第五百九話 海軍提督
パストーレ公爵が大勢の兵を引き連れて、都近くまで進軍してきた。
その件を受けて、公国海軍は提督と主だった船長による会議が開かれていた。
「これは明確な反乱だぞ?」
「公子殿下はアルノルト殿下と共に逃げたとか……」
「陛下をお守りするべきでは?」
「公爵と陛下は実の兄弟だ。馬鹿なことはしないだろう」
「陛下は残ったのか……とりあえず都が戦場になるのは避けたいところだな」
船長たちが思い思いの意見を交わす。
それを黙って聞いていた海軍提督であるヴォルタは、咳払いをして全員の注意を自分へ集めた。
「……各々の意見はわかった」
ヴォルタは今年で五十になる禿げ頭の男だった。
常に船の上に立ち続け、公国のために戦ってきた。
だが、海軍提督に就任できたのは、ヴォルタが目立った戦果をあげていなかったからだ。
海軍にも派閥はある。
ヴォルタはその派閥が牽制し合った結果、妥協としてトップに立った。
数年ほど提督を務めた後、有力な後任に提督の座を譲ることが決まっている存在。
いわば繋ぎの提督だった。
そんなヴォルタにパストーレ公爵は、長期間の提督職を約束した。
元々、ヴォルタは帝国よりも王国派だった。
なぜなら海竜事件の時、ヴォルタは任務で国を離れていた。
直接、あの事件を見ていない。あくまで聞いただけ。
一方、王国を支援した戦闘には参加していた。
帝国の包囲を受けながらも、必死に抵抗する王国兵。
支援物資を届けた自分たちへ感謝する王国兵。
今でも目に焼き付いている。
彼らのために必死に船を出した。
ヴォルタにとってはそれがすべて。
あの時、敵だった帝国と組むなどありえないことだった。
「海軍はあくまで外敵に備えるための軍だ。それにここで我らが都を守る動きを見せれば、都が戦場になる。それを避けるためにも我々海軍は中立を保つ」
「――賛成しかねる」
一人の船長がヴォルタの方針に異を唱えた。
船長専用の服をピシッと着こなした男は、ヴォルタよりやや年上の男。
口ひげを蓄え、貫禄あるその男に誰もが一目置いていた。
男の名はメスト。
かつてレオに扮したアルが港に入ろうとした時、それを制止した船長だ。
「中立がいけないと? メスト船長」
「提督は見ていないかもしれませんが……海竜によって存亡の危機にあった我が国は帝国によって救われた。海竜の被害にあった公子と公女、そして多くの仲間を帝国の皇子が救ってくれた。ロンディネとの同盟の橋渡しをしてくれたのも帝国であり、海竜との対決の際、聖剣の力を貸してくれたのも帝国だった。今の公国があるのは帝国のおかげといえる」
「だから帝国につくべきだと?」
「帝国につくという判断には十分な根拠がある。王国は聖女を捨て駒にした。帝国は我が国に軍を送り込む機会がありながら、あえて聖剣による解決を選択した。我が国に攻め込む意志がない証拠といえる。多くの支援物資も貰った。どちらが信用できるかなど、子供でもわかる。その判断が不服だからといって、軍を出すなど横暴以外の何物でもない」
「だが、メスト船長。あなたも覚えているはず。王国と我々は共に戦った。物資を届けた王国兵の顔を私は今でも覚えている」
「確かに王国と我が国は戦友だ。だが、助けたのは我々であり、助けられたのは王国だ。そんな我が国が滅亡の危機の際、助けてくれたのは帝国だった。あなたの目に王国兵の顔が焼き付いているというなら、私の目には我らの仲間のために白旗をあげた帝国船の姿が焼き付いている。公女殿下は民のために冒険者に懇願し、公子殿下は民のために海竜にその身を晒した。私にはその事実だけで十分だと思うが?」
メストの言葉に多くの船長が頷く。
王国はかつての戦友。
だが、帝国とは最も巨大な危機に立ち向かった。
帝国もまた戦友だ。
その感覚を持つメストのような船長からすれば、自らの軍事力を背景に、王国との同盟を求めるパストーレ公爵は横暴に映った。
思わぬ反抗にヴォルタは押し黙る。
そんな中、一人の部下が部屋へ入ってきた。
「し、失礼します!」
「何事だ?」
「も、申し訳ありません! 提督と船長方に、で、伝言がございます!」
それはアルに脅された兵士だった。
アルとジュリオが逃げたあと、兵士はヴォルタ提督に伝言のことを言わなかった。
ヴォルタに言えば、黙っていろと言われてしまうからだ。
だが、伝言は提督と船長へ。
伝わっていなければ命はない。
兵士にとってはこの場で言う以外に手はなかったのだ。
「なんだと?」
「あ、アルノルト皇子殿下より伝言です! 王国が戦友というなら、俺の弟は何だ? とのことです!」
「わかった! 下がれ!」
ヴォルタはすぐに兵士を下がらせようとする。
だが、それをメストが許さなかった。
「待て。なぜお前が伝言を受けた?」
「そ、それは……」
「正直に話せ。アルノルト皇子は恐ろしい人物だ。正確に伝えなければ報復されかねんぞ?」
「じ、実は……皇子殿下と公子殿下が提督を訪ねてきて……私は時間を稼げという指示を受けたのでお二人を引き留めていました。それに気付いた皇子殿下が出ていかれる時に、伝言を私に……つ、伝えなければ殺すと言われて……」
兵士は恐怖でガタガタと震え始めた。
メストは別の兵士に指示して、その兵士を下がらせる。
そしてゆっくりとヴォルタに視線を向けた。
「どういうことか……説明していただけますかな? 提督」
「……向こうが勘違いしただけだ」
「我らに言ったように、海軍は中立といえば済む話では? なぜ足止めを?」
「足止めではない。考える時間が欲しかったのだ!」
「そんな嘘が通じるとでも? 口では中立と言っておきながら、公爵と繋がっているとは……」
「我が国のためには王国と組むべきだ! なぜそれがわからん!」
ヴォルタは苛立ちを露にする。
そんなヴォルタをメストは冷めた目で見つめる。
そして。
「皇子の伝言をよく考えることですな。王国が戦友ならば、レオナルト皇子やアルノルト皇子、つまり帝国も戦友となる」
「帝国とは争った仲だ!」
「ロンディネとも敵対していた。敵味方は時期や立場によって変わっていく。そんなことも分からず提督を務めているとは……独断で動いたのだから責任もあなたに負っていただく」
「なんだと……?」
「アルノルト皇子が藩国の宰相として徹底的に貴族を弾圧したのを知らないわけではあるまい。私ならそんな皇子を相手に時間稼ぎなどという真似はできない。そのことを指摘されたなら、申し訳ないが私は真っ先にあなたを差し出す」
そう言ってメストは話は終わりだとばかりに部屋を去っていく。
ほかの船長も続々と部屋を去る。
残されたヴォルタはどうしようもない恐怖を感じながら、パストーレ公爵の到着を待ち望むのだった。




