第四百八十五話 古い本
夜。
城の一室で俺はフィーネと話していた。
机の上には、城の図書館の奥。皇族用の本棚に眠っていた古い本。あるだろうと思ったし、案の定あった本だ。
それを見て、俺はとある作戦を思いついたが、実行に移すか迷っていた。
そんな時にフィーネがやってきたのだ。
「ノーネームさんと会うのも楽しみですが、アル様のお弟子さんにも会うのが楽しみです」
「仲良くしてやってくれ」
笑いつつ、俺は帝都の街を窓から見下ろした。
今はまだ平和だが、ノーネームの行動次第じゃここは火の海となりかねない。
皇子として絶対に見捨てないし、そんなことはさせない。
だが、危険に晒していることは事実だ。
俺は皇帝でも、帝位候補者でもない。
民の未来にいささかの影響も与えないし、与える気もない。
そんな俺が彼らを独断で危険に晒しているのは許されることではないだろう。
「ご自分を責めていますか?」
「責める? まさか……愚かだなと笑っているだけさ」
「後顧の憂いは取り除くべきです。悪魔と戦う上で、人類側の最高戦力に不安があっては戦えません」
「わかっているさ。だが、それは建前だ。そう言えば受け入れてもらえると思っている。そんな自分が愚かだと思えてしまう。俺はただ……エルナに向かうかもしれない刃を黙認できなかっただけだ」
まさしく私情。
なのに、俺は私情で何が悪いと開き直れていない。
それが愚かだ。
なにより愚かなのは、結局、ノーネームを変えられるのはエルナだけだとわかっていることだ。
「五百年ごしの悲願……私にはわからないことですが、きっととても重く、強いのでしょう。だからこそ、吹っ切れる切っ掛けが必要です。それはどうであれ、勇爵家との決着でしか果たせません」
「そうだ。エルナを守りたいと願いながら、結局はエルナ頼りとなるし、一つ間違えばノーネームとの決戦になりかねない。俺は決戦を早めただけなのかもしれないと思うと……愚かで笑えてくる」
自分では解決できない問題を帝都に持ち込んでいる。
もちろん対処は可能だし、防ぐことも可能だろう。
だが、解決だけはノーネームとエルナにしか果たせない。
最後の鍵を俺は持っていないのだ。
「なんでも一人では解決できません。よくご存じでは?」
「そうだな。その通りだ。よくわかっている。俺は俺の無力さを」
「人には役割というものがあると思います。自分が主役の時もあれば、脇役のときもあります。今回は脇役だったのだと、自分を納得させましょう。無力さを嘆いても、先には進みませんから」
「……ままならないな。自分がこうしたいと思った時、俺は主役ではない」
「気持ちはわかります。勇爵家の神童、勇者の再来。そう言われるエルナ様が危険に巻き込まれることはほとんどありません。大抵のことは危険ではないからです。だからこそ、そんな危険から守ってあげたいと思うのは当然です。いつも助けてくれる幼馴染ですからね。自分の手で守りたいと思うのは……人であれば仕方ない我儘でしょう」
フィーネはそこで言葉を切る。
そして俺の横へ移動し、その手を取った。
「ですが、支えるのもまた大切な役割です。信じましょう。それもまた一つの形です」
「フィーネ……」
「自慢の幼馴染なのでしょう? 世界で一番だと誇れませんか?」
「ふっ……君は人を励ますのが上手いな、ありがとう。元気が出たよ」
「それは良かったです。では、動きますか?」
「ああ、動こう。待っていても好転しないなら、状況を動かすべきだ」
こうして俺は迷っていた一手を打つことを決めたのだった。
■■■
次の日。
俺はエルナを城に呼び出していた。
そんな俺の前にあるのは昨日の古い本。
「どうしたの? 何かあった?」
「何かあったかといえば、何かあったな。帝都にノーネームがいるのは知っているな?」
「ええ」
「どこまで知っている?」
