第四百三十四話 ヘンリック・レークス・アードラー
玉座の間。
そこには皇帝ヨハネスと宰相フランツがいた。
「久しいな、ウィリアム王子……いや竜王ウィリアムと呼ぶべきか」
「お久しぶりでございます。皇帝陛下」
「帝都での反乱以来か……あの時はもう二度と会うことはないと思っていたぞ」
「私も……また会えるとは思いませんでした」
反乱に加担した側と、反乱を起こされた側。
どちらに転んでも再会は難しい立場だった。
しかし、数奇な運命が二人をまた会わせた。
互いに王として。
「イーグレット連合王国は此度の内乱介入について深くお詫びいたします。すべては先王の起こしたこと。これからは両国の明るい未来のために、手を取り合っていければと思っております」
「今更だな……内乱終結し、藩国への侵攻も終わった。王国との戦争も停戦予定だ。今更、手を取り合うメリットがどこにある?」
「王国との停戦は一時的。悪魔の問題が解決したところで、王国の領土的野心は消えません。その野心ゆえに象徴ともいえる聖女すら捨てたのですから。戦いは必ずまた起こります。その際は、我が竜騎士たちが帝国軍の空を守りましょう」
「王国との同盟を切ると?」
「本来の予定であれば我らが北部を抑えている間に、王国軍が西部国境を突破する予定でした。すでにその約束が破られた以上、同盟は無意味でしょう」
「たしかに。藩国と連合王国は役割を果たした。賢王会議の際、皇王が言っていたのは言い得て妙だな。お前たちは同盟相手に恵まれなかった。まぁ間違えたともいえるわけだが」
「過ちを償うチャンスをいただければ幸いです」
連合王国は島国。
どの戦争においても中立を保てるという利点を持っていた。
さらに航空戦力として大量の竜騎士を保有しており、攻め難い立地でありながら好きなところに攻撃できる国でもある。
敵に回しておくより、味方にしておいたほうがいい。
藩国に対する恨みを捨てられるなら、連合王国への恨みも捨てられる。
だが。
「償うチャンスを渡すかどうかはそちら次第だ」
そう言ってヨハネスはウィリアムの後ろに控える自分の息子に目を向けた。
その視線を受けて、ヘンリックが立ち上がって一人前に出てきた。
「……ヘンリックが父上にご挨拶いたします……お久しぶりでございます……」
「久しぶりだな……我が国を裏切っておきながら、よく顔を出せたものだ。あの反乱からの一連の流れで……一体どれほどの血が流れたかわかっておるのか!?」
「……すべて浅はかな自分の責任です」
「その通りだ! 常日頃からレオナルトと張り合い、アルノルトを見下していたお前は! 率先して反乱者と戦うべき立場だった! ザンドラとは違い、自分は皇族として帝国に尽くすのだと! そういう姿勢を見せるべきだった! それなのに! あっさりとゴードンについた! 皇族としての誇りはどこに捨てた!? お前が周りより尊重されていたのは、有事の時に国を守る責任を負っていたからだ! その特権を使うだけ使い、有事の際に裏切るなど! 恥を知れ!」
ヨハネスはため込んでいた感情を吐き出す。
ゴードンのように戦死したというなら納得もできた。
敵対したものの、そこには一本の信念があったのだと。自分を納得させられた。
だが、状況に流されるだけで死ぬこともできない。
「帝都から逃走し、戦場から逃走し、連合王国に逃走し……逃げてばかりではないか!? ここに何しに来た!? ワシを失望させ足りないのか!? ワシが望んだのはお前ではない! ワシは伝えたはずだぞ! 連合王国国王! ウィリアム! すべてを水に流すゆえ! ゴードンの妻とその娘を連れてこいと!」
秘匿されていたゴードンの娘。皇帝ヨハネスの孫娘。
その存在をヨハネスは承知していた。
ゆえにウィリアムが撤退したときに追撃命令を出さなかった。
ただでさえ困難な敗走。追撃をかければ幼子の居場所がわからなくなってしまう。
すべては孫娘のためだった。
「皇帝陛下……ゴードンの娘は我が国で母親が育てます。ゴードンのことは何も知らせず、静かに暮らすべきと考えております」
「それを決めるのはお前ではない! 皇族の血は帝国の宝! ましてやワシにとっては初めての孫だ! 他国に任せるなどありえぬ!」
