第四百二十四話 皇太子の代理
「私は絶対に認めません!」
「意固地になるのはよさんか!」
話し合いは平行線。
決着はつかない。
父上もそろそろ我慢の限界だろう。
いい加減にしないととんでもないことになるぞ。
皇后は確かに皇帝の隣に立つ存在だが、あくまで帝国の頂点は皇帝だ。
皇帝が国益を考えて認めた結婚に反対し続ければ、皇后とて無事には済まない。
しかし、皇后に対して罰を与えることは妻さえ制御できないと判断されるため、皇帝としても不名誉なことだ。父上にもダメージがある。
とはいえ、互いに振り上げた拳をおろす気がない。
「トラウゴットのことを少しは考えろ!」
「考えるべきは陛下では!?」
やはり平行線。埒が明かない。
互いに互いの意見を受け入れないし、譲らない。
妥協案を話し合う雰囲気すらない。
火傷覚悟で口を出すべきか。
そんなことを考えた時。
「皇后陛下。興奮しすぎては体に障ります。どうか落ち着いてください」
「テレーゼ……」
「皇帝陛下と皇后陛下にご挨拶を」
玉座の間にテレーゼ義姉上が入ってきて、静かに頭を下げた。
傍には誰もいない。
フィーネがいない以上、味方なのか敵なのかわからない。
しかし、来た以上は場が動く。
「テレーゼ……あなたも来たのね。あなたからも陛下に言いなさい。ヴィルヘルムの実弟であるトラウゴットが藩王になるなど、ありえないと」
「東宮に閉じこもっているので、状況があまり飲み込めていません。トラウゴット、一つ聞いてもいいかしら?」
「は、はいであります……テレーゼ義姉上」
二人が話すのはきっと皇太子の葬儀以来だろう。
実弟であるトラウ兄さんは、俺とは違う。
ヴィルヘルム兄上を思い出させる要素が多い。
だからトラウ兄さんもテレーゼ義姉上に会わなかった。
そんな二人が話すというのは喜ばしいことだ。本来なら。
「藩国のマリアンヌ王女と結婚するというのは……あなたの意思?」
「そうであります。自分が藩国に行くべきと考え……マリアンヌ王女にプロポーズしたであります。了承していただいた以上、もはやだれにも譲る気はないであります」
「そう……しかし、皇后陛下は反対のようよ?」
「それは……」
「母親を差し置いて結婚の話を進めれば、当然のこと。あなたに非があるわ。反省しなさい」
「も、申し訳ないであります……」
「もっと言ってやりなさい! まったく!」
テレーゼ義姉上に注意され、トラウ兄さんは居心地悪そうに小さくなった。
味方を得た皇后は得意気だ。
一方、父上は顔をしかめている。
だが。
「皇帝陛下は認めており、皇后陛下は反対している……この状況でもあなたの結婚の意思は変わらないのかしら?」
「もちろんであります! 親の反対で取り下げるほど軽い気持ちでプロポーズしないであります! 自分はそんな軽い男じゃないでありますよ! あ、体重の話ではないであります」
「もうちょっと緊張感を持ってもらえませんかね……」
横で俺が突っ込むと、トラウ兄さんは顔をしかめる。
そしてなぜか俺を非難するような目で見てきた。
「なんです?」
「場を和ませようとしたでありますよ! 兄の気遣いを汲むであります!」
「それで和む場だと思ってるんですか? ここ、玉座の間ですよ?」
やっぱりこの人は頭がおかしいんじゃないかと心配になった時。
テレーゼ義姉上が笑った。
これまで明るい感情を見せなかった人が。
笑ったのだ。
「ふふふ……トラウゴットらしいわね」
「テレーゼ義姉上……」
「皇帝陛下、そして皇后陛下。私はここに亡き皇太子ヴィルヘルムの妻として来ています。ヴィルヘルムの代理として来たということです。そして――私はトラウゴットの結婚に賛成です。ほかでもないトラウゴットが望むなら……義姉として結婚させてあげたいと思います」
