第四百二十一話 結論は出ず
玉座の間。
結局、母上を呼ぶことができなかった父上は、仕方なく玉座の間に皇后を呼び出した。
関係ありませんと逃げるのは簡単だったが、ここで失敗されたら俺に火の粉が飛んでくるため、俺もその場に残った。
「珍しいですね。陛下が私を呼び出すなど」
そう言いながら皇后ブリュンヒルトは玉座の間にやってきた。
そんなブリュンヒルトに俺とトラウ兄さんは頭を下げた。
「お久しぶりです。母上」
「お久しぶりです。皇后陛下」
「珍しいですね。二人が玉座の間に揃っているとは。特にアルノルトは北部より帰還したばかり。しっかり休んでいますか?」
「最近は少し忙しかったですが、落ち着きをみせています」
「それは良かった。北部での働きは見事の一言です。これからも精進しなさい。そうすればあなたを出涸らし皇子などと呼ぶ者は消えていくでしょう。怠けようなどとは思わないことです。都合のいいときだけ動くなど、皇族には許されないのですから」
「はい。全力を尽くします」
皇后の言葉に俺は素直に頷く。
皇后は帝国の母。皇子たちにとっては実の母よりも尊重すべき存在だ。
そんな皇后は俺との会話のあと、ゆっくりと父上の前へと進み出る。
「どのようなご用件でしょうか? 皇帝陛下」
「用件があるのはトラウゴットだ」
そう言って父上はトラウ兄さんに視線を向ける。
トラウ兄さんは少し緊張した様子だ。
さすがのトラウ兄さんでも実の母である皇后は、別格の存在なんだろう。
「母上……今日はご報告があるであります」
「報告?」
「……自分は藩国のマリアンヌ王女と結婚するであります」
一息にトラウ兄さんは告げる。
張り詰めた空気が玉座の間を支配した。
皇后の表情は変わらない。
これは完全な事後報告だ。蔑ろにされたと感じてもおかしくはない。
いつまでも沈黙は続く。
重苦しい雰囲気に俺もトラウ兄さんも耐え切れなくなり始めた頃。
皇后が口を開いた。
「――藩国の名を私の前で出すとは……冗談にしては笑えませんね」
底冷えのする声がした。
目は冷たく、そして鋭くトラウ兄さんを捉えている。
正直怖い。
だが、トラウ兄さんはそんな皇后の目をまっすぐ見つめ返した。
「じょ、冗談ではないであります……自分からプロポーズし、受けていただきました」
「……あなたの亡き兄、ヴィルヘルムは藩国によって殺された……そんな国の王女と結婚すると?」
「そんな自分だからこそ、であります。藩国を変えてみせるであります」
「あの国は変わらない……王が変わったところで蛮族の国は所詮蛮族! 野蛮の国の王女を娶るだけならまだしも、藩国に行く? そんなことを許すと思っているのですか!!??」
皇后の怒号が響く。
思わずトラウ兄さんと俺は一歩後ずさった。
こんなに怒っている皇后は初めて見た。
皇太子が亡くなった時は泣いているだけだったしな。
「ワシが認めた。トラウゴットは藩王となる」
そんな皇后に対して、父上が静かに告げた。
皇后の冷たい視線が父上に移り、そして怒りの矛先も父上へと向かう。
「認めた……? 母である私を差し置いて、陛下が認めたと?」
「事後承諾になったことは謝ろう。だが、トラウゴットが決めたことだ。認めてやるのが親というものではないか?」
「今更陛下に親とは何かを説かれる筋合いはありません。藩国は地図から消し去ってしまいたいとすら思っているのに、最後の息子をその国に渡せと? ふざけるのも大概にしてください!」
「藩国は同盟国となる。そのためのトラウゴットだ」
「その理由ならアルノルトを行かせればよいではありませんか! 北部での功績! 藩国の王女の保護! 藩国の民も受け入れやすいでしょう!」
「それはワシも考えた。だが、トラウゴットが行くと言っており、マリアンヌ王女もトラウゴットの求婚を受け入れた。その状況でアルノルトを藩王にする理由はあるまい」
「よくもそんな冷静でいられますね……ヴィルヘルムの恨みを忘れたのですか!?」
父上は皇后の非難を聞いても感情的にはならない。
片方が感情的になったとき、もう片方が冷静でなければ話し合いは成立しない。
今も言い返したい気持ちはもちろんあるだろうが、ぐっとこらえている。
「忘れてはおらん。だが、生きている以上は前を向くべきだ。それに我々は皇族だ。両国の未来のために、後ろばかり見ていてはならん」
「さすが陛下……ご立派ですこと。しかし、私は違います。あなたには多くの子供がいても、私にはもうトラウゴットしか残されていないのです! 帝国の貴族ならまだしも! 藩国の王女などにくれてやるものですか!!」
「皇后として、そして親として判断せよ。トラウゴットが望んだことだぞ?」
「この子が何をしようと許してきました。ヴィルヘルムには厳しく接してきたからです。この子は自由に育ってほしかった。ですが、結婚まで自由にはさせません! 母として私は絶対に認めない!」
血走った目で皇后は宣言した。
トラウ兄さんは何度か口を挟もうとするが、そのたびに父上に視線で制されている。
感情的になっている今、何を言っても無駄だとわかっているからだろう。
このまま父上に感情を叩きつけ、落ち着いたところでトラウ兄さんが口を出す。
それが一番だろう。
しかし、それが果たしていつになるやら。
それまで父上の我慢が持つだろうか。
これは持久戦だな。
そう思っていた時。
突然、皇后が俺に視線を向けてきた。
「周囲の話では、あなたが藩国に行くということになっていたはず! どういうことです!? アルノルト!」
「申し訳ありません、皇后陛下」
「謝罪をするなら今すぐ藩国に行きなさい! あなたが素直に認めていれば、トラウゴットが結婚などと言い出すこともなかった! 自分が嫌だからと裏で動いたのではないの!?」
「そういうわけでは……」
「あなたならやりかねない! ヴァイトリング侯爵家の一件でレオナルトと入れ替わり、周囲を騙しきった! 今回もトラウゴットが進んで引き受けるように仕向けたのでしょう!」
「いい加減にせぬか! アルノルトは関係あるまい!」
俺やトラウ兄さんが何か言う前に父上の堪忍袋の緒が切れた。
玉座から立ち上がり、今にも皇后に迫りそうな勢いだ。
そんな父上を皇后も睨みつけている。
「トラウゴットの結婚には反対せず、亡きヴィルヘルムのことは忘れているのに、アルノルトのことには怒るのですね? ミツバさんの息子だからですか?」
「皇子、皇女はすべてワシの子供だ! 母親は関係ない! 憶測で責めるなど、皇后として恥ずかしくはないのか!?」
「陛下こそ親として恥ずかしくはないのですか!? ヴィルヘルムを殺した国に実弟のトラウゴットが行くのですよ!? そんなことを許す親がどこにいます!?」
二人の話は平行線だ。
父上は皇帝として判断し、皇后は親として判断している。立場が違えば判断も違ってくる。
いつまでも二人は結論を出せないだろう。
俺とトラウ兄さんでは二人の間に入れない。
本来ならここに母上がいてほしかったが、本人がそれを拒否してしまった。
頼みの綱は一人だけ。
早く来いと願いながら、俺は玉座の間の扉を見つめるのだった。