「……父上」
ゴードンの娘のためならば、ヘンリックを見逃すのもやむを得ないとヨハネスは考えていた。
ヘンリックは裏切り者ではあるが、首謀者ではない。状況に流された臆病者。放置しても危険にはならない。
唯一の懸念は子を残すことだが、監視していればどうとでもなる。
それよりもゴードンの娘だった。
それを手紙で伝えられたからこそ、ヘンリックはこの場にやってきた。
自分の命は今こそ、使うときなのだと悟ったからだ。
「お前に父と呼ばれる筋合いはない!」
「いえ……呼ばせていただきます……! 父上! 僕の首でどうか事を収めていただきたいのです! 世間はゴードン兄上の娘について知りません! 知っている者はごく僅か! 帝国に戻れば反乱者の娘として苦しむのは目に見えております! このまま何も知らずに連合王国で過ごすほうがあの子のためです!」
「皇族の仕事は血を後に残すこと! 孫の世代はその子しかおらんのだ! 候補者がいない以上、誰の子であろうと手元に置く!」
「皇帝としてではなく……父として! 祖父として! どうか賢明なご判断を! 反乱者の娘として育てられれば、いずれ歪みが生まれましょう! 将来のためです! 父上の息子はまだ多い! これから孫は大勢産まれます! どうか……僕の姪は見逃していただきたい!」
言い切ったあと、ヘンリックは荒い息を吐いた。
そして気づいたときには口から血がこぼれていた。
もはや体の感覚はない。
それでも。
ヘンリックは前を向いた。
「ヘンリック……お前……」
「……父上の……お手間は取らせません……自らの罪はよくわかっております……すでに自裁済みです……」
「喋るな! 医者を呼べ! 勝手には死なせん!」
「まだお返事を聞いておりません……! この命が続くかぎり、決してここは動きません! 僕の安い命はここで使い切ると決めています! どうかゴードン兄上の娘を黙認してください……!」
「命を賭けた嘆願でワシが動くと思っているのか!?」
「思っています! あなたは情に厚い! たとえ裏切った息子でも、目の前で死にかければ情が動く! すべて承知の上です……! 卑怯で姑息な……あなたの息子の最期の頼みをどうかお聞き入れください……この血はとても重い……背負わずにいられるなら……それに越したことはないでしょう……もしも……諦めきれないというなら……十六になるまで待っていただきたい……この僕の命の分だけ……大人になるまで……アードラーにふさわしい子なら……それも乗り越えられるでしょう……」
血を吐き出しながら、ヘンリックは深く頭を下げた。
その後ろでウィリアムも頭を下げる。
「私からもどうかお願い申し上げます! 友の名に賭けて! 決して利用しないと誓約します! 友のために泥沼の戦争にまで付き合った、私を信じていただけませんか!」
「……どうしてそこまでする……? お前にとってゴードンの娘はそこまで大切か?」
「……胸に痛みがあります……家族を失った痛みです……突撃するゴードン兄上を見ていることしかできなかった……共に駆けることもできず、ただ見ていた……あの時の痛みは忘れられない……その痛みを僕は大勢に味わわせた……戦場で多くの人を見捨て、地獄に落とした……彼らにも家族がいたのに……だから……僕はせめて家族を守らなければ……彼らの誇れる自分になるために……」
「殺すと言っているわけではない!」
「殺されたほうがマシなこともあります……反乱者の娘とバレれば命も狙われるでしょう……それに……あなたに殺す気がなくとも……他の者は違う……利用する者もいれば、殺そうとする者も大勢いる……存在を隠すことが守ることに繋がります……帝国には居させられない……どうかご決断を……」
言いながらヘンリックは笑う。
優しい父がどう決断するのか。よくわかっていたからだ。
「……わかった。ゴードンに娘はおらず、妻は死んだ。それでよいな?」
「感謝します……そして……申し訳ありません……あなたの誇りにはなれなかった……ですが、どうかご安心を……あなたの誇りになる息子はほかにいる……」
そう言ってヘンリックはゆっくりと目を閉じた。
そして視界が暗転する。
そこは心地良い暗闇だった。




