フィーネは何度か頷く。
洗練されたその踊りと美貌で、公王を虜にした舞姫。
間違いなく王国からの妨害要員だ。
「リンフィアさん、何か策はありますか?」
「あまり気が進みませんが……一つだけ」
「どうぞ、なんなりと」
「それでは……フィーネ様は帝国一の美姫です。誰もがそれを認めています。臣下たちに噂を流させ、公王に興味を持たせるのです。そしてフィーネ様の美しさで、舞姫から公王を奪うのです」
「それは……フィーネ様が公王を篭絡するということですか……?」
「舞姫が映らなくなればいいだけです。特に変わったことをする必要はありません。お嫌でしたら別の手を考えましょう」
「いえ、時間もありません。それで行きましょう。駄目なら別の手を考えればいいだけのことです。ただ……セバスさん。影ながら護衛していただいても構いませんか?」
「言われなくてもするつもりです。公王だろうが、舞姫だろうが、指一本触れさせはしませんぞ」
珍しくセバスはきつい口調で告げた。
だが、他に手がないことも事実。
王の目に舞姫しか映らないなら、もっと輝く存在を見せればいい。
それが可能なのはフィーネだけだった。
しかし。
「アルノルト様がいなくてよかったですな……本当に」
セバスの言葉にリンフィアも頷く。
だが、セバスの言葉はロンディネ公国全体に向けた言葉だった。
この場にアルがいれば、何をするかわからなかったからだ。