第三百九十五話 藩国の現状
世界はいつも残酷だ。
テッドはそんなことを思いながら、道を眺めていた。
パーシヴァル侯爵の領地への道のり。
テッドたちは複数の馬車で移動していた。
トラヴィスが育てている子供たち、テッドを含めた十二人はバッグ一つ分の荷物を持って屋敷を出た。
嫌がる子供たちもいた。彼らにとって屋敷は安息の場所で、最も落ち着く場所だったからだ。
気持ちはテッドにもわかった。
馬車の窓から見る道には多くの人がいた。
物乞いだ。
数メートルおきに襤褸切れをまとった人たちが小さな籠を掲げている。
人の情けに縋って生きている。
保護されるまでテッドも向こう側にいた。
テッドがいたのは辺境の街。暗く湿った路地がテッドの家だった。
親の顔もわからない。気づいたときにはそこにいた。
子供には物乞いしかできなかった。窃盗はもっと大人たちの物で、縄張りがあった。それを侵せば殺される。飢えに耐えかねて、縄張りで食べ物を盗んだ子供が殺されるのをテッドはいくども見てきた。
死ぬわけにはいかなかった。
だから生きるためにどんなこともやった。
最初は物乞い。
そのうち違う奴の仕業に見せて、物を盗ることを覚えた。
そうすると誰の仕業だとみんなが疑い始める。
始まったのは勢力争い。弱い奴は殺される。
そうなると縄張りが空く。
いつの間にか数人を率いて、テッドは一つの縄張りを持つまでになった。
「テッドお兄ちゃん、何見てるの?」
「なんでもないよ」
そう言ってテッドは隣に座る少女の頭を撫でた。
少女の名はパティ。
血のつながりはないが、テッドと共に路地で暮らしていた少女だ。
今は八歳になったばかり。
やっと路地裏での悲惨な生活が遠い思い出になりつつあった。
だからテッドはパティに外を見せることはなかった。
「ミア姉が買ってきた絵本を読んでやろう」
「ほんと!?」
テッドとパティがトラヴィスに保護されたのは五年前。
連日続く雨のせいか、パティが病気になり、テッドは治療してくれるように手あたり次第に助けを求めた。
最初は医者。お金がないと駄目だと言われた。
次は裕福な家。貧乏人が近づくなと言われた。
最後は貴族。何も言わずに殴り飛ばされた。
それでもテッドは街中を駆けまわった。
泥に塗れても駆け続けた。
血が出るほど頭を下げ続けた。
それでも誰も助けてはくれなかった。
苦しそうなパティを抱きしめて、無力感に苛まれているとき。
気の抜けた声で傘を差してくる少女がいた。
「どうかしましたですの?」
変な喋り方の少女はすぐにパティの異変を察して、慌てた様子で近くにいたトラヴィスを呼んだ。
それからは一瞬だった。
トラヴィスが用意した馬車に乗せられ、医者の下へ連れていかれた。
そこは最初にテッドが助けを求めた医者の場所だった。
お金がないと駄目といった医者は、トラヴィスがテッドを連れていくと最初は難色を示したが、トラヴィスが金貨を出すと態度を一変させた。
まるで貴族の子供を相手にするような態度へ変化し、パティも手早く処置した。
パティが回復した頃、トラヴィスはいつの間にか路地で暮らしていた子供たちを集めていた。
そして自分と一緒に暮らすかどうかを問い、全員が頷くとニコリと笑って、自分の屋敷まで連れて行った。
それから幾度も子供を引き取り、ある程度の年齢になった子供はトラヴィスの知り合いを経由して、藩国を出ていった。
藩国では武芸も学問も学べないからだ。
本来ならテッドも屋敷を出る年齢だったが、最近はトラヴィスが不調なのとミアが忙しいため、子供たちの面倒を見るために残っていた。
「ねぇねぇ、テッドお兄ちゃん」
「うん?」
「これからどこ行くの?」
どう答えるべきかテッドは悩む。
テッドも最終的にはどうなるのかわからなかったからだ。
パーシヴァル侯爵の領地に向かい、王女を無事に帝国へ送り届けたとして、どうなるのか?