「勇爵家を超えようとしているってことくらいよ。魔剣を強化して、聖剣以上の剣を作り出そうとしているらしいわね」
「そこまで知っていたか……」
「宰相がギルド関係者から情報を引き出したみたいよ。とても警戒していたわ。まぁ言われてなくても、他国のSS級冒険者と一騎打ちなんてする気はないけれど。特に皇国のSS級冒険者なんて、どっちが勝っても問題よ」
「まぁ、だろうな。それで? ノーネームが相手なら正直、勝てるか?」
「やってみないとわからないわ。そういうレベルの相手よ」
あの自信の権化みたいなエルナが、勝てると断言しない。
それだけノーネームの実力が高いという話だ。
「シルバーが言うには、まだ魔剣は聖剣には達していないらしい。向こうが面倒なタイミングで仕掛けてくるかもしれない。ここで勝負を仕掛けるのはアリだと思わないか?」
「馬鹿言わないで。こちらを超えようとしてくるなら上等よ。超えたと判断するまで待つわ。こちらの有利を確信して勝負を仕掛けるなんて、勇爵家の名が泣いてしまうわよ」
「なるほど。勇爵家らしい答えだな。逆に聞こう。聖剣と魔剣を封じた状態では、どうなる?」
「やってみないとわからないわね。けど……」
エルナは鋭い視線を俺へと向ける。
そして。
「アルが勝てと言うなら勝つわよ。勝負させる気なんでしょ? 問題が少ない方法で」
「……この本はとても大切に保管されていた本だ。初代勇爵が書き残したものらしい。そこには五百年前、魔王との決戦直前に起きた一騎打ちについて書かれていた」
「勇爵家に伝わってないってことは、初代様はそれを是が非でも後世に残したかったのね」
五百年前。
魔王を倒した勇者は、勇爵として帝国に迎え入れられた。だが、その後、盤石の地位を築けるかはわからなかった。
いつまで勇者の血が残るのか不明だったからだ。
しかし、当時、皇族はすでに長く続く統治者だった。これからの発展も予想できただろう。
ゆえにこの本を皇族へ託した。
「その一騎打ちは聖剣を巡る一騎打ちだった。勝った方が聖剣を使い、魔王に挑む。当時、どちらも勇者と呼ばれる実力者。二人は何の変哲もない剣を使って戦い、初代勇爵が勝った。そして初代勇爵は絶望的と言われる魔王との戦いに挑んだそうだ」
「そして打ち勝った。負けたほうはどうしたの?」
「勇者に敵対したとして、人類の敵とまで言われたそうだ。そして歴史から名前を消された。その後、初代勇爵はその相手とは会えなかったらしい。それでも勇爵はその相手を〝戦友〟と評している」
長く続いた悪魔との戦い。
人類の希望として、二人は最前線で戦ったはずだ。
互いに互いを一番よく知っていたはず。
ノーネームの祖先に欲がなかったといえば嘘になるだろう。それでも、それが全てとは言い切れない。
だからこそ。
「初代勇爵と聖剣を巡って争ったもう一人の勇者。それがノーネームの祖先であり、それがノーネームが勇者を超えようとする理由だそうだ。一族の悲願、五百年越しの想い。簡単なものではない。時間が必要となるだろう。だが、切っ掛けは作れるはずだ。その切っ掛けはお前にしかできない」
「前置きはいいわ。何をしてほしいの?」
「もうすぐ皇后陛下の誕生日だ。そこで行われる催し物があっさりしすぎていると問題になっている。だから、お前とノーネームの一騎打ちを提案する。かつて聖剣を巡り、二人は普通の剣で争った。それを知れば、ノーネームも受けるだろう。悪いが、見世物になってくれ」
「いいわよ」
あっさりとエルナは応じた。
だが、自信満々に胸を張って告げる。
「でも、負ける気はないわ。五百年後までの因縁を作っても知らないわよ?」
「その時は五百年後の奴らに任せればいい。存分に戦え。多くの者がもしもお前が負けたらと心配するだろうが……俺はお前の勝利を疑わない」
「御意、殿下に勝利をお見せします。アムスベルグの名にかけて」