第三百八十話 嫌われ者
羨望の視線は嫌いだ。
皇子という立場が羨ましいと多くの人間に浴びせられた。
そこに生じるデメリットを理解しているならまだわかるが、大抵他者を羨望するだけの奴はそういうデメリットには目を向けない。
だから嫌いだ。
「ブロイアー伯爵の子、エーゴン・フォン・ブロイアーがアルノルト殿下にご挨拶いたします」
「よく来てくれた。領地はどうだ? 困ったことはないか?」
「はい! 殿下のおかげで周りの諸侯が非常に協力的なため、復興は順調です!」
はきはきとした口調でエーゴンは告げる。
年は十六。
くすんだ茶髪と童顔が特徴的な少年だ。
ブロイアー伯爵は北部の東側を領地とする貴族であり、ゴードン兄上によって領地を追われた貴族の一人だ。
とはいえ、ただ逃げ出したのではなくゴードン兄上に抵抗して、重傷を負って家臣に退却させられた人物で、民からも慕われている。
自らの領民を見捨てて退却したことを恥じているらしく、すぐにでも家督を息子に譲りたいと言っていた。
しかし、エーゴンはまだまだ若い。
学ぶことばかりだし、この状況で家督を譲るのは酷だろう。
わざわざ俺から話題を振ってやったのに、気持ちのいい返事しかできないあたり、貴族の当主になるには甘い。
復興がいくら順調でも、足りないことはいくらでもある。それらを俺に要求するのがエーゴンの仕事だ。
「そうか。何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「はい! 父も僕も殿下をとても頼りにしています!」
北部の内乱がエーゴンにとっては初陣だったらしい。
いきなりの大戦。
北部諸侯を率いた俺に憧れているとセバスは言っていた。
別にそれはいい。ただ、憧れというのは面倒な感情だ。
「殿下が北部全権代官に任命され、北部全体が喜んでいます! 領地の民もアルノルト殿下なら北部を任せられると話題にしておりました!」
「臨時の役職だ。北部の復興と藩国への侵攻が終われば帝都に戻ることになる」
「それは残念です……総督という形で北部に留まることはできないのでしょうか?」
「俺はその器じゃない」
「そんなことはありません! 内乱の際にはあのローエンシュタイン公爵までも従えたではありませんか! 藩国との戦でも戦功をあげれば殿下の名声はレオナルト殿下に迫るものとなりましょう! そのお手伝いをしたいと思っています!」
エーゴンは熱が帯びた様子でしゃべり出す。
そんなエーゴンに俺は目を細めながら忠告した。
「そこまでにしておけ」
「いえ、これは北部貴族の総意です! 殿下には帝位争いに参加してほしいのです! それがだめなら北部の総督となってください! そうなれば北部は!」
こちらの忠告を聞かず、エーゴンは言葉を続ける。
しかし、エーゴンは突如として喋るのをやめた。
護衛として傍に控えていたエルナがエーゴンに近寄り、剣を首元に当てたからだ。
「えっ……あ……?」
「殿下のお立場はあなたが思うほど簡単ではないの。今の発言を誰かに聞かれて、殿下に二心ありと噂されたらあなたはどうやって責任を取るつもりかしら?」
「も、申し訳……」
「謝罪は結構よ。その代わりに腕を一本寄こしなさい。それで殿下に関するあらぬ噂が流れることはなくなるわ」
厳しい処分をあえて下すことで、俺はその手の話を許さないと示すことができる。
いまだ動かないエリクだが、こちらが隙を見せればさすがに突いてくるだろう。
俺とレオを反目させられるなら、エリクにとっては好都合。
少なくとも亀裂ぐらいは入れたいと思っているはずだ。
だからこそ隙は晒せない。
「……お、お許しください……二度と失言は致しません……!」
「殿下が制止したときにそう言うべきだったわね」
エルナが剣を腕に当てる。
エーゴンは小さな悲鳴を漏らす。
俺は何も言わずにそれを見つめる。