王女の亡命を助けたところで、こちらには何の得もない。
むしろ住む場所を失った。
元々、ミアの関係者というだけで危ないのに、王女の亡命を助けるなんて藩国中から敵と認識される。
だからこうして逃走している。
しかし、テッドはミアやトラヴィスを責める気にはなれなかった。
その優しさが自分とパティを救ってくれた。
悪いのはすべてこの国。
お人よしが許されない残酷な国だからいけない。
「……テッドお兄ちゃん?」
「ああ、国境の近くまで行くんだ。そのあとは……どうなるかな? 着いてからのお楽しみだ」
「ええ!? 何かあるのー?」
パティは嬉しそうに笑う。
その横でテッドは小さくため息を吐いた。
万が一、王女がミアを利用している場合。
こちらが捨て駒にされかねない。
もちろんトラヴィスはそのことも予想しているだろうが、そうなった場合は辛い逃避行が始まる。
嫌なわけではない。
仕方ないと割り切ることができる。
ただ、優しさを裏切られて傷付くミアとトラヴィスは見たくなかった。
「王族や貴族なんて信用しなきゃいいのに……」
小さく呟きながら、テッドはパティのために絵本のページをめくるのだった。
■■■
帝剣城の玉座の間。
そこで皇帝ヨハネスは宰相から報告を受けていた。
「以上で報告は終わりです。藩国攻略は順調にいけば一週間後かと」
「ご苦労。あとはリーゼロッテ次第か」
「……陛下。どうしてリーゼロッテ様に藩国攻略を任せたのですか?」
「お前は反対だったな。決まったことを掘り返すのは珍しいな?」
「真意を聞きたいだけです。リーゼロッテ様に任せるのはデメリットばかりです。それでも陛下がどうしてもと望まれたので納得しました。しかし、蓋を開けてみれば北部には膨大な戦力が集中しております。私はてっきり少数戦力で攻略するものと思っておりました」
「だからリーゼロッテだと思ったか?」
「ええ。お言葉ですが……あの戦力があれば藩国攻略は誰でもできます。北部支援のためにラインフェルト公爵が騎士を率いることを認めたなら、そのまま藩国攻略も任せればよかったかと。もしくはアルノルト殿下に軍を率いさせるという手もありました」
「皇国は黙っておるし、戦力は多いに越したことはない。リーゼロッテが藩国を攻略すれば、次は王国だ。そのまま王国に攻め入ることもできる」
「それは理解しております。ですが、リーゼロッテ様には……重大な問題があります」
いつになくしつこい宰相の様子にヨハネスは苦笑した。
理由はわかっている。
「リーゼロッテは皇太子の死をいまだ引きずっておる。ゆえに暴走する恐れがあると?」
「その通りです。そして陛下はすべての責任をアルノルト殿下に丸投げしました。このままリーゼロッテ様が暴走すればアルノルト殿下の責任になります。その真意はなんです? アルノルト殿下は北部の復興を見事に成し遂げています。失脚をご希望ですか?」
「皇帝として……帝位争いには介入せん。ワシがアルノルトにすべてを投げたのは、ワシではリーゼロッテを止める足かせにはならんからだ」
「……どういう意味でしょうか?」
「リーゼロッテはきっと皇太子の仇を討ち、恨みを晴らせるなら立場などいらないと思っているだろう。だからワシの責任になったとしても……関係なくやりたいようにやる。あれはそういう娘だ。しかし」
「アルノルト殿下の責任となれば違うと?」
「どうだろうな。ワシよりは可能性があると思っている。リーゼロッテが本気でアルノルトを認めているなら……きっと藩国攻略は問題ない」
「私の意見ですが……いまだにリーゼロッテ様はアルノルト殿下を本気で認めているとは思いません。あくまで弟として可愛がっている程度でしょう」
「アルノルトは本気を出さんからな。だから認められない。それで本人はいいと思っているだろうが……難題があれば本気を出さざるをえまい。本気を見せればリーゼロッテも認めるだろう。弟としてではなく、同格の皇子としてな」
そう言ってヨハネスは笑いながら玉座から立ち上がる。
真意を知り、宰相はヨハネスに頭を下げた。
そして去り際に問いかける。
「陛下……陛下がこの玉座に座ってほしいのは」
「……玉座は勝ち取った者に与えられる。勝ち取る意思のない者には与えられない。誰も認めないからだ。だから帝位争いはある。素質や能力で決まるのではない。玉座に座る覚悟のある者が座るのだ。皇帝の個人的な好き嫌いで玉座は左右されん。そんなことで決まっては……何のための帝位争いだ?」
「……失言でした。お許しを」
ヨハネスはそのまま玉座の間を後にした。
宰相もまた玉座の間を去る。
難儀な一族だと心の中で思いながら。