第四百九十二話 脱力
戦いは互角だった。
剣の間合いではエルナが上回るが、そこから一歩間合いに入ると拳が届く距離となり、ノーネームの打撃が上回る。
「はぁぁぁぁっ!!」
エルナは緩急をつけながらノーネームの間合いに潜り込み、突きを繰り出した。
ノーネームはその突きの軌道をなんとか逸らすが、浅く肩を斬られる。
だが、そこはノーネームの間合いだった。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
右の拳がエルナに迫る。
避けるには近すぎた。
受けるにしてもダメージは避けられない。
ならば。
エルナは咄嗟に右足を振り上げた。
その右足がノーネームの腹部を捉えたと同時に、ノーネームの右拳もエルナの腹部を捉えた。
タイミングは同時。
互いに攻撃体勢のため、避けることができずに思いっきり吹き飛ばされることとなった。
「ぐっ……」
壁に激突し、ノーネームは倒れ込んだ。
だが、エルナも同様だ。
抜群の格闘センスで反撃してはいるが、打撃の威力はノーネームが勝る。
痛み分けとはならない。
しかし、ノーネームも平気ではない。
徐々にエルナの剣はノーネームの体を捉え始めているし、打撃もキレを増すばかり。
長引けば不利。
そう判断し、ノーネームは歯を食いしばって立ち上がった。
ノーネームがリナレスの下に送られたのは、リナレスの血を求めたからだ。
だが、それとは別にリナレスの技術も取り入れたいとも思っていた。
多くの血を取り込んできたノーネームの一族は、技術についても貪欲だった。
多くの剣術を取り入れてきた。すべては勇者を上回るために。
だが、剣術では超えられない可能性もあった。だから、リナレスの技術を求めたのだ。
剣で上回れないならば、体術で差をつければいい。
聖剣を上回っても、持ち主を上回ってなければ敗北してしまうかもしれない。
勇者を超えるには聖剣と勇者自身。どちらも超えなければいけないのだ。
その判断は間違っていなかった。
「……」
視界の先ではまだエルナが立ち上がっていない。
今がチャンスだ。
だが、体が思った以上に動かない。
深く息を吸い、体を急速に整える。
魔力を体全体に回し、痛みを一時的に抑え込んだうえで強化していく。
頭はまだ回る。
意志もある。
あとは体が動けばいい。
「私は……勝つ!!」
無理やり体を動かし、ノーネームは駆けだした。
反対方向まで飛ばされたエルナの下まで詰める。
エルナも膝をつきながらも、剣を構えている。
だが、そんなものはまやかしだ。
ノーネームの剣が上段から振り下ろされ、エルナはそれをギリギリで受け止めた。
「甘い!!」
ノーネームの足が跳ね上がる。
上に気を取られていたエルナはその蹴りを正面から食らってしまう。
まるで紙のようにあっさりと吹き飛ばされたエルナは、壁に再度激突する。
逃げ場はない。
今が攻め時だ。
ノーネームは一気に距離を詰めた。
「はぁぁぁぁぁっ!!!!」
剣による連撃。
エルナはそのすべてを受けきるが、それによって生じた隙を狙い、ノーネームは拳打を繰り出していく。
もはや避ける体力も空間もない。
エルナはノーネームの拳を食らうしかなかった。
左の拳が振るわれれば右に飛ばされ、右の拳が振るわれれば左に飛ばされる。
もはやサンドバッグ状態だ。
闘技場の民たちは悲鳴を漏らす。
予期せぬ展開に誰もが焦る。
だが。
「止めるべきか? フランツ」
「私にはなんとも」
「必要ありませんよ」
皇帝の言葉にアルが答えた。
その目は殴られ続けるエルナへ向けられている。
「このままでは死ぬぞ?」
「そんな状況ならこの場の強者が止めています。何もしないということは……目に見えているほどノーネーム有利ではないということです」
皇帝は傍にいるアリーダとセオドアに目を向ける。
二人は頷くことで、アルの言葉を肯定した。
その流れでアリーダがアルに訊ねた。
「殿下はなぜそう思うのですか?」
「エルナは剣を手放していない。それに、子供の頃、あいつに教わったからな。殴られたときは体の力を抜けって」
反撃しないアルを見かねて、エルナがしたアドバイス。
怪我をしないための方策。
力を抜けば衝撃は逃げていく。
大きなダメージを負わないで済む。
それを知っていたアルは、エルナが反撃を狙っていることを分かっていた。
「あんまり手に力を入れてると、血が出ちゃうよ?」
「うるさい」
同じくエルナが反撃を狙っていることを察していたレオは、苦笑しながらアルの手を叩く。
アルは強く拳を握っており、レオに言われて一瞬ほぐすが、すぐにまた握りしめられた。
その様子にレオは笑う。
「心配性だなぁ」
その言葉の後。
ノーネームはあまりに手ごたえがおかしいことに気付いた。
だが、確かに打撃はヒットしている。
威力を受け流されている。
その可能性にノーネームも至ったが、そんなことができるのは師匠であるリナレスくらいだろうと思えた。
エルナはあくまで剣士であり、拳士ではない。
そんなはずはない。
そう信じてノーネームは渾身の正拳を放った。
絶対に威力を受け流せない一撃だ。
だが、その正拳が届く前に。
ノーネームはエルナの斬撃を食らっていた。
腹部から血が噴き出す。
咄嗟に体を引いたため、致命傷ではない。
だが、出血が多い。
ほとんど意識の外から攻撃された。
十分すぎるほど一方的に攻撃できたため、防御の意識が薄くなっていたのだ。
「まったく……好き放題殴ってくれたわね」
言いながらエルナは口元の血をぬぐった。
一撃を放つ代償は安くはなかった。
体から力を抜き、打撃の威力は逃がしていたが、すべてを逃がすことはできなかった。
何度か意識が飛びかけたが、意地で堪えた。
すべてはノーネームが渾身の一撃を放つ瞬間に攻撃するためだ。
「さぁ、次はこっちの時間よ」
「舐めないでもらいましょうか……そっちだってフラフラのはず」
「まだまだ余裕よ」
「私だって余裕です」
二人は同時に笑って、剣をぶつけ合うのだった。