そんな中、部屋の中にシャルが入ってきた。
「失礼します。これはどういう状況ですか?」
「つ、ツヴァイク侯爵……! お助けください!」
「エルナ隊長。何があったかは知りませんが、剣を収めていただけませんか?」
「彼は殿下に帝位争いへ参加するべきと言ったのよ? 実の弟と争えと諭した。しかもこの不安定な立場の中で。野心を見せれば陛下は第二のゴードン皇子とみなすでしょう。もはや間者も同然よ」
「……それは本当ですか?」
「ぼ、僕はただ殿下に北部を治めていただきたいと思っただけで……」
「……浅慮ですね。しかし、剣を抜くほどのことですか?」
「腕でも差し出してもらわなきゃ殿下の悪評が流れるわ」
「ここだけの話にすればよいだけかと」
「同じことを言う者がまた出てくるわ。そのときあなたはどうやって責任を取るのかしら?」
「私が責任をもって、北部貴族に浅はかな考えを抱かせません。それでお許しください」
シャルは俺を見ながらそう頭を下げた。
俺は何度か頷き、シャルに告げた。
「シャルに任せよう。しっかりと頼む」
「感謝します」
「か、感謝いたします!」
シャルとエーゴンは一礼して部屋を出ていく。
出ていくときにシャルとエルナの視線がバチバチとぶつかり合っていたような気がする。
まぁ、シャルは北部貴族の代表という立場だ。俺に最も近い北部貴族。どこまでいっても北部貴族側の人間。
一方、エルナは俺に最も近い護衛隊長。
俺の評判だけを考えている。
「嫌われ者ごくろうさん」
「本気で腕くらい貰うべきだったと思っているのだけど?」
「まぁ、そうしておけば今後、厄介ごとは少なくなるだろうな。けど、北部貴族との関係が難しくなる」
「放置すれば陛下やレオとの関係が難しくなるわよ?」
「だからシャルに任せた。これで北部貴族内でのシャルの立場はより固まる」
「失敗したら? アルはどうするの?」
心配そうな目をエルナが向けてくる。
シャルが失敗したら、シャルに責任が向く。
責任を問えるのか? という心配をしているんだろう。
それならば自分が恐れられたほうがいい。そんなことを思っているんだろう。
「失敗しないことを祈ろう」
「そんな曖昧な……北部貴族があなたを担ぎ上げようとしたらとんでもないことになるわよ?」
「わかってるさ。けど、そのときはそのときだ。地道に説得して回るだけだ」
「手間じゃない。今ならまだ間に合うわよ? 腕一本じゃ死なないわ」
「俺は俺の幼馴染が嫌われるのが嫌なんだ。北部全権代官中、お前以外の護衛を認める気はない。だから、大人しくしてろ。余計な気を回すのはお前らしくないぞ?」
「……私はアルとレオが争うところなんて見たくないの……」
「わかってる。そんなことにはならないし、させない。俺を信じろ。お前が見たくない未来にはしない」
「……約束よ?」
「ああ、約束だ」
そう言うとエルナは少しだけ心配そうな表情をやわらげた。
皇子が内乱を起こした。
そのせいで今の帝国は疑念に満ちている。
本来なら徹底して疑念を払うべきだし、エルナに任せるのが一番だ。
しかし、幼馴染にすべてを投げるのは容認できない。
やってくれと頼めば引き受ける。それがエルナだ。
だからこそ甘えてばかりはいれない。
「まぁ、そうは言っても不安定なのは事実だ。さっさと来てくれないと困るな」
「リーゼロッテ様?」
「いや、ラインフェルト公爵だ。もっといえばあの人が引き連れてくるだろう人たちだな」
「なによ? 回りくどいわね」
「そのうちわかるさ」
北部貴族が俺を担ぎ上げようと思うのは、希望が俺だからだ。
頼れるのは俺だけだと思っているから、俺に高い地位についてほしい。北部を守ってほしいと思う。
ローエンシュタイン公爵がいない今、北部には頼れる柱がいないから。
だが、復興がさっさと済めばそういう感情もひとまず収まる。
そのためには〝彼ら〟が必要なのだ。