第四百二十話 夫婦の問題
一難去ってまた一難。
城の廊下を歩きながら俺はため息を吐く。
「皇后は間違っても同意しないよな」
「皇太子殿下を失う原因となった国にトラウゴット殿下も行かせるとなれば、反対は必至でしょうな」
後ろから音もなくセバスが現れる。
セバスの言葉はもっともだ。
世の母親たちも、皇后と同じように反対するだろう。
そう簡単に受け入れられる問題ではない。
「そういえば、最近フィーネの姿が見えないがどうした?」
俺へ縁談が殺到し始めた時、クライネルト公爵家も動いていた。
フィーネとしても気まずいのだろうかと思っていたが、さすがに姿が見えないのはおかしい。
「フィーネ様は東宮でございます」
「東宮? 義姉上のところか?」
「はい。帝都に帰ってきてからずっとテレーゼ様の下へいます。複雑な心境だろうから、と」
「気が利くことだな。誰の入れ知恵だ?」
「ミツバ様とお話したあと、テレーゼ様の下へ向かったのでミツバ様かと」
さすがは母上というべきか。
この展開を予想していたのか、それとも単純に心情に配慮した結果なのか。
どちらにせよ、フィーネがテレーゼ義姉上を味方に引き込んでくれるなら助かる。
「皇后も辛いが、義姉上も辛い。藩国に対する心情は似たモノだろう。ただ、テレーゼ義姉上にはトラウ兄上の結婚に反対する理由が薄い。藩国は憎いだろうが……もはやそれすら拘る人でもない」
「あの方の心にあるのは皇太子殿下のみですからな」
家族のために動き、結局は助けられなかった。
絶望はより深くなり、あの人はさらに前を見なくなった。
そんなテレーゼ義姉上だが、皇后が相手となれば有効な切り札となる。
亡き皇太子が愛した女性。皇太子亡きあとも、皇太子だけを想う女性。
皇后からすれば哀れであり、愛おしい義理の娘だ。
わざわざ白鴎連合の問題に立ち上がったのも、テレーゼ義姉上の頼みがあったからだろう。今回もテレーゼ義姉上の賛成が得られれば、皇后を説得しやすい。
「二人が抱える恨みは民が抱えるものとは比べ物にならない。ひどく濃い個人的な恨みだ。片や息子を失い、片や夫を失った。皇太子に近かったからこそ、その絶望も深い」
「個人的な意見を言わせていただくなら……どちらも甘えですな。引きずったところで失った命は戻らない」
「暗殺者らしい言葉だな。たしかに死は乗り越えなきゃいけない。人は定命の生き物だからな。だが、それができない人もいる」
「近いと絶望が深いというなら、最も絶望が深かったのは皇帝陛下でしょう。それでも陛下は前を向いた。皇太子殿下の死を引きずりながらでも」
「誰もが父上のようにはなれないし……それが二人の溝でもある」
長兄は死んだ。
その後、それをすぐに乗り越えようとする父上の姿を皇后は見ている。
皇后からすれば薄情な皇帝に見えただろう。
次代の後継者を育てるために、帝位争いも起こした。代わりは他にもいるといわんばかりの態度に見えたとしてもおかしくはない。
「政略結婚の末路か……」
二人の間には愛はなかった。二人は先代の皇帝、つまり俺の祖父が決めた許嫁だったからだ。
父上が真に愛したのは第二妃だった。それでも皇后への尊重は忘れなかった。どちらも皇帝として、皇后として、互いを見ていた。
個人の感情の前に立場があったのだ。
それでも上手くいっていた。
最初に生まれた子供があまりにも期待以上だったからだ。
「父上はどうするつもりなんだろうな?」
「わかりかねますな。しかし、国益を優先するならばトラウゴット殿下が藩王になるべきでしょう」
「もう一波乱ありそうだな……」
そんなことを呟きながら俺はセバスと共に母上の下へ向かったのだった。
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「自分たちでどうにかしなさい」
母上の部屋に向かい、父上が呼んでいることを伝えるとそんな言葉が返ってきた。
皇后ですら父上の呼び出しには応じる。
堂々と拒絶するのは母上くらいだ。
「母上……」
「私が介入するとややこしくなるわ。それに親すら説得できないなら、一国の王は務まらないわ」
「しかし、相手は皇后です」
「できる手助けはしたわ。あなたが当事者なら私が動くけれど、当事者はトラウゴットになったの。これは親子の問題であり、夫婦の問題よ。フィーネさんは人に寄り添える人よ。だからきっと、テレーゼの心も動かすでしょう。それでも皇后を説得できないなら、トラウゴットに藩国は任せられないということよ」
「そんな手厳しいことを言わなくても……」
「手厳しいかしら? 優しいほうだと思うけれど?」
表情も変えないまま、母上は紅茶を飲む。
これはテコでも動かないな。
父上は切り札を失った。
期待した援軍はない。
「上手くいかないと俺が藩国に行くことになりかねないんですが……」
「そうならないようにあなたはあなたで頑張りなさい。私は干渉しないわ」
そう言って母上は視線で部屋を出ていくように示す。
やれやれ……。
どうして父上の妃は癖が強い人ばかりなんだろうか。
盛大にため息を吐きながら、俺はその場から立ち去るほかなかったのだった。




