第四百一話 狂った予定
パーシヴァル侯爵領。
そこにマリアンヌが到着したとき、パーシヴァル侯爵は騎士を率いて出迎えに出てきていた。
「ご無事ですか!? 王女殿下!?」
そう言ってパーシヴァル侯爵が駆け寄る。
四十過ぎの背の高い男性。
特別な武勲があるわけではないが、藩国では珍しく私利私欲に走らない人物だった。
そのパーシヴァル侯爵の手勢は百名ほど。
領地の警備を考えるとこれが精一杯の戦力だった。
しかし、マリアンヌはそんなパーシヴァル侯爵を労った。
「出迎え、ありがとうございます。パーシヴァル侯爵」
「いえ、大した役にも立てず……」
「あなたがこの領地を長く保ったからこそ、私は帝国に向かうことができます。役に立たないなどとんでもないです」
「身に余るお言葉です……」
その会話の後、パーシヴァル侯爵はすぐに話題を切り替えた。
今は緊急事態だったからだ。
「我が領内に流れてきた民は二百名ほどです」
「やはりそれくらいですか……」
マリアンヌは沈んだ表情を見せた。
わかっていたことだ。いくら呼び掛けても動く気力のある民は一握り。
藩国の民は今しか見ていない。未来を見る余裕はないのだ。
だから先を考えて動ける者はごく少数。
ヴァーミリオンが金をばらまいてすら、この数だった。お金のあるなしではなく、気力が足りないのだ。今ある何かを変えて、何かするには気力が必要となる。
それが藩国の民には欠如していた。
だが、それでも二百名が動いた。
今はその二百名を守ることを考えるべき時だった。
「急いで帝国へ向かいます。帝国軍の護衛部隊は?」
「残念ながらいまだに連絡がありません……」
「国境付近に待機しているのでは?」
「そのはずですが……」
近くの兵士に問いかけるが、帰ってくるのは困惑の声。
帝国軍からしても予想外の事態だった。
本来なら王都脱出の際につくはずだった護衛部隊。
それが間に合わなかったため、国境付近で待機して、帝国へ向かう時の護衛という形に変更された。
だが、その護衛部隊からの連絡がない。
「連絡要員からの連絡もありませんか?」
「ありません」
兵士は宰相の影という言葉は使わなかった。
藩国側の人間は、各地に現れる連絡要員が宰相の影だとは知らないからだ。
しかし、知っている帝国側の人間からすれば驚愕だった。
宰相の影は帝国で最も優秀な連絡要員だ。
しかし、その連絡要員たちが護衛部隊の異変を知らせに来ない。
まずい事態になったかもしれない。
そう兵士たちの顔に焦りが浮かんだ時。
朱月の騎士が現れた。
「護衛は私が。もはや後には退けません」
「ヴァーミリオン……」
「ですが、護衛部隊なしでの国境越えは危険です! もしも国境付近の藩国軍が動いた場合……」
「私が食い止めます」
躊躇もなく宣言するヴァーミリオンに対して、兵士は顔を引きつらせる。
食い止めることの難しさを理解しているのか? という反応だった。
だが、マリアンヌはその言葉に頷いた。
「立ち止まっている時間はたしかにありませんね」
「では、殿下と少数だけで……」
「民も一緒に」
パーシヴァル侯爵の言葉をヴァーミリオンが遮った。
当初の予定は崩れ去った。
足手まといの民を連れていくのは危険だろう。
だが、このパーシヴァル侯爵領も安全ではない。
王都からの追手や国境の藩国軍がどう動くかわからない。
下手をすれば領内が火の海になる。
守り切る力はパーシヴァル侯爵にはない。
そのために帝国軍にはすぐさま動いてもらわなければいけない。
しかし、どれだけすぐ動いても数日はかかる。
パーシヴァル侯爵領にたどり着いた民に家はない。その数日が重くのしかかるのだ。
だからヴァーミリオンは無理を承知でそう告げた。
「さすがに承認できません! 危険です!」
「危険は承知。ですが……一緒に連れていかなければ民が死にます」
「そうは言っても当初の予定がだいぶ狂っています!」
兵士の制止を聞きながらヴァーミリオンは少し黙り込んだ。
そして。
「……アルノルト皇子のことは知っています。自分の手の届く範囲で困っている民がいるならば助ける方です」
「藩国の義賊がどうして殿下のことを知っている!? デタラメを言うな!」
「……」
兵士の言葉を受けて、ヴァーミリオンはゆっくりと仮面を取った。
若い女だったことに兵士たちは目を見張るが、気にせずミアはマリアンヌに頭を下げた。
「ミアと申しますわ」
「……あなたの正体とアルノルト殿下との繋がりが関係あるのですか?」
「帝都での反乱時、私は蒼鴎姫の護衛をしていました。どうしてかというのは面倒なので省かせいただくですわ」
「そこでアルノルト殿下と接点が?」
「そうですわ。証拠はありませんが、信じていただくために仮面を取りましたですわ。その覚悟をもって私のことを信じてほしいですわ」
「……それを信じることはできません。何の証拠にもなりませんから」
ですが、とマリアンヌは続ける。
「あなたのこれまでの民への献身は信じるに値します。ですから民を連れていきます。構いませんね?」
最後は周りへの確認だった。
パーシヴァル侯爵に否はなく、兵士たちも王女が決めたことに否というわけにはいかなかった。
そもそもこれ以上、ここで時間を使うのはあまりにももったいなかった。
「それではすぐに準備を」
「では、護衛をよろしくお願いします。ミアさん」
「はいですわ、王女殿下」
そう言ってマリアンヌとミアは笑い合うのだった。
こうしてマリアンヌと二百名の民が帝国と藩国との国境へ向かって動き出した。
だが、同時期に国境にて帝国軍と対峙している藩国軍にも動きがあった。
「王女が亡命?」
知らせを受けた藩国軍の将軍は、少し思案したあとに一人の男の名を呼んだ。
「エイブラハム大佐を呼べ」
「しょ、将軍……エイブラハム大佐は素行に難が……」
「王女の亡命を止められなければ責任問題で私の首が飛ぶ。使える者は使わんとな」
「しかし……性格に難があります」
「能力は本物だ。なにせ、帝国の国境に穴をあけたのは奴だからな」
帝都での反乱後、藩国と連合王国は北部国境を攻めた。
その戦闘の最中、帝国軍の司令官がゴードンの部下によって刺される事件が発生し、帝国軍に乱れが生じた。
その部下がエイブラハム大佐だった。
密命を受けていたエイブラハムは北部国境の有能な指揮官たちを次々に斬り殺し、最後は藩国へと亡命したのだ。
だが、亡命後は将軍の指揮下に入ったものの、指示にことごとく反発し、現在は謹慎処分を受けていた。
しかし、それでも藩国軍が抱える戦力の中では最強の部類なのは間違いなかった。
「奴が率いる部隊は速い。今すぐ向かわせろ」
「かしこまりました……」
将軍の副官は納得いかなそうな顔をしつつ、命令を受諾して伝令を走らせたのだった。




