第五百話 二手
港を出港した旗艦アルフォンスには見覚えのある人がいた。
「まさか弟君に加えて兄君を乗せることになると思いませんでしたよ」
「あの時はレオを支えてくれたようだな。感謝する、船長」
海竜事件の際、レオのフリをした俺を乗せた船長だ。白旗を上げるというアイデアを出した張本人。
その手腕を評価されたのか、公国に行ったことがある経験を買われたのか。
どちらにせよ、今回の旗艦アルフォンスの船長に抜擢されたらしい。
「支えたなんて言われると照れますな。まぁ殿下も無事に送り届けますよ」
「それは助かる。それはそうと、荷物は開けてもらえたか?」
「ええ、さっき部下に指示しておきましたよ」
なぜ海の上で荷物を開くのか。
船長は疑問に思っているらしい。
だが、すぐに答えがやってきた。
「やっと出れたぜぇ」
そう言ってヒョコヒョコと歩いて出てきたのは小さな熊。
ジークだった。
「まったく、殿下には毎度驚かされます」
その後に続いて出てきたのはネルベリッターのラース大佐。
部下もその後に続いてきた。
最後に現れたのはリンフィアだった。
「ご指示通り、私とジークを含めて十名が荷物に紛れ込みました」
「ご苦労」
「ちょっ、ちょっと!? 殿下!? どういうことですか!?」
「公式上、俺の護衛はこの船の乗員と空にいる近衛騎士隊長のフィンだけだ。向こうも密偵くらいは放っているだろうから、船が出るまで確認していただろう。だから荷物に潜ませた」
「聞きたいのはそこではなくて! なぜ他にも護衛が!? 任務は交渉では!?」
「交渉さ。ただ交渉決裂の場合にも備えないとな。身を守る盾だったはずなんだがな……」
言いながらため息を吐く。
あえて護衛を減らし、公国に圧をかける作戦だった。こちらの信用を裏切るなよ? という圧だ。
だが、馬鹿正直にそれをしたら失敗したときに困る。だから手練れを何名か連れてきた。
もしもの時用だ。
しかし。
「何か問題でも?」
「ああ、問題だらけだ。すでに状況は想定していた最悪に近い」
「で、殿下……? 任務は交渉では……?」
船長が顔を引きつらせながら再度訊ねてきた。
帝国海軍の旗艦を使って、交渉に圧をかける。それがおそらく船長が聞いていた任務だろう。
だが、もはやそういうレベルじゃない。
「すでに王国の使者が公国に入って、圧力をかけている。公王の煮え切らない態度に諸侯は不満を抱き、内乱の兆しがあるそうだ。そんな状況ではまともな交渉など不可能だ」
「つまり……行く前から任務失敗ですか……?」
「そうなるな。公王は帝国と王国との間で揺れており、そんな王を諸侯は情けない、頼りないと見ている。元々、アルバトロ公国は親王国の国だ。公王と俺が交渉し、成功したところで新たな王が反故にするだろう」
さっさと王国に加担すると決めない王に不満が溜まっているのだ。
比較的若い世代は王国からの恩という意識が少ない。だが、古い世代は代々、王国と結んできた親交を大事にしたいと考えている。
公王は王国との親交も知っているし、帝国との間に借りがあるということも知っている。そんな王だから板挟み状態なんだろう。
「公王は今、援軍を求めている。王国は王をすげ変えようと企んでいるし、諸侯は王の座を狙っている。そうなると公王が頼るべきは俺たち帝国だ」
「ではこの旗艦アルフォンスで武威を見せつけましょう!」
高らかに船長が告げる。
だが、それは悪手中の悪手だ。
「船長……非常に申し訳ないが、この船にその価値はない」
「えっ……? 帝国の最新鋭船ですよ……?」
「公国の技術提供があって作られた船だ。性能的には公国の船より上だろうが、一隻で戦況を変えられるほどじゃない。帝国の強大さを見せつけるという点では不適格だ」
「そんなぁ……」
自信満々で指揮していた船を、そうでもないと言われて船長は目に見えて落ち込んだ。
心が痛むが事実は事実。
この船で自信満々に乗り込めば、公王は王国に靡いてしまうかもしれない。
帝国が頼りなく映るからだ。
「公国は海軍が主だ。帝国は陸軍が主。海軍で勝負しようとするのが間違っている。強大さを見せつけるなら、精強な騎士団や軍を率いたほうがいい」
「南部国境守備軍に演習名目で動いてもらいますか?」
リンフィアの提案に俺は首を横に振る。
それをすれば公国全体を脅かしていると思われかねない。
大事なのは公国の未来のために動いているという姿勢だ。
「フィーネ、申し訳ないが頼み事がある」
「はい、なんなりと」
今回、使者という立場にあるのは俺とフィーネ。二人いる。
それを活かすとしよう。
「現在の状況でこの旗艦で港に入れば、帝国の武力に疑いを持たれかねない。だからアルバトロ公国には入らない。進路はロンディネ公国へ」
「ろ、ロンディネにいってどうしろと……?」
「ロンディネとアルバトロは海竜事件以降、同盟関係だ。ロンディネ公王の親書はそれなりの力を持つ。フィーネ、ロンディネ公王からアルバトロ公王の決断を支持するという親書を貰ってほしい」
「かしこまりました。アル様はどうされますか?」
「アルバトロ公国に入る」
船長が俺の言葉に頭を抱えた。
意味が分からないからだろう。
「ロンディネに向かうのにどうやってアルバトロ公国に入ると!? ロンディネから陸路となると時間がかかりますよ!」
「問題ない。ラース大佐、綱昇りに自信は?」
「それなりに訓練しております」
「では六人選抜しろ。ジークは俺と空からだ」
「私はフィーネ様の護衛でしょうか?」
「護衛兼アドバイザーだな。公王が圧力に負けないように動くが、おそらく手がなくなってくれば王国側の使者は反乱を誘うだろう。その時にロンディネの支持は大切になってくる」
ロンディネ公国が味方につけば、反乱者は孤立する。
ようやくロンディネ公国との関係が改善されたのに、そのロンディネ公国と敵対するような行動はアルバトロ公国に害をなすと思われるからだ。
「殿下、近くに接舷できるような場所はありませんが?」
「小舟で近づいて、縄で登ってもらう」
「本気ですか……?」
「これしか手がないからな。俺だけアルバトロ公国に行っても意味がない。精鋭が必要だ」
「お任せを」
ラースの返事を聞いて、船長は何を言っても無駄だと思ったのか、黙って部下に縄の用意をさせ始めたのだった。
さて、とりあえず公王に挨拶といくか。
「それじゃあこれから別行動だ。フィーネ、頼んだぞ?」
「はい、お任せください。アル様もご武運を」
「ああ、祈っていてくれ。セバス、フィーネの傍につけ」
「かしこまりました」
今回は相手に先手を取られ過ぎている。
アルバトロ公国が王国についたからといって、即刻帝国の危機というわけではない。
だが、長期的に見るとじわじわと追い詰められる一手となる。
そのビジョンが視えた相手が確実を期すために送った使者だ。
どう考えてもくせ者なのは間違いない。
そんなことを思いながら、俺は空にいるフィンを呼ぶのだった。