第四百十六話 過去は過去
夜。
俺は城から帝都を見下ろしていた。
問題は解決していない。
いつもなら相談できるレオは、西部戦線だ。
いないからこそ、傍にいたときの心強さがよくわかる。
「まいったよ、レオ」
空を見上げながらボソリと呟く。
状況はどんどん悪くなっている。
勇爵家やクライネルト公爵家の動きを察知したほかの貴族も、俺との縁談を持ち出し始めた。
このままいけば問題はどんどん大きくなる。
大きくなればなるほど、俺だけじゃ収拾できなくなる。
今の俺は魅力的な物件だろう。
帝位を争うレオの実の兄で、手柄を立てたナンバー2。レオが皇帝になれば皇兄として、権力に最も近い位置にいる皇族となる。
貴族からすれば喉から手が出るほど欲しい相手だろう。
それを加速しているのは、父上だ。
藩国の王女であるマリアンヌとの縁談を持ち出したため、俺を結婚させたがっていると貴族は捉えた。それは間違ってはいない。
俺自身もよからぬ企みから逃れるために、今の自由な立場は変えなければいけない。
「どうするべきか……」
勇爵家だろうが、公爵家だろうが、婿に入った時点で俺の帝位継承権は消失する。婿に入るというのはそういうことだ。
マリアンヌと結婚した場合も同様。
皇族が同時期に大量に死んだりしないかぎり、俺に帝位の話が回ってくることはない。
ほぼない話だ。
とにかく帝位から離れる必要がある。担ぎ上げられたりしたら、レオと争うことになる。そうなれば得をするのはエリクだ。
本人の意思に関わらず、勝手にできる勢力もある。
フィーネが望まないのに、フィーネのために行動した白鴎連合のように。
俺にできないとは言い切れない。
警戒させるためとはいえ、手柄を立てすぎたか。
俺を危険と思わせることには成功したが、俺の自由が消えてしまった。
「あんまり外にいると風邪ひくわよ?」
「平気だろ、もう少しくらい」
「そう」
後ろからそう言って、エルナが俺の隣に並ぶ。
そして同じように空を見上げた。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続く。
沈黙を破ったのはエルナのほうだった。
「ごめんなさい……」
「お前が謝ることじゃないだろ」
「でも、お母様がアルを困らせてるわ……悪気はないのよ? きっと」
「知ってるさ。いつだって味方でいてくれた。今回も俺のための話だ」
「……クライネルト公爵家からも縁談の話が来てるって本当?」
「本当だ。クライネルト公爵家だけじゃない。帝都の貴族も俺に縁談を申し込んできている。見事な手のひら返しだな」
普通の感性があれば、自分が出涸らし皇子と揶揄した相手に縁談を申し込むのは気が引けるだろう。
しかし、貴族にとってそんな感性は邪魔でしかない。
これは政治だ。勝ち馬に乗りたい奴はいくらでもいる。流れを見て、俺なんかにでも愛想笑いができるから、貴族は家を保てるんだ。
「……どうするの?」
「考え中だ」
「時間はあんまりないわ。リーゼロッテ様は快進撃を続けているそうだから」
「姉上らしいな。少しは休憩してもいいだろうに」
藩国軍を撃破した姉上は王都に侵攻中だ。
民に配慮し、姉上にしてはゆっくりな行軍といえる。
だが、それでも十分に早い。
藩王が捕まるのも時間の問題だろう。
「……アルが答えを出せないなんて珍しいわね」
「出せないさ。俺は完璧じゃないからな。なにより、この問題には正解がない」
「……アルはどうしたいの?」
「セバスにも言われたよ。俺次第だと。そして俺は俺がどうしたいのかよくわからない」
「そうなのね……」
その後、また無言の時間が続く。
夜風がさすがに寒くなってきた頃、無言に耐えきれなくなったのかエルナが切り出した。
「初めて会った日のことを覚えてる?」
「覚えてるさ。城にやってきたお前が、ギードに馬鹿にされていた俺を見つけた。お前はギードたちをぼこぼこにした後、俺に対して軟弱者って怒ったな」
「もう……そういうことはよく覚えてるのね。でもね……初めて会ったのはその時じゃないのよ?」
「そうだったのか?」
「そうよ……変だと思わない? 私と仲がいいだけで、勇爵家がずっと味方だったなんて」
「どうだろうな。俺は変には思わなかったが?」
「理由があるのよ。十一年前……皇国の大使が来た日のこと。アルが宝玉を壊したと言って、投獄された日……あの日、宝物庫で宝玉を斬って泣いていたのは……私よ……」
それはきっとエルナにとって勇気のいる言葉だったんだろう。
こんなに緊張しているエルナを見るのは久しぶりだ。
だけど。
「まぁ、そうか……だろうなっていうのが俺の感想だな」
「知っていたの……?」
「知らないさ。あの日のことは誰に聞いても教えてくれなかった。けど、大人になっていくうちに気付いた。宝物庫の宝玉を斬れる同年代の女なんて、お前くらいしかいない」
答えが一つしかないのだ。
さすがに馬鹿でも気づく。
むしろ気づかれてないと思ってたのか。
こいつは。
「そ、そんな……」
「そんなに衝撃を受けるようなことか?」
「当たり前よ! 私にとっては大事な……大事なことだったの……」
「そうか。俺にとってはお前との思い出の一つだけどな。あの一件があったから勇爵家が俺の味方をしていると思っているなら見当違いだぞ? あの程度の貸しで動くほど勇爵家は安くない。ずっと味方でいてくれたのは、数えきれないほどの貸し借りが……絆が……お前と俺との間にあったからだ。それが一つ増えただけだろ? 何が変わる?」
大事なのは最初じゃない。
そこからの過程だ。
共に過ごした幼少期。その密度が今の信頼につながっている。
それは俺とエルナで築いたものだ。
「私はあの時……ミツバ様に誓ったの……もうアルを見捨てないと」
「そんな誓いをしてたのか? 大事にするのはお前の勝手だが、正直、必要ないぞ? そんな誓いがなくてもお前は俺を見捨てないし、俺も見捨てない。そうだろ?」
「……どうしてそんな簡単そうに言うのよ……いつ言おうか迷ってた自分が馬鹿らしくなっちゃうわ」
「過去は過去だ。今は変わらない。だけど……伝えてくれて嬉しかった。ありがとう、エルナ」
そう言って俺はその場を後にする。
大事なのは今だ。
おかげで答えが見つかった。
俺は今が好きだから、変化を好まない。気に入っているんだ、今を。
迷うだけ馬鹿だ。
答えは常に傍にあった。
答えが見つかったなら、その答えに向かうために方法を探すだけだ。
「答えが出ましたかな?」
「ああ、エルナのおかげだ」
「幼馴染は偉大ですな? それでどんな答えを出したのですかな?」
「俺は誰とも結婚しない。もちろん担ぎ出されてレオと争う気もない。答えを出さないのも、また一つの答えだろ?」
「欲張りですな」
「まぁ、俺もアードラーなんでな」
そう言って笑みを浮かべながら俺はセバスを引き連れて歩くのだった。