その場にいる全員が固まった。
皇太子の死後、三年。
ずっと後ろ向きで生きてきたのがテレーゼ義姉上だ。
過去に囚われていたと言ってもいい。
そのテレーゼ義姉上がわざわざ玉座の間に来て、亡き皇太子の代理だと宣言したうえでトラウ兄さんの結婚に賛成するなんて……。
「あなたも……ヴィルヘルムのことを忘れたの!? テレーゼ!」
「忘れてはいません。いつまでも彼は私の心の中にいます。だからこそ、反対するわけにはいきません。皇后陛下もお分かりのはず。自分が理由で弟の結婚が反対されるなど……ヴィルは決して望みません」
「ええ、そうね……そうでしょう。だからどうだと言うの? 大人しくトラウゴットの好きにさせよと……? 皇子は他にもいるのに!」
「全員がヴィルが愛した弟たちです。私の義弟でもあります。トラウゴットが駄目で、ほかの皇子なら良いなど……受け入れられません。その反対理由なら藩国に皇子を行かせること自体に反対するべきです」
「それは……」
「皇后として藩国に皇族を向かわせる国益には気づいているはず。邪魔をしているのはトラウゴットへの心配なのは理解しています。私も心配です。ですが……トラウゴットは私が愛したヴィルの弟で、皇后陛下の息子ではありませんか。藩国程度、見事に治めてみせましょう」
そう言ってテレーゼは皇后の手を取る。
二人は同じ悲しみを背負った者同士。
互いに互いを理解できる唯一の存在だ。
どちらにも代わりはいなかった。埋められない心の穴を感じながら、今日まで生きてきた。
だが、テレーゼ義姉上はそれでも前を向いたらしい。
「私は……藩国が許せないわ……」
「私も同じ気持ちです。しかし、ヴィルのために一国を滅ぼし……それでヴィルが喜ぶでしょうか? 私たちが少しだけ乗り越えて……よりよい未来を歩もうとするほうがヴィルは喜ぶと思います」
「……」
皇后は黙り込む。
テレーゼにヴィルヘルム兄上の名を出されては何も言えないんだろう。
怒りは確かにある。だが、怒りのままに行動しては獣と変わらない。
皇后もテレーゼ義姉上のおかげで少しは冷静さを取り戻したらしい。
ゆっくりと皇后がトラウ兄さんを見つめた。
そこでトラウ兄さんが膝をついた。
「母上……どうか、結婚の許可を!」
「……愛のない結婚よ?」
「愛は育むものです」
「言葉では何とでも言えるわね」
「側室を迎え入れる気はないであります。自分の隣に立つのは生涯、マリアンヌだけであります!」
思わず俺は頬を引きつらせる。
万が一、マリアンヌとの間に子供ができなかったらどうするつもりなんだろうか?
誰か養子をとるのか?
ではどこから?
とんでもない問題になりそうだ。
だが、吐いた言葉は戻らない。
「その言葉……決して忘れないと誓える?」
「誓えます」
「その言葉を違えるならば私は絶対にあなたを許さないわ! 誰が何と言おうと藩国を攻め滅ぼす! その覚悟はあるの!?」
「問題ないであります。このトラウゴットに二言はないであります」
「……」
皇后は何も言わず顔を逸らした。
そしてそのまま玉座の間を出ていこうとする。
父上が引き留めようとするが、テレーゼ義姉上が首を振ってそれを制す。
「……好きになさい」
「感謝いたします」
「……藩国に行けば、あなたは私と皇帝陛下の息子ではないわ。藩王なの。そのことを忘れないように」
「心に刻みました」
そう言って皇后は玉座の間を去っていく。
嵐が過ぎ去り、俺と父上は同時にため息を吐いた。
「……一件落着ですか?」
「そのようだな……」
こうしてトラウ兄さんの結婚は認められたのだった。




