第三百九十一話 嵐のような人
「勇爵は帰ったか?」
「ええ、用が済んだそうなので」
「相変わらず自由な方だ」
「リーゼ姉上には負けるかと……」
仕事をしている俺の部屋で、堂々と紅茶を飲んでいるのは自由すぎるだろう。
邪魔だと言いたいが、言ったらどうなるかわからないので言えない。
「リーゼロッテ様。お菓子ができました!」
「うむ、いただこう」
当然のようにフィーネにお菓子を作らせて、作ってきたお菓子の半分以上を自分で食べてしまう。
俺のほうには申し訳程度にしか回ってこない。
「姉上……何かやることはないんでしょうか?」
「ない」
「……」
自分が暇だということをこれほど堂々と言えるのも珍しい。
まぁ侵攻指揮を取る将軍だし、本番は戦になってからだ。
それまで暇なのはわかるが。
「騎士の訓練とかしなくてもいいんですか? ご自分の部下とは勝手が違うかと」
「私より私を知っている者がみっちりと鍛えているから平気だ」
「ああ、なるほど……」
ラインフェルト公爵が訓練を担当しているのか。
リーゼ姉上ならどう動くかなんて、あの人にとっては手に取るようにわかるだろうしな。
それを騎士たちに伝えるのも上手くやるだろう。
適材適所だ。絶対に姉上がやるよりもうまくやる。
姉上が出張ったら、戦前に何人かが使い物にならなくなるだろうし。
「アル。手が止まっているぞ? 仕事をしろ」
「……はい」
なんだろう。
この理不尽さは。
しかし逆らえない。
しょうがないから俺は手と目を動かす。
確認しなきゃダメな書類はいくらでもある。
そんな俺の部屋にさらに書類がやってきた。
「アル、これはドワーフたちの入植用の書類よ。受け入れ可能そうな貴族の候補も書いておいたわ」
「やれやれ……」
「手伝いが必要?」
俺の顔を見て、書類を持ってきたシャルが苦笑する。
俺はそんなシャルの申し出に頷く。
「仕方ないわね」
「フィーネと一緒にこれをチェックしてくれ」
「わかったわ。フィーネはここを、私はここをやります」
「はい!」
そう言ってシャルとフィーネは部屋の隅にある机で仕事を始めた。
その間、俺の横にいるエルナは何も言わない。
「珍しいな? エルナ」
「何がでしょうか? リーゼロッテ様」
「護衛に専念しているようだな?」
「護衛ですから」
余計なことには口を出しません。
そう告げるエルナを見て、珍しくリーゼ姉上が目を丸くした。
勇爵から色々と言われて、エルナも考えを改めたらしい。
「最初からそうだったら楽だったんだけど?」
「そうね。あなたも自分の仕事をしたら?」
シャルの一言に対して、エルナは一瞥もせずに返す。
余裕ある対応だ。
これでシャルが余計な一言を言ったことになる。
シャルもそれを察したのか、顔をしかめながら自分の仕事に専念し始めた。
それを見て、エルナはしてやったりとした顔をした。
表面は取り繕ってもエルナはエルナだな。
「エルナ。勇爵から何か指導をしてもらったそうだな?」
「はい。いろいろと教えていただきました」
「充実した指導だったようだな」
そう言うとリーゼ姉上は何度かうんうんと頷く。
そして。
「ところで、アル」
「なんでしょうか?」
「レオは聖女を妻に迎えるつもりのようだぞ? お前はどうする?」
「……はい?」
空気が張り詰めた。
俺の嫁問題は面倒な話だが、それ以上にその話をすると姉上の夫問題に触れなきゃいけない。
どうする?
触れるべきか?
適当に流すべきか?
グルグルと頭の中で言葉が回る。
そこでフィーネが気を利かせてリーゼ姉上に聞いてくれた。
「り、リーゼロッテ様はどうされるのでしょうか?」
「私の話はしてないが?」
「いやぁ、弟が先に妻を持つというのは」
「安心しろ。そのうち私はユルゲンと結婚する」
「……」
一瞬、意識が飛びかけた。
椅子からずり落ちそうになり、傍にいたエルナが俺を支える。
今、この人は何と言った?
結婚?
あれだけ父上に急かされていたのに、興味なしという態度を取ってきた人が?
しかもラインフェルト公爵と!?
どうなってる!?
「……聞き間違いじゃないですよね……?」
「そのうち、な。まぁそれまでユルゲンが諦めなければ、だが」
「それについては心配ないかと……どういう心境の変化ですか……?」
「……よく知っている者たちが死んでいったからな。私もいつまで生きていられるかわからん。いつまでも私を諦めん物好きを受け入れてやってもいいと思ったのだ」
「縁起でもないことを……」
「どうした? もっと喜べ」
「理由が理由なので喜びづらいですよ……しかもそのうちって」
「数年以内だ。それまではユルゲンとは友人でいるつもりだ。私は意外に、この関係を気に入っているのでな」
「そうですか……まぁ協力した身としては嬉しいかぎりです。おめでとうございます」
そう言って俺は話を終わらせようとする。
最大の返し言葉。
姉上が結婚してから、というのが使えなくなったからだ。
しかし。
「それでお前はどうするつもりだ?」
「……」
「お前とレオはいつも一緒だった。父上もどうせなら二人で婚約発表を、と思っているだろう。双黒の皇子の評判は日に日に大きくなっているからな」
「……俺とレオは似ていますが、俺はレオと違います」
「身を固めたほうが帝位争いは有利に働くぞ?」
「俺は誰かと結婚する気はありません。少なくとも今は」
「だが、お前の意思に関係なくその話は出てくる。藩国には王女がいる。統治するなら血を取り入れたほうがいい。間違いなく、大臣も貴族もお前との結婚をと言い出すだろう。ああ、これは私の考えではなく、ユルゲンの考えだ。つまり当たる確率は非常に高い」
「心配はありがたいですが……皇子ならほかにもいます」
「そうか。意中の者がいるなら父上に伝えておけ。それならば父上も無理強いはすまい」
「結構です」
俺の言葉にリーゼ姉上は苦笑して、そのまま紅茶を飲み干す。
そして座っていたソファーから立ち上がった。
「まぁいい。どうしても無理強いされそうなら東部国境に逃げてこい。匿ってやろう」
「そうします。俺は帝位争いが終わったら権力とは無縁な生活が送りたいので」
「はたして許されるかな?」
姉上は笑いながら部屋を出ていく。
まったく、嵐みたいな人だな。
言いたいことを言って帰るなんて。
「困った人だ……」
北部貴族のために俺は俺の自由を賭けた。
父上が俺を本気で藩国の王女と結婚させようとするなら、俺は受け入れざるをえないだろう。
俺は姉上とは違う。
レオを皇帝にという願いがある。
その願いのためにすべてを捧げるのもやぶさかではない。
できればしたくないけれど。
そんなことを思いつつ、俺は無言の部屋で仕事を続けるのだった。